深夜、六畳間のカフェで

屈橋 毬花

第1話 なんちゃってチャイ

 チャイが飲みたい。

 灯子は天井を仰いだ。

 大好きなジンジャーチャイ。スティックシナモンにカルダモン、そしてクローブ。気分でスライスした生姜も入れて煮出して、紅茶、そして豆乳ときび糖を入れるのだ。

 チャイ独特のあのスパイスの香りと舌を纏う甘さが堪らない。

 飲みたい。この疲れた体に染み渡らせたい。

 台所に目をやる。夕飯で使った調理器具と皿がシンクからチラリとこちらを覗いている。無いはずの奴らの目が合った気がして、灯子は溜息を吐いた。

 仕事で疲れた日の夜こそ、身体を労わる特別なリラックスタイムにしたいのに、そのための準備が至極億劫に思えてしまう。そう思ってしまう自分にまた溜息を吐く。

 自分が憧れる豊かな生活は、その至福の時間の一手間を惜しまないのだけれど、現実そう簡単ではないようだ。


 身体はチャイを欲している。

 しかし、面倒だと思う怠惰には勝てない。


「あー、どうしたもんかなあ」


 背中を預けていたソファからずべずべとだらしなく身体を流れ落とす。

 これ以上洗い物を増やしたくないが、チャイを欲する喉はそろそろ限界を迎えそうだ。


 こうなったら簡単に済ましてしまえ。


 最後の力のちょっと前の力を振り絞って立ち上がり、灯子は飲み物類をしまっている棚に手を伸ばす。お気に入りの大きめマグカップとストックしてあるスティックタイプのインスタントミルクティー。冷蔵庫からはチューブのおろし生姜を取り出す。カップにおろし生姜とインスタントミルクティーを入れ、お湯を注ぐ。混ぜたら、最後にスパイスラックに並んでいるシナモンパウダーとナツメグパウダーを少し入れる。


 灯子流、なんちゃってチャイ。


「今日はこれでよしとしよう」


 ズズッと一口啜る。甘い。あとから生姜の刺激が喉を駆けた。

 スパイスを煮出してつくるチャイとは全く違うのだけれど、これはこれで美味しい。


 理想の生活を手に入れたい。しかし、それがストレスになるのなら、それは豊かな生活だなんていえない。少し形は違っても、これでもいいじゃないかと思えるなら、今は理想と違っていてもそれでいいんじゃないか。


 もう一口飲んで、ソファに再び身体を預ける。灯子は先に風呂を済ましていてよかったと心の中で自分を褒めたたえた。

 シンクからは奴らの視線を感じる。


「あー、飲んだらやるかあ」


 今は自分を労わるのに集中しよう。奴らの相手はそのあとだ。灯子の台所史上最強の闘いを見せてやる。


「なんちゃって」


 しょうもない脳内茶番に終止符を打つ。今夜はじんわり温かい。

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