カマキリとハチドリ

すでおに

カマキリとハチドリ

 ハチドリが羽を休めるために切り株に止まった。夏の終わりが近づき、午後の日差しは勢いを失くしていたが、小さな体のコバルト色は鮮やかに映えていた。


 気配に気づき、視界の端に目をやった。枯れ枝に見えたそれはカマキリだった。ハチドリはとっさに身構えたが、カマキリは切り株にもたれかかったまま動かない。


「生きているのかい?」

 暗闇に誰何するように訊ねた。


「なんとかね」

 カマキリは隙間ほどに開けた目でハチドリに言った。


「そんなところで何をしているんだい?」


「なんにも。もう何をすることもできなくなってね」

 カマキリは項垂れたまま。瑞々しい緑だったであろう体は干からびて茶に変色していた。


「お腹が空いているのかい?」


「しばらく何も食べてないね」


 嘘でないのは体を見れば分かるが、好物のハチドリを前にしても微動だにしなかった。


「どうして何も食べていないんだい?」


「餌を獲りたくても獲れなくなってしまったんだ。鎌がすっかりなまってしまってね。ご覧の通り、この有り様だよ」

 気だるげに両方の鎌を顔の前にかざしてみせた。

「ボロボロで使い物にならないんだ」


「よくわからないな」

 カマキリの鎌が使えないとはどういうことか。不可解な回答にハチドリは首を傾げた。


「使いすぎたせいで、すっかり役に立たなくなってしまったのさ」

 息切れしたように鎌をだらりと下ろした。


「使いすぎた?」


「たくさんの生き物を殺めてしまったんだ」


「生きるためには餌を獲らなければいけない。この世界の掟だろう?」


「生きるためならね。生きるためならば仕方がない。でも僕はそれだけじゃなかった。自分の腕を自慢したくて、無益な殺生を繰り返してしまったんだ。昆虫から鳥や魚まで手当たり次第にね」


「いつのことだい?」

 いまの姿からは到底想像がつかない。


「昔の話さ。遠い昔ではないがね。狙った獲物は必ず仕留める、森一番のハンターだった。僕から逃げられる者などいないと仲間は持て囃した。僕は有頂天で、自慢の鎌を見せびらかすために、必要のない命まで奪ってしまったんだ。自分を疑いもせず、思う存分鎌を振るったよ。時には気に食わない仲間にまでね。みんな僕のことを恐れた。怖がられるって案外気分のいいものなんだよ」


 法螺を吹いているようには聞こえなかった。どこか得意げな語り口も、本心でないのが伝わった。


「それがある日突然、本当にある日突然鎌が切れなくなっちまったんだ。あれ?どうしたんだ?こんなはずじゃないって。今までなら一太刀で済んだのに上手くいかない。おかしい。おかしいぞってね」


 カマキリは視線を落とした。


「初めのうちは誤魔化せたけど、段々どうにもならなくなった。いよいよなまくらになると、森の生き物たちも気づき始めた。それ以来僕は身を隠して生きたよ。鎌の切れないカマキリは、飛べない鳥と同じだからね。幸いといっていいのか餌にありつけずにいたら体が変色して目立たなくなった。仲間もみんな離れていったけどね」


「本当の仲間じゃなかったんじゃないかな」


「誰も餌を分けてくれない。ひとりぼっちさ。それでこんな弱弱しい身体になってしまったってわけさ」


「自業自得ってやつかな」


「その通りさ。気づくのが遅すぎたんだ。いまでもふとした時に、得意になってした悪さが頭に浮かんでくる。僕の鎌がのど元に食い込んでもがき苦しむモンシロチョウやコオロギの姿がね。これ見よがしにしていたことが、いまになって自分の首を絞めるんだ」

 なにかを振り払うように頭を左右に振った。


「食べるためではなかったんだね」


「自分の力を誇示するためさ。いまにして思えば本当に下らないことだよ。もっと有意義に生きられたのに」

 そういうと残りの力を振り絞るように身を起こしてハチドリに向かった。ハチドリは足音を立てないようそっと後ずさりし、すぐに飛び立てるよう羽の付け根に力を込めた。


「僕を食べなよ」

 カマキリが言った。

「せめてもの罪滅ぼしだ。君にとって僕はごちそうだろう?古びた体だけど生きている新鮮なうちに食べておくれよ」


 だまし討ちを意図していないことは見ればわかる。体力ももう残っていまい。


「遠慮しなくていい。死ぬ前にほんの少しでいいから誰かの役に立ちたいんだ。こうして話を聞いてくれた君に食べてもらえるなら僕も本望さ」


「それで君の罪が消えるわけではないだろう?」


「もちろん。罪は消えない」


「それでも少しは気がおさまるんだね?」


「ほんのちょっぴりね」

 微かに表情が緩んだように見えた。


「それじゃあ遠慮なくいただこうかな」


「そうしてくれるとありがたい」


「なんのお礼もできないけど」


「そんなのいらないよ。これから死ぬのに何をもらっても仕方ないだろう」


 ハチドリは瞬きして言った。

「それなら代わりに君のことを仲間に伝えるよ。こういうカマキリがいてこういう話をしてたってね」


「それは嬉しいな。僕の経験が誰かの役に立てるかな」


「立てるといいね」


 それを聞くと、カマキリは安堵したようにそっと目を閉じた。

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カマキリとハチドリ すでおに @sudeoni

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