第35話
(※ヘレン視点)
お姉さまが捕らわれている牢獄に私が訪れたのは、これが初めてだ。
牢獄というからもっと薄暗くて汚いところを想像していたけれど、なんというか、普通の部屋だ。
しかし、そこには普通ではない光景が広がっていた。
「エマ!」
殿下が叫ぶ。
かなり驚いている様子だ。
私も、驚いていた。
「罪人は皆の前で処刑してこそ意味があるのに……、まさか、こんな方法で逃れるなんて……」
殿下は呟くように言った。
あぁ、お姉さま、処刑が決定していたのね。
だから、こんなことを……。
プライドの高いお姉さまらしいわ……。
部屋の中には、お姉さまが仰向けで倒れていた。
そして、お腹の辺りは、真っ赤に染まっている。
意識を失ったお姉さまの両手は、お腹の上で組まれていて、お腹と同様真っ赤に染まっていた。
そして、その両手の辺りから、ナイフの柄が見えている。
あまり、長い間見ていたい光景ではない。
お姉さまは、処刑する前に、自ら旅立ったということね……。
閉じられているその目が開くことは、二度とないのね……。
まあ、でも、それほど悲しいことではない。
私はそれよりも、さきほど殿下との関係が元通りになったことの方が嬉しかった。
そのことに比べれば、お姉さまのことなんて、どうでもいい。
べつに、私が殺したわけでもないし……。
はっきりいって、それほど興味はなく、これからの殿下との暮らしのことを考えていた。
「これは、遺書か……」
殿下が机の上にあった紙を見ていたので、私もそれを見た。
明らかに、それはお姉さまの字だった。
「ああ! エマ様! なんてことだ……」
一人の兵が部屋に入ってきて、お姉さまの側で膝をつき、脈を確認した。
「わずかですが、まだ脈があります!」
*
(※アンドレ視点)
「わずかですが、まだ脈があります!」
私は殿下に叫んだ。
彼は、驚いている様子である。
「殿下! 彼女は、大勢の前で処刑する必要があります! ここで彼女に死なれるわけにはいきません!」
「あ、ああ、そうだな……。よし! 今すぐ医者を呼べ!」
殿下はほかの兵に命令した。
「いえ、殿下、ここに医者を呼んでも、できることは限られています! 私が彼女を抱えて、病院へ行きます! 病院なら設備も整っているので、延命できるかもしれません!」
「ああ、そうだな。よし、頼んだぞ!」
私は殿下のその言葉を聞いて、倒れている彼女を抱きかかえようとした。
しかし、あることに気付いた。
私が苦手な生物……、虫である。
数匹の蟻が、倒れている彼女の側をうろうろとしていた。
額から、冷や汗が流れる。
いや……、落ち着け。
今は、自分のやるべきことを、やる時だ。
私は彼女を抱きかかえた。
そして、牢獄から廊下に出た。
「おい、おれも手伝おうか?」
兵の一人が、私にそう訊ねてきた。
「いや、病院までは、走れば五分で着く。私一人で抱えて走った方が速い」
私は彼の申し出を断り、廊下を駆け出した。
心臓の鼓動がいつもより速い。
それは、走っているせいだけではない。
建物から外に出た。
もう夜になっていた。
数秒間で、呼吸を整える。
そしてまた、私は駆け出した。
人を一人抱えて走るというのは、思っていたよりも疲れる。
すぐに息が上がるし、足腰への負担もかなりのものだし、何より、腕が疲れる。
どれくらい走っただろうか……。
体感的には、すでに一時間ほど走ったのではないかと思うほどだった。
腕が痺れて、感覚がなくなってきている。
さすがに、限界だ。
抱えている彼女を落としてしまったら大変だ。
これ以上、彼女を抱きかかえたまま走ることはできない。
私は一度地面に膝をつき、彼女を降ろした。
痺れている腕を伸ばして、何とか感覚を取り戻そうとした。
息もかなり上がっているので、なんとか落ち着かせようとした。
「エマ様……、目を開けてください……」
私は彼女に呼び掛けた。
しかし、彼女の目は開かなかった……。
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