夕ごはんを作った。

 お皿の用意と配ぜんは、伊勢くんとミエちゃんが手伝ってくれた。

 かんたんにできるカレーライスと、卵のサラダを低いテーブルに並べた。三人で、声をそろえて「いただきます」と言った。

「ミエちゃん、どう? 食べられる?」

「おいしいでいすー」

「鳥羽ちゃんのごはんは、あいかわらずうまいなー」

「そお?」

「めっちゃうまい。おかわりしてええ?」

「ええよー」

「もらってくるわ」


 お風呂に入れてあげようと思って、ミエちゃんを浴室につれていった。

 二人とも服は着たままで、シャワーの使い方を教えようとした。お湯を出したら、ミエちゃんが挙動不審になってしまった。

「蛇から、お湯がでてるー」

「蛇とちゃうよ。シャワーっていうの」

「こわーい……」

 うるうるした目で見上げてくる。きゅーんとした。

「一緒に入ろうか。いい? あたしと一緒で」

「もちろんでいすー」

「おれ、リビングにおるわ」


 ぬれた金髪が、肩や背中に張りついている。

 白い胸はたいらで、十才くらいのこどもの体に見えた。

「せまいけど、一緒につかろうか」

「あい」

「おしりをつけてええからね」

「はあー。ごくらく、ごくらく……」

「お風呂は、あったんよね?」

「ありましたねい」

「シャワーは、なかった?」

「なかったですねい」

「……なんかね。ミエちゃん、あたしの妹みたい」

「えっ。あ、ありがとう?」

「かわいい」

「てれてしまいますねい……」

 ミエちゃんには、きょうだいはいないのかなと、ふと思った。でも、きかなかった。いないような気もした。

 明るくふるまっているけれど、ミエちゃんの中には、なにか、ふかい……孤独の影みたいなものがあるように感じていた。

 あたしには、美夏ちゃんがいたから。父さんがいないことも、母さんが仕事で家をあけることが多かったことも、しょうがないことだとあきらめることができた。

 だけど、たぶん……。ミエちゃんには、誰もいなかった。

 小さな手をとって、お湯の中でつないでみた。ほかほかとあったかくて、あたしは満足した。

「トバ?」

「なんもない。あったまったね。上がろうか」


 あたしのパジャマを着せたミエちゃんと、リビングに戻った。

 伊勢くんが、キッチンで洗いものをしてくれていた。

「お皿、洗ってくれとるん? ありがとー」

「どういたしまして。お風呂、終わったんか」

「うん」

「どきっとしたわ。髪ぬれると、ぺたーんて、なるんやな……」

「ぺたーんって」

 笑ってしまった。

「や。ふだんは、ふわっとしとるから」

「くせっ毛やからね。

 ドライヤーで乾かすわ。ミエちゃーん。おいで」


 ミエちゃんは、ドライヤーに怯えた。

「いやーんです。風が、かぜが、ぶわあーって」

「あはは。かわいいー。逃げんといてー」

「ふわわわわ……」

「あかん。わろてまう」

「見せものでは、ないのでいす!」

「ごめんな。がまんするわ」

「ふぃーん……」

 しぶい顔をしてるミエちゃんの髪を、ていねいに乾かしていく。しばらくしてからのぞきこむと、もう慣れたのか、気持ちよさそうに目をつぶっていた。


「パジャマ、ぶっかぶかやな。買うてやらんと……」

「そやねえ。昔の服、とっておいたらよかった」

「妹がおったらよかったんやけどな。弟しかおらんわ。しかも、二人も」

「伊勢くんとこは、男兄弟だけやもんね。うちは、美夏ちゃんと二人で……。

 母さんがね、たまに、ぽろっと言うとったわ。『男の子もほしかったね』って」

「うちのおかんも言うな。似たようなこと」

「そうなん?」

「うん。おれらのお嫁さんだけが、楽しみなんやって」

「そお……」


 リビングの本棚を見ていたミエちゃんが、「おや」と言った。

「こくごじてん……」

「わかるん?」

「あい。辞書ですねい。読んでもいいですかねい?」

「どーぞ」

「ありがとうでいす」

 国語辞典をテーブルに置くと、自分のかばんから、なにかのケースを出してきた。

 ぱかっと開けると、眼鏡が入っていた。ものすごくぶあついレンズの眼鏡だった。それをかけて、ぱらぱらとめくり始めた。

「ちょっ……。ごっつい眼鏡やな」

「ミエちゃん、目が悪いん?」

「遠くは見えるのでいすが。近くが見えづらいのでいす」

「ぶあついレンズやなー」

「さまになっとるね。学者っぽい」

「そういやあ、津市に、えらい学者がおったよな」

「えっ。知らん。誰?」

「誰やったかな……。あ、『たにがわことすが』や」

「わからん。教科書に載っとる?」

「いやあー。載ってへんのやないか。

 江戸時代の人や。日本で、初めて国語辞典を作ったんやって」

「すごい人やないの。なんで、知らんかったんやろ」

「本居宣長は有名やけどな。たにがわさんは、まあ、知る人ぞ知る……偉人なんやろうな」

「そのお話、とっても興味がありますねい」

「ほんまに?」

「あい!」

「そしたらな、津市に資料館みたいなんがあったはずやから。つれてったるわ」

「ありがとうでいすー」

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