第5話采夏はお茶を選別する
後宮にいる妃達は、衣食住では困らない。
だが、厳格な階級制度が存在しており、階級によって露骨に妃の食事内容や与えられる部屋などが変わってくる。
階級が高い方が何かにつけて質が良いものが与えられるのだが、入ったばかりの采夏の階級は下級妃と呼ばれ、妃の中では最下層。
色々不便なところがあり、采夏の目下の悩みは、下級妃には、お茶が提供されないことであった。
皇帝から頂いた龍井茶のおかげでしばらく何とか生きてこられたが、それもそろそろ底をつく。
今後のことを考えて、采夏は、どうにか茶を手に入れることはできないかと、後宮の食事を管理する司食殿(シショクデン)に訪れていた。
訪れた、とは言っても中に入ることはできないので、司食殿の格子窓からそっと中を覗いているという怪しさだったが。
ということで菜夏がこっそり中を窺う司食殿では、宮女たちが大きな台所で忙しそうに働いている。
(このどこかに茶葉が……あ! 茶葉がお盆にこんもりと!)
覗き込む采夏は、宮女たちがお盆に盛られた茶葉を運ぶさまを発見して目を輝かせた。
しかし問題はこれからだ。
どうやってあのお茶を強奪……いや、譲ってもらおうか。
実は以前、真正面からお茶をくださいと言ってみたこともあるが、采夏が下級妃であると分かったら門前払いされた。
妃とは言え、下級妃ともなると宦官はもちろん宮女や女官もあまり敬わないという世知辛い後宮事情。
采夏が茶葉を手に入れる方法を考えていると、茶葉を運んでいた宮女が「きゃ!」と声を上げてこけた。しかも雪崩式に前を歩いていたもう一人の茶葉を持つ宮女も倒れ込む。
一瞬にして床に、大量の茶葉がまき散らされてしまった。
「なんてこと!」
食司殿の宮女たちは、にわかに現状に気付いて騒ぎ出した。
「どうしよう、中級妃様用の茶葉と、上級妃様用の茶葉が混ざっちゃった……!」
こけた宮女が真っ青な顔でそう言った。
後宮では、階級によって出される茶葉の質が違う。
上級妃に提供される茶の方が、中級妃に出される者よりも品質がいいものを選ばれていた。
「貴女がぶつかってくるから!」
「だって、なんか視線みたいなものを感じた気がして……すみません」
茶葉を落とした二人の宮女が泣きそうな声でそう言うと、その二人の上司に当たるらしい年配の宮女が困ったようにあごに手を置いた。
「どうしましょう。どうにかして、時間までに茶葉を品質別に分けないと……」
上級妃に、質の悪い茶葉で淹れた茶を提供するわけにはいかない。
もしそれがばれたら、宮女の首が飛びかねなかった。
だが、この大量に混ざり合った茶葉を一つ一つ確認して質別に分けるのは、ここにいる宮女が騒動員しても無理なことは目に見える。
「あのー、すみません!」
絶望の沈黙が広がる中、突然間の抜けた声が響く。
宮女たちが、その声を発信した格子窓の向こうに立っている者、采夏を見た。
「よろしければ、私が茶葉の選別をしましょうか? すぐに終わらせる方法を知ってます」
采夏はにっこり笑顔でそう言った。
◆
宮女たちは戸惑いつつも、自分の首がかかっているので藁にもすがりたい気持ちで采夏に茶葉の選別をお願いした。
采夏は、まず宮女たちに目の粗さの違うざるを二つ用意させる。
「んー! この匂いは、キリッとしいた苦味がおいしい緑力清(リョクリョクシン)茶ですね! 寝起きにぴったりの良いお茶です」
采夏は、恍惚とした表情でそう言うと、ここぞとばかりにくんかくんかと茶の匂いを堪能する。
「あの、時間がないので、早くしてもらいたいのですが……」
「あ、すみません。ついつい……では、まず一番目の荒いざるの上に茶葉を載せてもらえますか?」
采夏がそう指示を出しながら、荒い目のざるを持ち上げた。
ざるの下には大きいお盆が用意されている。
宮女たちは指示に従ってざるの上に茶葉を置いてゆくと、采夏はざるをゆさゆさと揺らし始めた。
「お茶の質は、摘まれた時期で変わってきます。早くに摘まれた茶葉の方が味わい深く、高品質とされるんです。そして早くに摘まれた茶葉であるかどうかの目安は、茶葉の大きさや形」
そう言って、采夏はざるを片手で持ちながら、もう片方の手で茶葉を一つ掴み取った。
「早めに摘まれた茶葉は、当然ながら若い茶の葉なので小さいのです。それに摘まれ方が丁寧。つまり、良い茶葉は、少し粗めのざるで下に落ちてゆきます。だから、ざるに残ったこちらの大きめの茶葉が、中級妃様用の少し質の劣る緑力清茶」
そう言って、少しざるを持ち上げる。
「なるほど、こうすれば……!」
宮女たちがにわかに喜びで顔を綻ばせる。
最初こそ半信半疑だったが、この方法ならそう時間をかけることなく選別できる。
そしてさらに采夏は、もう一つのもっと目が細かいざるを取り出した。
一度ふるいにかけて下に落ちた茶葉をそのざるに載せる。
すると今度はほとんど粉のようになったものが、皿に落ちていった。
「ざるから落ちた茶葉は、早めに摘まれた質の良い茶葉と言えますが、中には、遅れて摘んだ大きめの茶葉も何かにぶつかるなどして粉になったものは通してしまうので、念のためこうやってもっと細かいざるで省いて……完璧です!」
そう言って采夏はざるをささっと振るって粉を落としてから掲げた。
あっという間に、品質別の茶葉の選定が終わった。
司食殿のまとめ役の宮女が、それぞれふるい分けられたものを手に取って確認する。
「確かに、きちんと分けられてます!」
その言葉に宮女たちは手を取り合って喜び合うと、口々に采夏に礼を述べた。
「ありがとうございます! 妃様! なんとお礼を申し上げたらいいか……!」
「いえいえ。そんな、気にしないでください。あ、このお茶の粉は持って行きますね、はい、それでは」
そう言って采夏は、爽やかにその場を去っていった。
さり気なく、ふるいにかけて落ちた茶の葉の粉を持ち帰りながら。
司食殿からの帰り道、采夏はほくそ笑んだ。
(ふふふ、やったわ。茶の粉が手に入った! 茶葉ごと手軽に摂取できる茶の粉で作る茶は、それしか飲まないと豪語する好事家もいるぐらいの人気の一品。皆さん、私のさりげなさに、この茶の粉を持ち帰ってたことに気付いてなかったわね……!)
ふふふ、と怪しい笑いが口からこぼれる。
誰もが欲しがる茶の粉をどさくさに紛れて手に入れることができたのだ、笑わずにいられようか。
しかし、采夏は知らない。
宮女たちは、采夏が茶の粉を持ち帰ったことに気付いているし、気づかないわけがない。
持ち帰ったことを止めないのは、彼女達はお茶の粉なんて欲しいと思っていないからだ。
采夏の中では人気の一品だとしても、他の人達にとってはそうではないのである。
むしろ、捨てる予定の茶の粉を持ち帰っていく采夏の気遣いに感動さえしていた。
「助けてくれた上に自らごみを持ち帰ってくださるなんて……なんてお優しい方なの!」
「本当に、ああいう謙虚な方が、四大妃様ならいいのに」
菜夏が華麗に立ち去った後、口々に采夏を褒めたたえる食司殿の宮女たち。
「本当に優しい方だわ。貞花妃様なんて少しでも粗相があったらどうなるか……秦漱石様の後ろ盾をいいことに好き勝手ばかり」
「こら、何を言うの。そんなこともし他に聞かれたら!」
宮女の一人が恐ろしそうに貞花妃のことを呟くと、年配の宮女が小声でたしなめた。
「すみません……」
「気をつけなさい。ここでは口の軽さが命にかかわるのだから。……さあ、茶の選別も終わったことだし、他の用意もするわよ! 仕事はたっぷりあるのですからね」
年配の宮女はそう言って両手を叩いて、宮女たちを仕事に戻した。
そして年配の宮女は、ふと笑みを浮かべる。
「だけど、あんな妃様初めてだよ。この皇帝の渡りがない鬱屈としたこの後宮の希望になるかもしれないね……」
年配の宮女は小さく呟き、期待の満ちた目で、最初に采夏が覗いていた格子窓を見たのだった。
―――采夏の知らぬのところで、采夏は後宮の宮女たちに多大なる期待をかけられ始めていた。
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