第61話 わたくしという存在

 ふっと、意識が浮上するような感覚。

 久方ぶりの感覚だと思ってしまうのは、長らく目覚めていなかったから、なのでしょうね。


「おじょう、さま……?」

「…………アンシー……。よかった、無事だったのね」


 首だけを動かして声のした方を見てみれば、事故のあの日一緒に馬車に乗っていた侍女の姿。

 わたくしが危険かもしれないから残りなさいと何度言い聞かせても、頑なに首を縦に振らなかったから。やはりあの日、バッタール宮中伯の陰謀に巻き込まれてしまったのですもの。


「よかった、じゃありません!!お嬢様がっ……!!ご無事でなかったのにっ……!!」

「そうでも、ないわ。わたくしはやはり、王都ここに来るべきだったのよ」


 あの時を逃せば、きっとリヒト様にはお会いできなかった。


(あぁ、いえ、でも……もしかしたらあれは、長い長い夢だったのかもしれないわ)


 わたくしだけの、現実には存在していなかった記憶。

 そう、きっと。あんなことは物語の中でしか起こらないことだもの。夢、だったの。


「他の、みんなは?」

「無事ですよ!全員お嬢様の心配をしてます!無事に王都に送り届けられなかったと、命を断とうとした者までいました!」

「あらあら。でもちゃんと、止めてくれたのでしょう?」

「当たり前です!!お嬢様はそれを望まないでしょうし、除隊も許さないでしょうから!!」

「ふふ、流石ね。ありがとう、アンシー」

「そんなことよりも!!どこか痛いところはないですか!?つらかったりとかしませんか!?」

「そう、ね。痛いところはないけれど……」

「けれど!?」

「なんだか、体が重いわ。わたくし、寝すぎてしまったのではなくて?」

「…………」


 あら?どうしてそこで黙ってしまうのかしら?

 そもそもわたくし、一体どのくらいの間眠っていたのかしらね?


「今はそんな冗談言ってる場合じゃないんですよお嬢様!!いつも通りで安心しましたよ!!」

「あらあら」


 泣き笑いなんて、随分と器用なことが出来るのね。


(それにしても……)


 本当にわたくし、ヴィクトリア・アルージエだったのね。記憶もちゃんとあるもの。

 本当に、不思議な時間だったわ。まさに夢のような時間は、わたくしという存在を改めて考え直すいい機会だったのね。


「とにかく!!今すぐ旦那様をお呼びしますから!!」


 アンシー、そこは医者ではなくて?

 とは思ったけれど、口にする前に彼女は部屋を飛び出してしまうのだもの。


「もう少し、落ち着きがあってもいいと思うわ」


 それにお父様を呼んでしまったら、大騒ぎになるわ。

 カーテンで閉じられている窓からは、光が漏れていない所を見ると。おそらくまだ、夜中なのではないかしら?

 それなら朝になってからでもいいのよ?なにもゆっくり休んでいるところを起こさなくても――


「ヴィクトリア!!!!」

「お父様ったら……」

「お嬢様!!」

「お目覚めになられたとお聞きしました!!」


 …………ちょっと、後ろに引き連れすぎなのではなくて?

 仮にも目覚めたばかりの淑女の部屋に、どうしてこんなにも男性を入れてしまわれるのかしら?本当にその辺り、お父様は乙女心を理解していらっしゃらないのね。


「皆さま!!お嬢様はお目覚めになられたばかりですから!!今は旦那様だけにして下さいませ!!」


 そしてアンシー、あなたが元凶なのよ?


(全く本当に、我が家は騒がしいわね)


 けれどようやく、帰って来たのだと実感するわ。


「ヴィクトリア、一つだけ先に質問させてくれ」

「はい、なんでしょうか?」

「"幽霊は鏡に映るのか?触れることは出来るのか?"」

「…………はい?」


 なんでしょう?その質問は。

 幽霊?それはもちろん……。


「お父様、幽霊は鏡に映りませんし、触れることも出来ませんわ。それが一体、どうしたというのです?」

「!!!!」


 いえ、そのように驚いたような顔をされても、ですね……。

 本当に、一体どういう意味がある質問なのか。何一つ、理解できませんわ。







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