第3話 言い渡されたこと

 私は先生と暮らしたけれど、先生が私の何に当たるのか、私は考えないようにしていた。


 親戚に預けられたのか、養子としてもらわれたのか。私は親についても、それまでどこにいたのかも覚えていなかった。覚えていないのか、思い出す価値もないのか、もう思い出したくないのか……。とにかく、私は自分について考えないようにしていた。何でもいい、いつもあるがままでいいと思った。考えるのが怖かったのかもしれない。私は最初の時点で自分が先生の子ではないと知っていたので、このとき手に入れた有り余るしあわせを狂わせないよう、知らん顔して自分のものにしておきたかったのだろう。兄だっているのだから、何も不満なんてないじゃないか……と。


 そういう魂胆だったので私は出来るだけ明るく振る舞おうとしていた。先生にも兄にも嫌われたくなかった。明るく元気な子供が嫌われるわけがないと括っていて、無邪気に過ごすよう努めていた。


 兄は元気な子供で、私もそれにあわせていた。先生の方はほとんど笑わないけれど目で何かを語っている気がして、不安を抱くことはなかった。見守られているという気がしていて、安心するほどだった。


 半年ほどが過ぎようとしていた。先生の部屋に呼ばれ、正座をして聞くようにと言われたとき、先生の口から出た言葉に突然頭を殴打されたような衝撃を受けた。


「私がおまえの面倒を見るのは十八才までだ。その後のことは一切、手助けはしない。ここを出て一人で生きるということを忘れないように」

 私の儚い希望にひびが入ったときだった。

 不意なことに何も言えないでいる私に、先生は話を続けた。


「その上で考えなさい。いつか旅立つ日のために、これからの毎日をどう過ごせばいいのか。私はおまえの決めたままを施してやろう。安穏と毎日を過ごして大人になって後悔し、つらい一生と対峙するか、今のうちからしっかりと鍛錬して、ある程度の準備をしておくのか。もちろん、運が味方すれば楽に一生を過ごせることもできるし、反対に努力しても報われないこともある。さあ、自分の責任で選びなさい」


 十八という年齢は、当時は想像もできないほど遠い未来だった。はっきり言って、それがどれほど近く、あるいは先のことなのかは理解できなかった。そんな時間感覚もないのに一人で生きろという言葉は、ひどく重さのあるものだった。ましてや、こんな子供に生き方を問われるなどしても。


 自分の責任で選べという問いに私は「無理です」と答えたかった。耐えられそうにない運命を自分で決めることも、実行することもできそうにないと言いたかった。


「世の中は厳しい。誰かが助けてくれるわけでもないし、失敗しても大目に見てはくれない。そういうところに出て行かなければならない。私が面倒を見てやれるのも、失敗を許すのも今だけだ」

 それで私はほとんど泣きながら「はい」と答えた。

 先生は厳しい顔つきから一転してやさしい顔を見せ、静かに笑った。


「泣かなくてもよい。誰もが経験することを少し先にやるだけだ。先に生きている私がわかることを教える。そうすれば、いつの日にか役に立つだろう」


 この日の先生は思い出す中でも相当に恐ろしいものだった。部屋に帰ってきた私を兄がなだめてくれなかったら、一晩中泣いていただろう。兄は自分もおなじことを言われた日があったと語り、確かに先生は厳しいことを言うけれどどんなときも見捨てない、自分たちが懸命ならば無下にはしないと励ました。


 翌日から先生は私のために手を尽くしてくれて、私はいくつかの習い事を始めていった。特に習字とそろばんは役に立っている。字は人を現すし、素早い計算は明晰さを示している。実用面だけでなく、印象としてもとてもいいのだ。これらの技能が決して古いものではないと今も思っていて、習い事を探している人には勧めている。

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