第8話 全国を目指して

1996年8月27日(火)


2年女子短距離の矢木先輩が職員室から出てきた。

この先輩苦手なんだよな……。

なんかこっちをじっと見てる時がある。

しかもネットリと絡みつくような視線でだ。


「あの。中に久我山先生いますか?」


「いるよ」

そう言って矢木先輩が足早に立ち去った。

こっちをじっと見てる時もあれば

今のようにあっさりしてる時もある。

何だかよく分からない?


ま……。いいや。

取り敢えず、職員室に入ろう。

「失礼します」

小声で断りを入れ、職員室に入った。


「あー。教員も楽じゃないな……。

今日の部活が終わったかと思えば次は新人戦の準備と……。

ええと。申込の書類は丸山が作ったし、後はその確認と提出……。

そう言えばテントが破損してるとか言ってたか。誰か直せんのかな?

それと二学期の準備でテストの作成と……。

……もう去年のテスト問題の数字を変えてある程度作っちまうか……。

あ。くそ。……あの"鉛筆ジジイ"め。

最近のセンター試験の傾向に問題を合わせろとか

余計なコト言ってやがったな」

俺の発言では無い……。

我らが陸上部顧問 兼 数学教師

久我山先生(クガセン)の職員室内でのご発言である。

いつもダルそうにしているが、

今日は輪を掛けてダルそうにしている。

ヒゲも剃って無い。

しかもなんか、ブツブツ言ってる。

……別名、愚痴だ。

周りに他の先生方がいないから、つい出た言葉だとは思うけど……。

あまり聞きたくない言葉だったなぁ。


「あのう。すいません。久我山先生。

ちょっと宜しいでしょうか」

居住まいを正して伺う。

先生(しかも陸上部顧問)としては

"ちょっとこの人どうなのかな?"とは思うが、

丸山部長からの勧めでもある。


「あ。鬼塚か? 少しならいいぞ。何だ?」

少しならよいそうである。


「ちょっと。こっちから聞きたいこともあったんでな。

その。遠藤の体の具合はどうだ?」


「あ。今のところ問題ないと思います。

春先は崩して保健室に運んだこともありましたが……」

クガセンから遠藤が軽い喘息持ちと聞かされていた。

主治医から運動してよいとは言われているそうだが、

親御さんからは気に掛けて欲しいとも言われているそうだ。

そのおかげで、春先は保健室に連れていくことがあったわけだが……。


「まぁ仲良くやってというか。仲良くなり過ぎてという感じかな……」


「?」

意味がよく分からない。


「いやいい。分かった。それで相談したいことっていうのは?」


先日の丸山先輩とのやり取りを話す。

部活の成績で特待生を狙うにはどうしたら良いかである。


「特待生ねぇ……。少しそこで話そうか?」

クガセンはそう言って職員室に併設されている生徒指導室を指さした。


生徒指導室……。あんまりいい思い出は無い。

でもそれも中学時代の話だ。


素直にクガセンに従って生徒指導室に向かった。


-まぁ座れよ-

クガセンからそう言われ席に座る。


「どこか行きたい大学はあるのか?」

俺の向かい正面の椅子に座りながらクガセンに尋ねられた。

俺は高みを見過ぎているかもしれないが

行きたいと思っていた大学を4つほど告げた。


「分かり易い奴だな……。

駅伝とか陸上長距離の強いところか」


「俺もそんなに時間が無いから簡潔に言うが

もう少し行きたい大学を絞り込め。

長距離で、全国に行きたいっていうのはまぁ……良い。

若いときは少しでも上を目指した方がいいからな」


「けど大学の選び方はマズい。

これじゃ。

陸上が強ければ大学はどこでもいいみたいな、決め方だろ

鬼塚?」

うっ。その通りだ。


「まずはな……。

行きたい大学を先に見つけろ。

今の内からオープンキャンパスとか行ってみろ。

もし行きたい大学が見つかって、

そして、その大学に特待生制度があれば使えばいい。

特待生制度があるからその大学に行くとかそういうのは止めろ。

ほれ……。県内での陸上が強い大学のパンフレットだ」

そう言って

生徒指導室の棚に置いてあった

各種大学のパンフレットから

該当する大学のものを手渡された。


「でもそれじゃ……」

学費の問題が……。


「別にな、大学の費用を軽減するのは

スポーツ特待生だけじゃない。

世帯収入……まぁ要するに親の給料だな……。

これが一定水準より低い場合は

授業料免除が受けれる。

世帯収入によって、

全額免除になったり、半額になったり、色々あるんだがな。

それと他には

奨学金とか、学生寮とか……

色々と他にも特待生以外にも

金銭的に困窮している学生を助ける制度はある」


そう言って今度は

棚にあった奨学金制度と授業料免除のパンフレットを抜き出し

俺に手渡した。


「それに陸上が強いって言っても、色々と違いがあるもんだ

一番大きいのは監督かな。

集まってくる選手というか集める選手というか、だいたいカラーは一緒だ。

後は設備の違いとかかな」


「いくら陸上が強いと言っても

合わない監督の元に行っても仕方ないぞ」


「そんなに違うもんですか?」

失礼だが。


「違うさ。俺はまぁズボラな方だが

スパルタ式のところもある。

昼は流石に講義だが、

朝6時から夕方20時まで練習なんてザラだ。

ま。そういう練習こなす為に学生寮があるんだがな……

後はまぁ。監督の気分できつい練習させるようなところもあるし……。

お前はそういうところは合わんだろう」

間違いなく合わないと思う……。


「これから先……な。

お前は……まぁ今の段階じゃ分からんが

どこかの大学に行くんだろう。

そしてどこかの会社に入るんだろう。

ひょっとしたら事業団かもしれんが……。

どちらにしても、

どこに行くべきかをしっかりリサーチしろってことだ。

今から、そういう事に慣れていくことは決して悪いことじゃ無い。

寧ろちゃんと自分で調べて、自分で決めろ。

これから先の人生は自分で決めてくもんだ。

親や先生に決めてもらうんじゃない。

鬼塚。お前はそういうの得意なんだろ?」


「え。いや……」


「部活の方をさぼってて悪いが

お前の練習スケジュールは良くできている」

クガセンの机にはあのリディアードの本があった。

俺も……読んだ本だった。


「それと陸上で全国を目指す……か。

いいじゃないか。

あのな……。鬼塚。

負けることは恥じゃない……。

挑戦しないことが恥なのさ……。

世の中それを分かっちゃいない連中が多くてな。

それに若い時じゃないと、何事も挑戦しづらいからな」


「そうだ。今年はもう無理だが

来年なら授業料免除の申請を出すことは出来る」


「えっ。あの。俺でも出せるんですか?

俺。中学での評判悪いはずだから……」


「関係無いさ。

ただ親の収入に依るから、申請が通るかどうかは別だがな……。

えーと。鬼塚のトコロは会社員で一人っ子だったよな」


「え。は。はい。そうです」


「親に話して源泉徴収票のコピーをもらって来い。

一度見てみよう。大体それで分かる。

おっと。そろそろマズいな」

クガセンが腕時計を確認した。

何か用事があるようだ。


「わ。分かりました。

ゲンセンチョウシュウヒョウですね。

……。もらってきます。

有難うございました」

俺は立ち上がり、深くお辞儀をした。


生徒指導室の扉を開け

立ち去ろうとしたとき、クガセンに呼び止められた。

「あ。鬼塚」


「はい」


「最初はチグハグだったが、フォームは良くなってきてる。

全国。目指してみろ。

……。若いときは無茶した方が良い」


俺はもう一度頭を下げて、生徒指導室を出た。


-なんだ。いい先生じゃねーか!-


部活終わりで疲れているはずなのに

廊下を思い切り走り出したい気分だった。

それに耐えて、下駄箱に向かい

靴を履き替え、

玄関を飛び越え

夕陽に向かって俺は駆けだした。


-全国だ! 全国に行くんだ!-




生徒指導室にとり残された久我山は頭を掻いていた。

「あー。しまったー。仕事増やしちまった……」

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奨学金……研究や就学を援助するために貸与または給付されるお金のこと。

昔は学業成績が良ければ無利子で借りれるものもり、

作者は大学3年次より日本育英会(無利子)の奨学金を借りました。

申請の際に教授の推薦文が必要だった為、

自分で推薦文を作成して担当教授にみてもらい

添削してもらった……と記憶しています。

メンドクサかったなぁ……。

一応、返済済みです。

基本的に大学では学生掲示板にそういった情報が掲示されているので、

こまめに見る事をお勧めします。

また奨学金の問題としては以下が挙げられます。

・返済していない滞納者がいる

・高成績ではない低所得層の子女が貸与型奨学金で

無理に大学進学したために余計に辛い人生となる

お金を借りて……良い事ばかりでもありません。

日本学生支援機構の奨学金に関するサイトは以下のURLを参照願います。

https://www.jasso.go.jp/shogakukin/

また各大学のサイトも確認した方が良いです。


授業料免除……ようするに学費の免除。

学生本人からの申請に基づき、

経済的理由によって納付が困難であると認められる者、

又はその他やむを得ない事情があると認められる者に対し、

選考の上、授業料の全額、半額又は1/4の額を免除する制度。

作者は大学2年次に申請し、以降ずっと半額免除が通りました。

申請の際に必要な情報としては親(世帯主)の収入とその扶養家族の情報だったと思います。

高校の時から申請しておけば良かったなぁと思っています。

日本学生支援機構の給付奨学金(授業料免除等)に関するサイトは以下のURLを参照願います。

https://www.jasso.go.jp/shogakukin/about/kyufu/index.html

こちらも各大学の掲示板、サイトに掲示されることが多いので

そちらも確認した方が良いです。



学生寮……学生が住む寮。そのままの意味。

設備としては大学によってピンキリで、掛かるお金もピンキリ。

作者が住んでいた学生寮はオンボロで

4畳半に2人部屋というかなり狭い間取り。

また上下関係が厳しく、理不尽に殴られたり、酒を飲まされたりでした。

ただし住むには月1000円以下という破格の安さで御座いました。

寮の代表的な決まりごとは以下です。

・基本的に部屋以外の設備(風呂・トイレ等)は共同

・朝夕の食事がつく場合もある

・外出制限や門限がある場合も……

・食事時間・入浴時間に制限がある

入居を決める前に見学及び寮の規則等を調べることをお勧めします。

ゼッタイ!!



源泉徴収票……会社員の収入の証明として使われる書類。

1年間の「給与収入」「納付した所得税額」「控除額」などが記載されています。

個人事業主(自営)だと源泉徴収票では無く確定申告となります。

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