いせとば -伊勢くんと鳥羽ちゃんの、ちょっと不思議な話-

福守りん

1.異世界から飛ばされてきたのでいす

いせとば、ミエちゃんと出会う

 伊勢いせくんが、電話中に「伊勢神宮に行きたいんやけど」と言いだしたので、土曜日のデートは伊勢参りに行くことになった。

 今は春休み。高校の卒業式は終わっていて、あたしと伊勢くんは、四月から大学生になる。

「なんで、お伊勢さん?」

鳥羽とばちゃんなあ。赤福の本店、行ったことある?」

「ないなあ」

「昨日の夜。おかんと赤福の話しとったら、めっちゃ行きたなった」

「ええけど……」

「行きたない?」

「ううん? けっこう遠出になるから、どうかなあと思っただけ」

「大丈夫やて。おれがついとるし!

 朝はよう出て、日帰りするつもりやけど。どお?」

「ええよ。こまかいことは、LINEで決めよっか」

「うん」


 電話が終わってから、階段を下りてリビングに向かった。

 美夏みかちゃんの姿はなかった。

 あたしと美夏ちゃんは、この家に二人で住んでいる。

 あたしたちの家がある志摩町の片田は、「アメリカ村」と呼ばれていたことがある。由来は、明治時代の終わりから、第二次世界大戦が始まるまでの間に、アメリカに移住した人が多くいたから……らしい。

 小学一年生までは、母さんと美夏ちゃんとあたしの三人で、神奈川に住んでいた。そのせいかどうかはわからないけれど、あたしの方言は、アクセントがおかしいらしい。標準語でもしゃべれるけれど、方言でしゃべれるようになってからは、標準語は使わないようにしていた。まわりの人に驚かれたり、遠まきにされたりするのが嫌だったから。

 うちには父さんがいない。あたしたちを一人で育ててくれた母さんは、今はアメリカにいる。あたしが中学二年生の時に、中国人とアメリカ人のハーフの男の人と再婚してからは、パパの仕事に合わせてアメリカと中国を行ったりきたりしている。日本に帰ってきた時には会えるけれど、それ以外は、電話かLINEのやりとりだけだ。

 あたしと美夏ちゃんの共同の銀行口座には、毎月一日ごろに、パパからお金が振りこまれる。たまに日本で会えた時には、パパは、あたしたちのことをすごく気づかってくれる。だから、あたしはパパのことが嫌いじゃなかった。

 本当の父親とは、一度も会ったことがない。母さんからは、結婚には向いていない人だったとだけ聞かされていた。

 廊下に戻って、奥の和室まで歩く。板ばりの廊下が、あたしの重みで、ぎっぎっと鳴った。


「美夏ちゃん。開けてええ?」

「ええよ」

 襖を開ける。もう三月なのに、ぶあついはんてんを着た美夏ちゃんの背中が見えた。

 美夏ちゃんは、奥の壁にくっつけて置かれた、大きな座卓に向かって座っている。あたしは腰をかがめて、畳の上に座りこんだ。

 六畳の部屋は本棚だらけだ。ここは美夏ちゃんの仕事場で、寝室は二階にある。

 中学生のころから英語が得意だった美夏ちゃんは、大学を出てから、ずっと翻訳の仕事をしている。勤め先の会社は鵜方うがたにあるけれど、週の半分くらいは在宅で働いている。

 美夏ちゃんがノートパソコンから手を離して、あたしの方に体を向けた。

「どうしたん?」

「ごめんね。仕事中に。

 あたし、土曜日に伊勢まで行ってくる」

「ええ? なんで? 誰と?」

「伊勢くん……。行きたいんやって。今さっき、決まったことなんよ」

「大丈夫? 高校生が二人で迷子とか、やめてよ」

「もう高校生ちゃうよ。卒業したし」

「そやったね。伊勢くんのこと、母さんには言った?」

「ううん」

「まあ、言うても心配さすだけか。夏まで、帰ってこられんしね……。

 行ってもええけどね。連絡だけは、ちゃんとつくようにしとってよ」

「うん。わかった」

「ねえ、美春みはる。進路決まってよかったね」

「なーに? 急に……」

「大学に受かった時は、ほんまに、ほっとしたわ。母さんは、美春が中学生の時から日本を離れとったし。どうにもならんかったら、私の責任よねって、思うてたから」

「美夏ちゃんの責任なんて、なんもないよ。あたしは、美夏ちゃんのこどもやなくて、妹やし」

「そうは言うけどね。十も年下やと、娘みたいに感じてしまうんよ。

 春休みやからって、あんまし開放的にならんでね。気をつけて、いってらっしゃい」

「うん」


* * *


 伊勢くんと、伊勢神宮に行く日。

 あたしが乗ったバスには、伊勢くんは乗ってこなかった。

 伊勢くんは大王町に住んでいる。同じバスに乗れなくても、鵜方まではそれぞれで行こうと決めていた。

 鵜方駅前でバスから下りて、伊勢くんの姿を探した。

 ターミナルの近くにある売店の前で、立ちどまっている伊勢くんを見つけた。すぐ横に行って、声をかけた。

「伊勢くん」

「おー。鳥羽ちゃん」

「なにか、買うん?」

「いや。見とっただけ」

 伊勢くんは、紺色のダッフルコートを着ている。下は黒のジーンズで、靴はコンバースのスニーカー。黒いリュックをせおっている。

 あたしは、赤いジャンパーの下にベージュのトレーナーを着て、赤と黄色のチェックのスカートをはいている。靴が伊勢くんと色ちがいのおそろいになってるけれど、これは、とくにねらったわけじゃなかった。肩からかけた帆布のバッグには、お財布とスマホ、ハンドタオルとポケットティッシュ、小さなくしとかを入れている。

「かわいいなあ」

「そお?」

「これ、ワンピース? スカート?」

「スカート。おかしない?」

「ぜーんぜん。かわいい。かわいい」

「ありがと……」

 てれてしまった。伊勢くんは、くったくなく笑っている。

 とくにお化粧したりはしないで来てしまったけれど、伊勢くんは、まるで気にしていないみたいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る