第33話采夏は出涸らしを馬鹿にされるのは許せない


「まず、先ほども話しましたが北州の協力は得られました。北州が所持している軍も貸し出してくださるとのことを族長自らおっしゃっていただいてます。ですが、桂夕様のように北州の中でも反対する勢力はあります。軍を借りられて四割ほどとなるでしょうね」

「四割か……。他の州はどうだ?」

「秦漱石と中立を保っている東州、中東州、南州とも連絡を取ってます。

 我々が事を起こした際には、秦漱石に組せず静観してくださるということで同意を得ることができました。ですが、残念ながら軍を貸すまでには至りません」

「そうか……。秦漱石に味方をしないでくれるだけでありがたいが、きついな」

「ええ、現状を省みるに、すぐに事を起こすことは無理と判断せざるを得ないでしょう。陛下自らこの地に来られたとしても、私のこの判断は変わりません」

 陸翔に強くそう言われて、黒瑛は眉間に皺を寄せた。


 黒瑛が直接ここまで足を運んだのは、秦漱石打倒を先延ばしにする提案ばかりをする陸翔の意志を確認するためだ。

 しかしこうして陸翔の言い分を改めて聞くに、今、事を起こすのが得策ではないとは分かる。

 分かるが、これ以上秦漱石の専横政治が続くことはもうこの国が耐えられない。


 無茶をしてでも、やらなくてはならない。


「状況が厳しいことは分かってる。だがやるしかない。他にきっと手立てもあるはずだ。連絡を取っている州に俺が直接赴いて協力を取り付けるのはどうだ?」

「危険過ぎます。秦漱石は、貴方がこの周辺に来ると言うだけで辺鄙な村まで密偵を放つほどの用心深さですよ? 必ず秦漱石に悟られるでしょう」

「だが……ああ、そうだ。西州はどうなんだ。さっき話に出なかったが、西州も中立の立場だったはずだ。それに北州と同じくでかい。所持してる軍の数も多い」

 期待を込めて黒瑛がそう言うと、陸翔は残念ながらとでも言うように首を振る。


「それが西州は、一族の長のお身内に不幸と言いますが、少し問題があったようで、こちらの話を聞く余裕がないとのこと。西州の長のお人柄でしたら、助力を得られたでしょうが……少々時期が悪かったようです」

「そうか……」

 忌々しそうに舌打ちをする黒瑛を見て、改めて陸翔は身を乗り出した。


「黒瑛、少し事を起こすのを遅らせませんか? せめて西州との話し合いができるようになってからでも」

「いいや、これ以上は待てない」

「気持ちは分かりますが、しかし……」

 バタンと大きな音を立てて突然扉が開いた。

 黒瑛達が扉を見ると、そこには頭に包帯を巻いた男が立っていた。


「桂夕……?」

 陸翔は扉を開けた者の顔を向いて不思議そうにそう言った。

 扉を開けたのは桂夕だが、その顔を険しくさせてただ事ではない雰囲気を漂わせている。


 しかもその桂夕は、陸翔ではなく、まっすぐ黒瑛を見ていた。


「どうして、私なんかを助けたりしたんですか! 陛下!!」

 絞り出したような怒声。

 桂夕のことを知っている陸翔は、今まで見たことがない彼の様子に言葉を飲んだ。


「なんだ。助けてほしくなかったのか? なら、道端で見つけた時にそう言ってくれ」

 黒瑛が笑みを浮かべてそう言うと、桂夕はキッと眉を吊り上げた。


「何をそんなに余裕ぶっているのです! 陸翔先生から聞いていないのですか!? 私は、陛下が陸翔先生と会えないように邪魔をしようとしたんですよ! 罰するべきではないですか!?」

「らしいな。なんだ、罰してほしいのか? 変わった奴だ。だが、陸翔には会えた。お前がぶっ倒れてたおかげでな。罰する必要なんかねぇだろ、面倒くさい」

「……!? 慈悲を見せて名君気取り、というわけですか?」

 忌々しそうにして桂夕がそう言うと、バンと大きな音を鳴らして卓に両手を打ち付けた但が立った。


「おのれ! 貴様言わせておけば、陛下に向かって何たる口の利き方だ!!」

 坦がそう吠え付くと、武官らしい素早い身のこなしで、桂夕の元に行きその胸ぐらを掴む。

「おい、坦、やめろ」

 と黒瑛が制す。

 だが、坦は掴んだ手を離さず、胸元を掴まれた桂夕は息苦しさで歪ませながらも嘲りの笑みを浮かべて口を開いた。


「それとも助けたからって、私が貴方に協力するとでも思っているんですか!? 思い上がらないでください!! 出涸らし皇子のくせに!」

「桂夕! 貴方何を……!」

 桂夕の不遜な態度に、陸翔も席を立った。


 そして、ドンと大きな音が響く。

 桂夕の胸倉を掴んだ坦が、そのまま桂夕を壁に叩きつけた音だった。


「貴様あああああ! 言わせておけば!」

「ぐ、がは」

「坦! やめろって言ってるだろ!」

「しかし……!」

「俺がやめろって言ってんだ ! いいからそのままその男をこっちに運んで来い!」

 黒瑛の言葉に、坦はクッと息を吐いてから、桂夕を壁に押し込む力を弱めた。

 そして軽く胸ぐらを掴んだまま、黒瑛達が座っている食卓に連れてくる。


「ふん! 陛下の慈悲深さに感謝しろ!」

 そう言って、乱暴に桂夕を座らせた。

 桂夕はよろけながら辛うじて椅子に腰を落ちつかせる。


「采夏、悪いがこいつにも茶を一杯」

「はーい!」

 緊迫した場所に采夏の暢気な声が響く。

 お茶を飲んでいる時の采夏は、基本的にお茶のことしか考えていないため周りの状況に少々疎くなりがちだ。

 茶をもう一杯と言われて、嬉しそうに碗に茶葉を入れて湯を注ぎ、蓋を置く。


「どうやら俺に言いたいことがあるみてぇだな、この際だから、言ってみろよ。聞いてやる」

 無理やり椅子に座らされて、肩を落とし顔を下に向けていた桂夕は、黒瑛の言葉で顔を上げた。


「お前なんかずっと出涸らしらしく引きこもっていればよかったんだ! 皇子時代は優秀だって言われていた先帝だって敵わなかったんだぞ! 今更出てきたって……お前みたいな出涸らしなんかが、この国が変えられるわけがない! この、出涸らし皇帝が!!」


 と、桂夕が黒瑛に叫ぶように吠え付いた。

 そしてそれと同時、 ―――ガシャン。


 硬いものがぶつかり合う音が響く。

 この場にいる者の視線が、その音がしたところに集められた。


 そこには、蓋つきの碗とそれをしっかり握る采夏の手。

 先ほどの音は、采夏が、茶を淹れた蓋碗を勢いよく食卓に置いた音だった。


「すみません、先ほどから気になっていたのですが……もしかして「出涸らし」を悪口のような感じで使われておりますか?」

 皆の視線を独り占めした采夏はそう言った。

 顔は笑顔だが、目が笑っていない。

 怒りがにじみ出ている。


 その怒りをまっすぐに浴びることになった桂夕は「ひ」と小さく悲鳴を上げた。


「私、出涸らしのことを悪く言う人には少し物申したいことがあるのです!」

 采夏は力強くそう言った。


 黒瑛は、何かが采夏の逆鱗に触れたっぽいなと悟った。

 そして最初こそ突然采夏に笑顔ですごまれた桂夕は戸惑ったが、どうにか口を開いた


「出涸らしのことを悪く言う人? ハハ、つまりは陛下を庇っているってことですね? 陛下もこんなところまで女を連れてくるなんて、どうかしてますよ。ああしかし、出涸らし陛下らしいと言えばそうですね」

「陛下を庇ってる? 何を言ってるんですか!? 私が言ってるのは出涸らしのことです! 出涸らしのことを悪く言うのはやめてください!」

「だから出涸らし陛下のことを言ってるんですよね!? 陛下は皇子時代、優秀な兄にいいところを全部持ってかれた無能で愚かな皇子と噂で、付けられたあだ名が出涸らし皇子。それなのに皇帝にまでなって、しかも兄ができなかったことに手を出そうとしてる! その無謀がどれだけの犠牲を生み出すことか!」

「陛下が無能とか愚かとかそんな話はしてませんし、それはどうでもいいんです! 私が言っているのは、出涸らしのことです!!」

 鼻息荒く采夏が応戦する。

 その様を見て黒瑛は微妙な気持ちになった。


「どうでもいいって……正直、桂夕の言葉より、采夏のどうでもいいの方が堪えるんだが……俺の悪口にも怒ってくれ」

 小さく黒瑛が嘆いていることにも気づかず、采夏は自分が先ほどまで飲んでいた蓋碗(がいわん)を手に取った。

 蓋碗で直接茶を飲むときは、碗に直接茶葉と湯を入れて作り、飲むときは茶葉が口の中に入らないように蓋をずらして飲む。

 采夏が淹れた蓋碗の蓋を開けると、しっとり湿ってくたくたになった茶葉が残っていた。


 そして、それを采夏は桂夕に向ける。


「あなたが馬鹿にした出涸らしです。これを食べてみてください」

「な、なにを、そんな突然……だいたい、出涸らしなんて、渋くて苦くて硬くて食べられたものじゃない」

「いいから! 食べてみてください!!」

 そう言って采夏は茶碗を更に桂夕の前に近づける。

 有無を言わせぬその迫力に、元来押しの弱い桂夕は思わず茶碗を手に取った。


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