彼女ーミサキーがいた日々
itako8
第一章 ミサキとの出会い
第1話 彼女の名はミサキ
1996年4月25日(木)
今日は天気がいいから、走ったら気持ちよさそうだなあ。
グランドの隅っこで腕立て伏せに耐えながら
俺はそんな事を考えていた。
陸上部のカウントが春の空に響く。
「……ニジュウハチ、ニジュウキュウ、サンジュウ!!」
ようやく腕立て伏せが終わった。
あんまり好きじゃないんだよな、補強(筋トレ)は……。
しかし高校でも中学とやる事変わらないんだ。
そんな事をぼんやり思う。
「よーし。それじゃ各自種目ごとに分かれて準備とトレーニング!」
陸上部キャプテンの指示が飛ぶ。
これでようやく走れるよ。
でもまだ準備があるか……。
タオルで汗を拭いながら
これからの作業をどうしようかアレコレ考えていた。
「中長距離はこっちに集まって!」
中長距離担当の3年が声を出す。
「1年は他の競技の準備手伝ってあげて、
まず高跳びの準備の手伝い。それが終わって
ハードル、幅跳びが残ってったら手伝ってあげて。
その後に外周5周走って
走り終わったら、マネ―ジャーに報告。
2、3年はウォーミングアップで全員で外周2周。
その後、自分の専門毎にタイム測って
マネに報告。後はいつもどおりで」
"またいつもどうり"と思いながら他の競技の準備の手伝いを始める。
準備が大変なのはハードルとか高跳びのマットとかだ。
ライン引きは力仕事じゃないし、女子に任せよう。
"またいつもどうり"
高校に入れば何か変わるんじゃないか......そんな淡い期待があった。
でもやっぱり何も変わらない。
そんなことを考えていたら、
ラインを引きながら、ちゃっかりと女子と仲良く、
くっちゃべってる1年男子を脇に見つけた。
仲良く並んでライン引いちゃってまぁ。
サボってるわけじゃないから
別にいいけど。
「あいつらいいよな」
同じく1年男子で長距離の遠藤がぼそっと呟く。
少し前までは俺の事を怖がって
話しかけてもくれなかったが、
それなりにこいつとも仲良くなった。
「まぁまぁ。マットの準備しよーぜ」
重いマットを専用の台車で運びながら、軽い感じで遠藤に返す。
その様子に少し戸惑いながら遠藤も台車を転がした。
「鬼塚。お前、思ったよりよりいい奴だな」
思ったよりか……。
この髪の色、面構え、名前、中学での悪評を考えればしょうがないか……。
遠藤と1年の跳躍専門の奴らで
マット、支柱、バー等の準備を整えていく。
「おい。ライン引くなら投擲からにしてくれって前に言わなかったか!」
ラインを引いていた1年男子が投擲専門の3年に怒られていた。
「いい気味だ」
支柱を運びながら、またしても遠藤がぼそっと呟く。
遠藤は思ったより性格が捻くれてるのかもな。
そうは思いながらも、当たり前だが口には出さなかった。
グラウンドを見渡すと
陸上部の活動に必要な準備はほぼ終わっていた。
サッカー部、野球部、ソフトボール部も動き始めていた。
「こんなもんでいいか。外周行こうぜ。遠藤。じゃ俺たちはこれで」
近くにいる跳躍専門の1年に声を掛けて立ち去ろうとする。
「……あっ。ありがとう。鬼塚君」
跳躍専門の1年からちょっとおびえた感じの返答が返えってくる。
その対応は俺の見た目や評判からしたら
しょうがないと言えばしょうがないけど。
……それに"アレ"も噂になってるんだろうし。
遠藤とは違ってそんなに会話してないからしょうがないといえばしょうがないけど。
「グラウンドの真ん中、使いたいな。鬼塚」
遠藤が愚痴る。
グラウンドから外周に足を向けながら
遠藤は名残惜しそうにグラウンドを見つめていた。
「気持ちは分かるけど。無理だぜ」
サッカー部、野球部、ソフトボール部がいるからな。
「わかってるけど。でもたまには農道じゃなくて、
グランドのど真ん中を走りたいよ」
弱小陸上部ならではの悩みを言い合いながら、俺と遠藤は外周を走り始めた。
外周と言っても走るのは舗装された道路ではなく、主に農道だ。
ただ、それはそれで意味があると思っていた。
4月の空は青かった。
抜けるようなスカイブルー。
ずっと空に向かって走り続ける事もできるんじゃないか
そんな錯覚に囚われながら走った。
風は未だに肌寒かったが、
体が温まってくれば、涼しく感じられると思う。
そんな季節だった。
「1年の。女子。何で。外周。走らないんだ!?」
走りながら遠藤が不意に声をかけてくる。
「女子。長距離。いない。だろ」
声を適切に切りながら、走りながら、俺は答える。
跳躍専門や投擲専門も多少は外周を走る。
だけど目的はアップの為だから、すぐにグラウンドに戻る。
「いっしょに。走りたい」
遠藤は捻くれてるけど、欲望にはストレ―トな奴だった。
「他の。部活の女子。いるだろ」
目的は分からないが外周を走っている女子は他にもいる。
一緒に走りたいなら他の部活の女子にしろと俺は遠藤に促した。
「同じ部活で。励まし。合うのが。いいんだろ。分かる。だろ」
追加が必要だ。遠藤はロマンチスト。これ追加。
「ベストじゃ。無くて。ベターに。しろよ」
俺は前を走る他の部活の女子を顎で指す。
暗に、他の女子にしろと促した。
「跳躍の女子。かわいい子。いる」
遠藤の返答がとんでもない。
……だからこいつマット運び手伝ってんのか。
高跳び用のマット等は当たり前だが跳躍専門が主に準備をしてる。
ただし長距離の俺達も準備の手伝いをしている。
中長距離の先輩に手伝えって言われたからっていうのもあるけど、
俺はマットが割と重いということも知っていたし、
手伝わなきゃなぁしょうがないかとも思ってはいた。
しかし遠藤は女子目当てだったようだ。
気持ちは分からんでもないけど。
遠藤は不純。これも追加。
いや男は不純といった方がいいかも。
だから、ま、俺もたいして変わらないわけだけど……。
突然、走っている目の前をテニスボールが転がる。
横にはフェンスの低いテニスコートがある。
正直これも、"またいつもどおりか"と思った。
走っている速度を緩めて
テニスボールを拾う。
よく見ると周りにも2,3個ボールが落ちている。
道の側溝には……。無さそうだ。
道端にあるそれらを拾い上げてフェンスを越えてコートの隅っこに投げ返す。
「ボール返すよ」
「サンキュ」
外周の近くにいた
知り合いのテニス部男子1年の丹波が短く答える。
「次の日曜頼むな」
丹波はおバカな奴ではあるが、憎めないタイプだ。
そういや。丹波から頼まれごとがあったな。と思い出す。
そのやりとりの間も他はしらんぷり。
コートでの打ち合いや話し合いを続けていた。
お礼の言葉は丹波以外には無かった。
顧問がいるときはお礼とかしっかりするんだけどなぁ……。
公立高校だと、顧問の先生が部活になかなか出てこれないことあるみたいだ。
全く来ないというわけじゃなくて、最終的には来る。
陸上部の顧問もそうだけど。
周りを見渡すと、今現在、テニス部顧問はいないようだった。
お礼が無い事についても正直"またか"と気落ちしかけたその瞬間、
視界の端にこちらに顔を向けて、ぺこりと頭を下げたポニーテールの女の子を見つけた。身長が低いから、同じ1年だと思う。
もしかしたら今までも、自分が気付かなかっただけで
彼女はお礼をしてくれていたのかもしれない。
そう思うと少しだけ心が救われた。
気を取り直して再び走り始めると
やがて前を走っていた遠藤に追いついた。
「ほっとけ。あんなの」
遠藤が言う事も分からなくはない。
遠藤もちょっと前まではボールを拾っていた。
けどいつの間にか止めていた。
理由は俺が気落ちしたものと同じなのだと思う。
ただそれでも俺は続けていた。
ボールを拾ってコートに投げ入れていた。
「ボールに罪は無い。だろ?」
顔を少しニヒルに歪めて俺は答えた。
それを聞いて遠藤は苦笑していた。
外周5周目。
横に遠藤はもういない。
今日も"アクエリ"は俺のものになりそうだ。と思う。
だからわざとボール拾ってるっていうのもあるんだけどな。
勝負にならないものでも勝負になるようにした方が面白い。
またテニスコートが近づいてくる。
外周にテニス部の奴らが出てきていた。中には丹波もいた。
どうやらボールを拾いにきたようだ。
他の部活の連中も
ウォーミングアップとかで走るけど、
俺達のように走ってばっかりの部活は他には無い。
グラウンドにいずれは戻る。
ボールを拾ってくれる連中がいなくなってきたから
拾いに来たのだろうと察しはついた。
ボールを拾い上げている一年の中に
あのお辞儀をしてくれたポニーテールの女の子もいた。
ボールをコートの中に投げ入れている。
怖がられるかもしれないから
近づかない方がいいかな。
そう考えて、俺は走る速度を緩めた。
「美咲。そっちにはもうなさそう?」
テニス部の女子がポニーテールの女の子に声を掛けていた。
「だいじょうぶ。もう無さそうだよ」
「じゃ行こう」
彼女達はコートに戻ろうとしていた。
それを見計らいスピードを上げる。
あの子の名前、ミサキって言うのか……。
彼女の名前に気を取られた瞬間、
その彼女自身がこちらを見て、
そしてちょこんとお辞儀をした。
えっ!?
不意の出来事に驚いた。
一寸理解ができなかった。
でも確かに……。
あの子。俺にお辞儀したんだよな。
ミサキって名前か……。
それ以来、俺は彼女の事が
"ミサキ"という女の子が気になり始めていた。
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