16-4 & ……

「…散々だよ」

 ケントは浴場の外の長椅子に座っていた。

 虫歯でもできたのではないかと思うぐらい、右の頬が腫れていた。

 実際はそうではなく、

 今ケントの隣で膝を抱えてうずくまっているツバサが殴ってできたものである。


「…良かったな、竜の力があって……死なずに済んだ」

「殺す気でいたのかよ」

「…当たり前だ。触られたんだぞ。胸を」

 うずくまったまま半泣きで呟くツバサ。

「記憶を消すまで殴ればよかった」

「いや、怖い怖い」


 しかし、さすがにケントも自分のやらかした事に関しては罪悪感はあるようで。

「いや、悪かったって…まさか、お前が女とか思わないし。あんまし…関わってなかったし」

「そのくせ小さいとか…結構気にしてんだぞ」

「それはすみませんでした」


 どうやら、一人称が“オレ”でも心は少女らしい。

「てか、そんな大事な事なんで黙ってたんだよ」

「聞かれなかったから」

「……」

 とっくに日は沈み、夏にしては冷たい風が吹く。

 ヒリヒリと痛む右頬に風が触れる。


 しゅぽんと身体からドラコが出て苦い顔をする。

「あー…やっちまったなぁ」

「おまっ…タイミングってのを…」


「…」

 ケントはチラリとツバサの顔を見てみる。

 確かに言われなければ、女だとは思わない。

 クールなイケメンという感じがする。


「……ずっと女の子として見られてなかった」

 ポツリと、ツバサが言葉を零す。

「ずっと銃と火薬の中で過ごしてきた」

「……ツバサ?」

「これまで数え切れないほどにモンスターを撃ってきた。人も撃った。狙って引き金を引くだけで殺せる…」

「お、おい……」

 

 抱え込んでいる膝に顔を埋めるツバサ。

「うっ…ぐすっ……」

「泣くほど!!?」


 なにか、トラウマでも呼び起こしてしまったのだろうか。


 確かに、死の予感に怯えながらお互いを撃ち合うライフル兵とこちらの存在に気づいてもいない敵をはるか離れた距離から狙撃する狙撃兵の心理は、決定的に違う。


 それなら、こんな事にトラウマがあってもおかしくないとケントは考える。


 だが、返ってきた言葉は違った。


「嬉しい……」

「は?」

「嬉しい…!!」

「……」


 その笑顔はあどけなくて、とても綺麗だった。

 乙女心ってこんなにも難しいのかと天を仰ぐケント。

 でもツバサの笑顔を見て、彼女の事が少し可愛く見えた。


「すこし、昔の話をさせてくれないか?」

 ツバサは涙を拭いて呟く。

「…昔の話?」

 涼しい風がそよぐ。

「お前も疑問に思ってただろう。どうしてオレが特機に入ったのか」


 小さな深呼吸をして、独り言の様に語りだす。



10年前。

 鷹峯ツバサ6歳。

 あの頃までは、純粋に幸せだった。

 普通の少女として生きていた。


 父親は航空自衛隊の戦闘機乗りであまり家にいなかったが、ツバサは父親を嫌わずに誇りに思っていた。

 母はいつも優しく、手塩にかけてツバサを育ててくれた。

 今思えば、温かった。あの時が一番。


 もうすぐ小学校に入学するという時期にそれは起きた。


 次元衝突。あの時は今でも忘れない。

『ご覧ください!!都内の建物が石造りの建物に蝕まれています!!』

 ニュースではファンタジー世界が混ざり始める東京の姿が流れる。

 街の中に現れた大量のモンスターが人を襲っている。

 何のタイムラグもなく、今襲っている。

 その光景は、世界が生きている様で奇妙なモノだった。

 幼い頃は奇妙という感覚など分からなかったが、それに近いものはあった。


 プルルルル……

 けたたましく鳴る電話。

「はい、もしもし。鷹峯です」

 受話器をとった母親がすぐに固まる。

 はい、と何度も頷くだけ。

 そして、受話器を優しく置いて急いで着替える。

「ツバサ…逃げるわよ」

 母は顔を青くしながら、そう告げた。


 桜が舞い散る中を人々は逃げ始めていた。

 誰も壮観な桜並木に見惚れずにただただ逃げていた。

 得体の知れない恐怖で叫び散らかす人もいる。

 目の前の日常が変わっていく恐怖。

 どこまで東京が変わり果てるのかも分からない恐怖。


 交通機関は逃げる人たちでいっぱいになった。

 どこかで圧死した人もいたらしい。


 だから母親と手を繋いで走った。


 どこまで行っただろうか。

 人通りの少ない道にいた。

「ママ、どこまでいくの?」

「そうね…どこまで行こうかしら…」

 困った顔をする母親。

「わたし、おなかすいた」

「…ほら。これでも食べて」

 母親は困り顔で飴玉を一つくれた。


「———」

 ふと母親の動きが止まる。

 目の前には2頭の毛むくじゃらのオーク。

 視線は母親に集まっていた。


「(おい、ありゃとびきりの人間の雌じゃねぇか?)」

「(そうみたいだな…)」

「(ここまで来てやらねヤらねぇ訳にはいかねぇよ)」

 2頭のオークは下衆た笑みを浮かべながら、母親の腕を掴み体を抱く。

「や、やめてくださいッ!!」

 抵抗するもオークの力には敵わない。


「だめ!!ママをはなして!!」

 ツバサも必死に母親をオークから引き剥がそうとする。

「(なんだコイツ、邪魔臭え)」

「(どっか行けやぁ!!)」

 逆にツバサが突き飛ばされる。

 幼い身体がアスファルトに乱暴に着く。

 頬や膝を擦りむいた。痛い。


 その目の前。どこかへと連れ去られていく母を見て、叫んだ。

「ママ、ママ…ママーッ!!!」

 叫んで、母の事を思い出して泣いて、また叫ぶ。


 そして泣き疲れて、眠ってしまった。


 *


「おそらく、あの時からモンスターが嫌になっていたのかも知れない。母親はその後、行方不明のまま生存期間を過ぎて死亡とみなされた。

父親の乗っていた戦闘機が撃墜された事を知ったのは中3になってかな。国家の英雄の一人として語られるなんて思っていなかった」


 親がいないせいで学校には中学校までしか行けない。

 学校には馴染めず不登校。

 最終的には小4で施設送り。

 そのまま施設の中から特機に入れられた。

 残りの年でモンスターを殺し続けた。


「どうやらオレは射撃が天性の才能だったらしい。狙っては撃って、狙っては撃ってを繰り返す。逃げ惑う姿はまるで虫のようで滑稽だった。

 初めは引き金を引く指も震えてたが、あの時を思えば、かける情けなど消し飛んだ」


ツバサの言葉の一つ一つが重く感じた。

彼女が向けてきたモンスターへの憎悪は、計り知れないのだろう。


「だから——あの時、渋谷で見かけた君の姿には少し驚いたよ。誰とも分からないゴブリンを助ける為に自らをなげうって巨大なムカデに挑んだあの姿。

 誰かの為にその力を使うこと。その誰かが人間であってもそうじゃなくても。君は守る為に使う」


 そんな君が、眩しい。

 漏れ出た一言は、風に消えていく。


「誰かの為のヒーローに君はなるんだ」

 

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