3.肉、肉食べたい

 へっ!?

 あまりの出来事に唖然とする涼真。

 近所の公園にいたはずなのに、目の前にはたくさんのチューブに繋がれた彩夏が苦しそうに横たわっている。

 なぜそんなことが可能なのだろうか? 涼真は一瞬夢ではないかと疑ったが、目の前の彩夏はどこまでもリアルに残酷で、辛い現実そのものだった。


 涼真は静かに彩夏に近づき、病魔に巣食われてしまった大切な妹をそっと見つめた。

 先週見た時より明らかに痩せこけた頬、抗がん剤の副作用ですっかり抜けて禿げてしまった頭。去年まで一緒に海水浴に行ったり元気に飛び跳ねていた健康美少女は、まるで死神に囚われてしまったかのようにすっかり生気を失ってしまっている。

 涼真は空間を跳ばされたことよりも、目の前の背筋のゾクッとする現実に思わず青ざめた。

 小さいころは『涼ちゃん、涼ちゃん』と、自分の後ろをチョコチョコと追いかけてきた笑顔の可愛い大切な妹、その変わり果てた姿に息が止まりそうになる。


 しかし今は『神の雫』がある。涼真は大きく息をつくと、点滴チューブのついた彩夏の手をそっと握った。

「あ、涼ちゃん……」

 彩夏は薄目を開けながらしゃがれた声でつぶやいた。

「彩夏、神の薬を持ってきたぞ。これで治る」

 涼真は自然と湧き上がってくる涙をそっと拭くと、チョコの包みをむいてそっと彩夏の口元へ持っていった。

「涼ちゃん、私、口内炎だらけで……そんなの、食べられないわ」

 彩夏は苦しそうに、途切れ途切れの小さな声を出す。

「ごめんな。でも、これ一つだけ含んでくれ。本当に治るから」

「……。絶対?」

「絶対」

 涼真はギュッと彩夏の手を握り、まっすぐに彩夏を見つめる。

 彩夏はゆっくりと息をつき、涼真の手をギュッと握りかえすとパクッとチョコを口にした。

 すぐにとろけて噴き出すブランデー。彩夏は想定外の芳醇な甘露に思わず目を真ん丸に見開く。

 直後、全身がブワッとピンクに光り輝いた。

「へっ!? なにこれ!?」

 彩夏は身体にエネルギーが満ち溢れて行くのを感じ、ガバっと身体を起こす。すると、みるみる艶やかな黒髪が生えてきて肩くらいの長さにまで伸びていく。痩せこけて青白かった肌も紅潮し、つやつやに張りを取り戻す。

「彩夏ぁ!」

 涼真は涙をポロポロ流しながら彩夏に抱き着いた。

「涼ちゃーん!」

 彩夏も涙を流しながら涼真を抱きしめ、絶望に塗りつくされた闘病生活に訪れた突然の奇跡に打ち震える。そして何度も何度も涼真をきつく抱きしめ、闘病の中で心に溜まったおりを吐き出すかのように歓喜の嗚咽おえつで身体をゆらした。

 二人の嗚咽は静かな夜の病室にいつまでも響いた。


       ◇


 落ち着くと、涼真は彩夏の泣きはらした顔をタオルで拭い、もう一度優しくハグをする。

 そして、看護師を呼んで状況を説明すると、看護師は唖然としてしばらく言葉を失っていた。

 本当はすぐにでも退院させたかったが、医者の許可がないと退院できないとの事で、翌日を待つことにする。

 涼真が清々しい顔で病室を出ると、美奈たちが長椅子に座って雑談してるのを見つけた。

「ありがとうございます!」

 涼真は駆け寄って美奈の手を握る。

「ふふっ、良かったじゃない。ただ、あれだけじゃガンは完治しないわよ」

 美奈は淡々と告げる。

「えっ!? まだ……治ってないんですか?」

 顔を曇らせる涼真。

「ガン細胞はね、一つでも残ってたらまた増殖し始めちゃうのよ」

「じゃ、どうしたら……」

「魔王倒したら完治させてあげるわ」

 美奈はニヤッと笑う。

「わかりました。魔王退治でも何でも死に物狂いでやります!」

 涼真はこぶしをギュッと握り、力強い目で美奈を見据えた。

「じゃ、任せたわよ。後はこの娘、シアンの言う事聞いてね」

 美奈はそう言って青い髪の若い女の子を引き寄せた。

「まずは研修からだね。明日、うちのオフィスに来て」

 シアンはニコッと笑うとデニムのオーバーオールの胸ポケットから名刺を出し、涼真に渡す。

 そこには田町の住所が書かれてあった。


      ◇


 翌日、無事退院となり、涼真は大きなリュックに入院荷物を詰め、彩夏と駅へと向かう。

「うわぁいい天気!」

 彩夏は青空に大きく両手を伸ばし、うれしそうにクルリクルリと回った。

 この三カ月はチューブに繋がれて病室で寝たきりだったのだ。その解放感には格別なものがあるだろう。優雅な軌跡を描きながら舞う黒髪、輝く笑顔に涼真は目を細めながら、美奈の授けてくれた奇跡に心から感謝をした。

「お腹すいてない?」

 涼真が聞くと、

「空いたー! 肉、肉食べたいなぁ」

 と言いながら上目づかいで答える。

「に、肉? 肉かぁ……」

 やや戸惑いながら辺りを見回すと、駅の方に焼肉屋の看板が見える。

「じゃぁ、あそこにするか?」

「うん!」

 彩夏はキラキラとした笑顔で答えた。

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