3-1

 一日半の間、合間に休みを入れながら歩き続けて、ようやくイセの里の手前にある街に着いた。新しい服を買って、夕食を食べた。

 カツキと別れてからも、保存食と水しか口にしていなかった。久しぶりに食べる米のごはんは、ただただおいしかった。カツキは二度とこれを食べられないのかと思うと、うっかり泣きそうになった。

 街の宿で、一晩泊まっていくことにした。

 外にある井戸を借りて、鎧と武具についた汚れを落とした。血は落ちなかった。

 服は洗わなかった。おれとカツキが着ていた服は、畳んで布袋に詰めた。


 まだ暗いうちに街を出て、明け六つの頃には里の検問まで来ていた。

「おお! マサトか」

「どうもー。戻りました」

「カツキさんは? 旅の方はどうした」

「都に帰りました」

「そうか。ダークムーンは救えたのか?」

 答えに詰まった。ダークムーンは生きているし、元気になった。その代償として、おれは、大事な友人を失った。

「ここでは、控えさしてもらいますわ。フソウさんに話します」

「それがいいだろうな。ご苦労さん」

「お疲れさまです」


 トバ家の屋敷を目指して歩きだした。体は回復していたけれど、心は疲れていた。

 向こうから、人が近づいてくるのが見えた。

「ミハルちゃん!」

 おれの足は、自然と駆けだしていた。

「マサトくん。おかえりなさい」

「なんで、おれが帰るって」

「分かっとったわけやないよ。毎日、朝晩に検問まで来とったの。それだけ」

「毎日? いつから?」

「マサトくんが出発した日の、次の日の朝から」

「そ、そうか」

 ミハルちゃんは真顔だった。

「カツキくんは?」

「都に帰ったわ」

「そお……。残念やね」

「せやな」

 おれは、笑った。それ以外に、おれにできることはないような気がした。

 ミハルちゃんが眉をひそめるのが見えた。

「マサトくん。つらかったん?」

「つらかった、なあ。さびしかったわ」

「ああ……。お別れする時に?」

「うん。まあ、あれや。あいつは要領がよさそうやからな。

 どこでも、うまくやっていくやろ」

「ええ子やったね。ここに、ずっとおるんかなと思っとった」

「おれも」

「母屋に行く前に、離れに寄っていって」

「ええけど……」

「ごはん、できてるの。食べていって」

「ありがとう」


 立派な朝食だった。宿で食べたものよりも、ずっとぜいたくな料理に見えた。

 ミハルちゃんは、おれの横に座っている。自分の膳は用意していなかった。

「どお?」

「うん。うまい」

「よかった」

「これ、兎の肉か。うまいなー」

「うん。かわいそうやったけどね。市場で、丸ごと買うたの」

「ミハルちゃん、これ捌けるんか」

「ううん。ミカちゃんが手伝ってくれた。

 今日、帰ってこられてよかった。明日には、いぶして、長持ちできるようにしようて、思っとったの」

「それ……。おれのために?」

「もちろん」

「そうか。そんなら、急いだかいがあったわ」

「急いどったん?」

「……うん。はよう、帰りたかった」

「カツキくんが、帰ってしまったから?」

「それもあるわ」

 ミハルちゃんが、ふうっと息を吐いた。

「あたしも、もらおうかな」

「食べてや。落ちつかんわ」

「ごめんね。……なんやろうね」

「食欲ない?」

「ううん。マサトくんの顔を見とったら、胸がいっぱいになってしもうて」

 おれの方こそ、胸がいっぱいになった。

 ミハルちゃんを好きな男は、この里にいくらでもいるはずだ。それでも、神がかりする巫女さんに言い寄る勇気のあるやつはいないだろう。言い寄るやつがもしいるとしたら、それはきっと、おれに違いない。


 厨房に姿を消したミハルちゃんが、自分の膳を持って戻ってきた。

「おれがおらん間、大丈夫やった?」

「うん」

「そんなら、よかった」

「おいしい」

 二人で、黙っていただいた。


 食後のおやつに、りんごを剥いてくれた。

「ごめんな。おればっかり、よくしてもろうて」

「ううん。ミカちゃんから聞いたの。マサトくんとカツキくんが西に行ったのは、やっぱり、あたしのせいやったんやね」

「ミハルちゃんのせいやないよ」

「でも……。あたしに下りた神さまが、あたしの口を使うて話したことよ」

「神さんが、な。ミハルちゃんやない」

「かなあ……?」

 華奢な指が、りんごを取った。赤い唇が開いて、白い歯がかじる。しゃりっといい音がした。

 りんごを二切れ食べてから、ふきんで手を拭いた。ミハルちゃんに渡すと、同じように手を拭き始めた。

「食べられるものと、食べるものって、同じなんやないかって、あたし思うんよ」

「……ん?」

 よく分からなかった。

「どゆこと?」

「ええとね。あたしが、兎を食べるやろ。そしたら、兎とあたしは同じなの。

 あたしが兎の命をいただいて、あたしは兎になるの。あたしは、これまでにいただいた、たくさんの命と一緒に生きとる……。へん? こういう考え方」

「や。悪くないと思うで」


 空の皿を二人で下げて、流しで洗った。

「ミカちゃんは?」

「仕事場におるよ。

 ミエちゃんがね、ナガサキから、そろそろ帰るって」

「ほんまに?」

「うん。マサトくんがおらんうちに、手紙がついたの。あっちは、あの……マリアさま信仰やったっけ。あるやない。ミエちゃん、女神さまやと思われて、大変な思いをしとるって」

「あー。ミエちゃんは、そら、目立つやろな……」

「髪だけでも、黒くしてあげたらよかったかも。帽子は、渡しとったんやけどね。

 とにかく、里が恋しいんやって」

「そうかあ。はよ会いたいなあ」

「ね」

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