真の舞台へ

4月26日の水曜日、午後6時20分。

「…そうか。本当、良い先生に恵まれたな。」

報告への所感は、簡潔ながら重さを伴っていた。

生徒が十分考えて決断したのなら、教師が口を挟んでも邪魔にしかなれない。因縁を売って来るという相手を追い払ってから、必ず無事に復学するように。

変異種同士の諍いに片を付けなければ周囲にも危険が及ぶため当分欠席したいと申し出たところ、恩師はそう答え、出発を見守ってくれたのだった。

「そっちは?バイト、本当に辞めたのか?」

「ああ。」

あっけらかんとした返答に、思わず俯く。

「…やっと取れたって言ってたのにな…悪い…。」

「別に良いさ。元々、長く続ける気もなかったし。」

「でも、俺が余計な事しなきゃ…。」

「学校の事が無くてもカオス=エメラルド探しに行こうと思ってたし、それまでにバイトも辞めるつもりだったよ。お前のせいじゃない。」

兄の声色におかしな気遣いは混ざっていなかったが、さりとて自分を許す心境にはなれなかった。

「それより、身支度出来てるだろうな?」

まとめた荷物を再度確かめ、ああと応じる。

「木刀も持ったし、缶詰も着替えも入れたし、ゲームも忘れてない。」

「ゲームは忘れろよ…。」
















畳張りの一室にりんが鳴り、沈香じんこうを伴う煙が流れる中、瞳を閉ざして無心に祈る。

亡骸の発見されてもいない両親を故人と扱う一時は、忌まわしくてならないもの。

ところが今は妙に落ち着いた面持ちで、ごく小さいとは言え、唇の端に笑みすら浮かんでいた。

「…ヘンだな。ふたりの前なのに、笑えちゃうなんて。」

頬を掻くと、再度両の手を合わせ、無言の内に報告した。

友人やその兄、新しくできた仲間と共に、探し物に出掛ける。

長く留守にしてしまうが、帰宅後は気合いを入れて家や仏壇を掃除するので、しばし見守っていてほしいと。

「…それじゃ、行ってきます。」

避けたいはずの時間の終わりを惜しみながら、氷華は立ち上がる。

仏間を後にすると同時に、空耳と分かっている「行ってらっしゃい」を感じると、双眸が滲まぬ内に出立した。
















鮮やかな紅い髪をツインテールにまとめた吊り目の少女が、玄関口に佇んでいた。

「…通せんぼのつもりか?」

「本当ならどこへでもお好きにどうぞと言いたいところですが、みすみす自殺者を出しでもしたら世間様にどう騒がれるか分かりませんから。」

「勝手に自殺志願者にすんな、クソガキ。」

「同じ事でしょう?変異種と戦うだなんて、命を惜しむ人の台詞じゃありませんよ。」

「死にたがり屋だったら、殺されねえための特訓とかしねえっつーの。ってか、邪魔だから。とっととどけよ。」

吊り目の少女は、疲れたとも呆れたとも判じ難い溜息を漏らす。

「…高校の時が最初で最後なのに、用心深くて何よりですね。」

「当たり前だろ。何ぼ手袋してたって、抑えられなかったら最後なんだぜ。」

少女が努めて無表情を崩さぬままに邪魔立てを止めると、ようやく安価なブランドのスニーカーを履けた。

「…きっと後悔しますよ。行くんじゃなかった、って。」

「ふん。行けば良かったって後悔するよりか、そっちの方がマシだわ。」

お前には分からねえだろうけどなとの意を含めた、冷淡な物言い。

紅炎さんにとってはそれが、水の合わない妹に残してやれる、せめてもの挨拶だった。
















「だから、ちッとばかり出て来るだけだッて言ってンだろうが!!」

「鼻がダサくなったからサボるって何だ!そんな理由で休む奴があるか!」

「うるせエ!もう、腹に決めたンだ!今更中止はしねエぞ!」

「意地張らないで、止めなさい!変異種同士のケンカなんて、もしものことがあったらどうするの!」

「ねエよ、ンなモン!そのために修行したンだからな!」

両親から揃って反対を表明されても、固まった決意には些かの揺らぎも生じない。

「…分からず屋が。もう知らん!どこへでも好きに出て行け!くたばっても骨は拾ってやらんぞ!」

「ハッ、上等だ!テメエこそ、オレが留守の間に干からびてたッて供養しちゃやらねエからな!」

父親との乱暴な応酬の末、天城は荒々しく門扉もんぴを開閉して去って行く。

「ちょっと、あなた…!」

「…大丈夫。絶対帰って来るさ。誰に似たんだか生意気だけど、しぶとさだけはあるからな。」

天城の父は戸口に背を向けたまま、そう返した。

妻と、他ならぬ自分自身を、強引に安堵させるために。
















「…ようするに…おねぇ、大学やめるんだ!」

「…清奈せいな。口を挟むなら、せめて正確に言葉をなぞってくれませんか?私、退学するなんて一言も言っていませんよ?」

満面の笑みに青筋が立っているのを見て取り、清奈は口をつぐむ。

「本当に休むのか、麗奈。」

「はい。変異種との争いも起こる以上、大学に通いながら片手間でというのは無理がありますから。」

「願いが叶う宝石…か。ロマンチックだけど、機械の苦手なあなたが医者を目指すって言うより、頼りない話ね…。」

「だな。…そんなあやふやな可能性に賭けてまで、力を捨てたいのか?」

魅月さんの首肯は速度に満ち、些かのぶれもない。

「この魄能を備えている限り、必ず自分の中に甘えが出ます。いざとなれば光で怪我を治せるのだから勉強しなくても良いのでは…と。そんな気持ちを持たない為にも、きっぱりお別れしなくてはなりません。」

娘の答えに、父母は異を唱えるのを止めた。

「…分かった。お前の好きにしろ。」

「気を付けるのよ。」

「ありがとう。では、行って参り―」






「やだやだやだー!!おねぇ、行かないでー!!」






しかし清奈だけは腰に縋り付き、魅月さんを押し止めようとする。






「ちょっ…清奈、離しなさい!!」

「やーだー!!おねぇが出かけちゃったら、あたし心配で寝られないよ~!!」

「知りませんよ!!もういい年なんだから、姉離れしなさい!!」

「やだったら、やだー!!一生、姉妹で共同生活したいのにー!!」

「何が悲しくて、妹の巻き添えで生涯未婚にならないといけないんですか!!」

清奈はなおも駄々をこねて聞かなかったが、最後は魅月さんの平手打ちに吹き飛ばされ、気絶したままで姉を送り出す破目に遭った。
















午後6時50分。

「来たか。」

「おうよ~。」

樹王山の頂に集合すると、霞に出迎えられた。

「では、直ちに出発するのだ。―魔界へな。」

「魔界…ですか?」

「左様。僕達が今いるこの場所…人間界とは、異なる世界。そこに、残りのカオス=エメラルドはある。」

「へぇ…魔界なんて、ホントにあったんだ…。」

「今更、意外でもねぇけどな。」

「確かに。」

変異種と呼ばれるようになった我が身や魄力、邪鬼イヴィルオーガやカオス=エメラルド。

誰が聞いても絵空事としか思わない話が本物なのだと数々見て来た今では、別の世界が存在すると知らせられても、仰天するには力不足だった。

「で、霧雨よ。その魔界とやらには、どこから行きゃいいンだ?」

「ここからだ。」

霞は樹王を指しながら、右手にした木刀へ魄力を宿す。

「この樹王は、うろが異次元へと通じている。それが、魔界へと到る道なのだ。」






大木の幹に切っ先を突き刺すと、長方形の形に切れ目を入れた。






「おお…!?」






剥ぎ取られた樹皮は、地には落下しない。






露わになった、樹の内部。






青紫色の空間へと、吸い込まれて行った。






「魄力を伴う衝撃を与えなければ開かれぬゆえ、彼の力を扱えぬ者が迷い込む恐れはごく低い。…3分間しか持たず、往来の都度この作業を要求されるのは、煩わしいがな。」






凡百の人間ならば恐れを成すにしろ幻覚と片付けるにしろ、この情景から逃避する他、対処法はなかっただろう。






しかし、俺達は勝手が異なる。






「さあ、行け!カオス=エメラルドを探す意志の揺るがぬ者は、この道を進むのだ!」






6人の変り種は、些かの迷いも躊躇いも無く、前方へと踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る