第37話玉芳は煽る采夏にびくびくする
采夏は、玉芳が止めるのも聞かず、外にある大竈を使って葉っぱを炒り始めた。
中の台所にも火鉢はあるが、大きな釜を斜めに置いてより高温で炒りたい采夏は、
外に設置された大きい竈が必要だった。
傾いた釜の中で、均等に熱が行きわたるよう、釜の中の茶を掻き回しながら、采夏は岩茶の葉を丁寧に丁寧に炒っていく。
葉を炒る殺青(さっせい)と言う作業で発酵を止めているのだ。
この作業を通しておいしい茶葉となり、お茶になる。
采夏は一心不乱に炒っていくが、
側にいる玉芳は正直気が気でなかった。
(どうしよう。ここにいたら、貞花妃に采夏がいることがばれちゃう)
ここは、皇太后の住まう屋敷の庭のようなところになるが、周りの生垣の木々の隙間から、自分達の姿が見られてしまう位置だ。
つまり、外にいる者に采夏の姿が見えてしまう。
貞に采夏が今ここにいることが知られてしまう。
しかし、玉芳が止めても采夏は止まらない、
何かに憑りつかれたように葉を炒り続ける。
そうこうしているうちに、緑色だった茶葉の色が青味がかってきた。
そこでやっと采夏の動きが止まる。
「采夏、もう気が済んだ? そろそろ中に戻らないとやばいよ。今日は、朝から皇太后様もここにはいらっしゃらないし、貞花妃に気付かれたら……!」
玉芳がそう言った時、ザクザクと砂利を踏みしめる音が聞こえてきた。
玉芳が嫌な予感に駆られながら顔を上げると、そこには、獲物を見つけたと言わんばかりに采夏を見つめて歪な笑みを浮かべる貞がいた。
(ああ、遅かった……!)
玉芳の心配が当たってしまった。
皇太后がいないのを良いことに、勝手に心陵殿に入ってきたらしい。
「あら、もうこそこそ隠れるのはやめたの? 采夏妃」
「貞花妃! ここは皇太后様のいらっしゃる心陵殿よ! 花妃と言えど勝手に入ることは許されないわ!」
玉芳がそう言って前に出ると貞は睨みつけた。
「お黙り! この私に! 許されないことなんてないのよ!」
貞の怒声に、その迫力に、思わず玉芳は口を閉じる。
「本当に忌々しい。陛下の次は、皇太后の機嫌をとって、わらわに勝ったつもりでいるの? 忌々しいこの薄汚い貧乏人の女狐め!」
貞は歯をむき出しにするようにそう叫ぶ。
恐ろしい迫力だった。執念を感じた。
思わず玉芳は、一歩下がる。
しかし、この怒声を直接ぶつけられたはずの采夏本人は一歩も動いていなかった。
それどころか……。
「この香り……本当に、これが、私が作った采夏岩茶? 信じられない」
炒めた茶の葉を指で揉みながら、そこから漂う香りに陶然とした顔をしていた。
まるで貞のことなど見ていない。
どうでもよいと言いたげな態度に、貞はますます怒りで顔を赤らめた。
「お前! 私を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ! この貧乏人の芋くさい女が!!」
「え? 芋くさい? いいえ、これは間違いなく茶の匂い、ええ! そう!」
感極まった采夏がそう言って顔を上げた。そして、やっと、貞を見た。
「あら、これは貞花妃様。ご機嫌いか……ご機嫌はとても悪そうですね」
采夏のその言葉は、暢気な声に聞こえた。
殺伐としているこの空気には不釣り合いなほどに。
(采夏妃、めちゃくちゃ煽るじゃん!)
玉芳は内心でそう嘆いて頭が痛くなった。
そして玉芳が思った通り、采夏のなんともなさそうなその様がまた貞の怒りに触れる。
「お前は! どれほど、わらわを馬鹿にするつもりなの!?」
激昂して貞は叫んだ。
髪を振り乱す姿には、いつもの余裕に満ちた貞の面影は皆無。
玉芳はもちろん、貞の侍女達ですら主人の取り乱しように戸惑っていた。
「ああ、もういいわ! 殺してやる! お前がいると、わらわはちっとも楽しめない! お前たち! 采夏妃を捕らえろ! 惨たらしく殺してやる!」
貞は戸惑う侍女二人にそう命じた。
しかし、侍女二人は、びくりと肩を揺らし恐怖を顔に貼り付ける。
「お、恐れながら、貞花妃様、采夏妃様は皇太后様の保護の元にいらっしゃいます。危害でも加えたら……ギャ」
怯えながら物申した侍女の髪を貞は勢いよく掴み、女の力とは思えぬほど乱暴に腕を振って侍女を引き倒した。
「お前まで! 私に歯向かう気!?」
貞はそう言って、地に倒れる侍女の髪を引っ張り続ける。
ヒイヒイと侍女の口から悲痛な声が漏れてゆく。
「痛い! 痛いー! お許しください、お許しを……!」
痛みを堪えながら、許しを嘆願する様を見て、玉芳は「なんてむごい」と小さくこぼした。
正直、貞の怒りは常軌を逸している。
「貞花妃様、どうしたのですか? そんなに大きな声を出して……あ、そうです! お茶が飲み足りないのではないですか? お気持ち分かります」
采夏はいいこと思いついたとばかりにそう言った。
その顔は、どうして貞がこのように怒っているのか全く分からないと言いたげだ。
(采夏妃、お願い黙ってー! これ以上貞花妃を煽らないでー!)
玉芳はそう願ったが、きっともう遅い。
唇を血が出るまで噛みしめて恨めし気に采夏を睨む貞がいた。
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