【書籍化】後宮茶妃伝 ~寵妃は愛より茶が欲しい~

唐澤和希

第1話プロローグ

青国セイコクの都、功安コウアンは、春の訪れを知らせる節目―――清明節セイメイセツを迎えていた。


 しだれ柳が、春風に吹かれてその青々とした葉を気持ちよさそうに揺らす。


 祖先に祈りをささげ、春の訪れに感謝を示す祝い事の時節だが、功安コウアンに住まう人々の顔はどこか暗い。




 それは、長年朝廷を牛耳る宦官カンガンの圧政によるものだが、そんな功安に珍しく明るい声が響いた。




「あ……! こ、これは……芸千茶キセンチャの茶葉ですね!?」




 茶葉を売る店の前で、興奮したような若い女の声が響いた。


 栗色の大きな瞳は感動で潤み、頬は桃色に色づいている。


 着ている鶯色の襦裙は泥などで汚れてどこもかしこも縒れており、髪も汗で汚れて整っていないというのに何故か清潔感があり、思わず目を引く。


 つまり、なかなかの美人である。




 美人が嬉しそうに声をかけてくるものだから、功安で茶葉一本で店を営んで30年、頑固おやじと評判の店主も思わずにやけついて口を開いた。




「ほう、飲まずとも茶葉の名が分かるとは大したものだ。まさしくこれは芸千茶だ」


「やっぱり! 流石功安です! 素晴らしい銘茶がいっぱい!」


「そうだろうそうだろう。しかし、功安といえどここまで茶葉が揃ってる店はうちぐらいなもんだ。最近は宦官の奴らのせいで、良い茶葉が市井に回ってこなくなったからな」


「……あれ、でも、もっと奥に別の香りが……」


 そう言って、女性は顔を上げて鼻をくんくん鳴らす。そして、店主の方を見た。


「もしかして、懐に黒健省の釈明茶をお持ちではないですか?」




 彼女の言葉に、可愛らしい客ににやけていた店主は目を見開き懐のあたりを手で押さえた。




 ここには、女の言う通り釈明茶の茶葉を隠している。


 奥深い渋みとほのかな甘さが売りの緑茶だ。


 銘茶である上に、昨年は虫の害で実りが少なかったためなかなか市場に出回っていない。


 店主も売らずに自分が楽しむために持っていた。




 若い女に言い当てられた店主は微かに眉をひそませた。




(うーん、この女、怪しい……)




 青国の茶は、茶木の葉を摘んだ後すぐに火入れをして発酵を止める緑茶のことを指す。


 茶木の生育環境によって茶の味や香りが変わってはくるが、基本的には同じ種の茶木から作られるもの。


 つまり……。




(香りだけ分かるわけがない! まったく、騙されるところだった。若い子が茶に興味があるなんて珍しいと思ったんだ。おそらくどこかでわしが釈明茶を隠し持っていると聞きつけた好事家が、若い女を差し向けて釈明茶を奪いに来たのだな。ふん、どんなに美女の誘いであろうと、このわしが釈明茶を手放すわけがないというに)




 そう思うと、彼女の愛らしい容姿も相手をひっかけるためのものだと頷ける。




「どこで聞いたか知らないが、これは売り物じゃないんだ」


「そんなっ! どうしてもだめですか? ぜひ譲ってほしくて……お金なら出しますし! えっと……」


 そういって女は背中に背負っていた籠を下ろして中をあさり始めた。


 大きな荷物を持っているなと思っていたが、籠の中にあったのはほとんどが茶葉のようである。




「待て待て、どんなにお金を積まれようと売るつもりはない! さあ帰ってく……ん?」




 女を追い出そうと声をかけた店主は女の持つ籠の中の茶葉に目を止めた。


 小分けに包装された茶葉にはそれぞれ銘柄が書かれている。


 その銘柄のどれもが、高価で希少価値の高いなかなか手に入らないような茶葉たちだった。




「嬢ちゃん、こんなに高価な茶葉を持って……茶葉の行商人かなにかなのかね?」


「茶葉の行商人!? それもいいですね! でも、残念ながら違うんです。この茶葉は私が個人的に飲むために買ったものです」




 と朗らかに答える女の声を聞きながら、籠の中の茶葉をじいっと見る。




(わしをだまして釈明茶を手にいれようなどと考えるのはけしからんが……それにしても良い茶葉ばかりだ)




 相手が自分の茶を欲しがる詐欺師か何かと思っている店主だったが、むくむくと胸のうちに欲が湧いてきた。


 この娘が持っている茶葉をどうにか手に入れられないだろうか、と。


 そして一つの思い付きをした。




「嬢ちゃんが、どうしても私の持つ釈明茶シャクメイチャが欲しいというのなら、一つ機会を与えてもいいぞ」


「本当ですか!?」


「うむ。私と利き茶勝負をして、勝ったらこの釈明茶を譲ろう。だが、負けたら……嬢ちゃんが持っている茶葉がわしのものになる。どうかね」




 女は店主の提案に目を点にさせた。


 利き茶勝負とは、茶を飲んで銘柄を当てる勝負のことだ。




「勝負に使う茶はわしの店の茶だ。もし負けたとしても、試飲し放題だと思えば悪くないだろう?」


 戸惑っている様子の女にそう改めて提案する。


 勝負に使う茶葉は店にたっぷりある上に、自分の店の茶葉のことなのでだいたいわかる。


 絶対に店主が負けない勝負だ。




(流石にこれは断られるか。思わず変な提案をしてしまったが、断られるならそれはそれでいい)




 店主がそう思ったところで、女は笑顔を作った。


 満面の笑みで、店主の手を握っている。




「良いのですか!? ありがとうございます! ぜひお願いします! 都の方ってお優しい方達ばかりですね!」


 店主の予想に反して、女は勝負を受け入れた。


 その上、何故か優しいと褒められる。


 店主は少々戸惑いつつも利き茶勝負をすることになったのだが、すぐに大いに後悔することになった。




 ★




「これは、高冷山怜茶コウレイサンレイチャですね。この舌に残る独特な渋みが癖になるんですよ。もちろん甘味もきちんとあって、良いお茶です。あ、そうそう知ってますか? 先ほど飲んだ東冷茶とほとんど似たような環境で育つ茶葉なのですが、ここまで味が違うとなると、やはり茶葉を摘んだ後の処理の違いなのでしょうね。釜炒りの際の炭の風味が生きています。ああ、そういえば、5年前の高冷山怜茶は茶師の方が少し変わった方法で火入れをしていて、あ、あそこにある茶杯の茶は、それですよね? よい香。いつものと違った火入れをしたので高冷山怜茶と同じ茶葉を使っているのに、名前を高冷山景茶コウレイサンケイチャと名を変えて」


「わかった! もういい! わしの負けだ!」


 店主はげっそりとした顔で、降参を願い出た。


 利き茶勝負を始めて2刻ほど。


 茶杯に淹れた茶を優に100杯は胃に納めている。


 少しでも動けばお腹からちゃぷちゃぷと音が鳴りそうだった。


 しかし己より多く茶を飲んでいるはずの目の前の女は涼し気な顔でまた新たな茶に手を伸ばそうとしている。




「あらー? もう終わりなんですかー?」


 女はそう言って、げっそりとした店主の前で余裕の笑みを浮かべた。




(この娘、ばけものだ。まだ茶を飲めるのか。どのお茶も当然のように銘柄を当ててくる上に、葉を摘んだ時期まで当ててくる! 流石のわしも年代までは分からんぞ……! というか…… )




「お前さん、茶を飲んだ後と前とでなんか雰囲気かわってないか!?」


(最初は、育ちの良さそうな明るいお嬢さんって感じだったのに、そこはかとなく邪悪になったような……)




 店主の叫びを聞いてた客は、クッと口角を上げてさらに悪どそうな笑みを浮かべる。




「えー? そんなことないと思いますよー? それよりも、ご店主、はい」


 そう言って客は手のひらを店主の前に出す。


 早くよこせと催促するように。




 店主は懐からきんちゃく袋を取り出すと、女に向かって放り投げた。




「ええーい! 分かったわかった! ほうら、もっていけ。釈明茶の茶葉だ……。


 まったく。わし一人で楽しもうと思ったのに……」




「ふふ、どうも。本当に都の方々って太っ腹ですねぇ。お茶をたくさん飲ませてくれる上にお土産までくれるのですから。おかげで籠の中も茶葉でいっぱい」




 客から呟かれた不穏な言葉に、店主はピクリを眉を動かした。




「ん? それってことは、つまり……籠の中の茶葉は、もしかして全部こうやって利き茶勝負をして手に入れたってことか!?」


「皆さん、どうしてもって言うなら利き茶勝負でって言ってくださって……本当に、お優しいことです」


「優しいと言うかなんと言うか……」


 新手の詐欺にひっかかったような気分になった店主は、遠い目をした。




(わしが、欲を出したばかりに……。いや、しかし誠に恐れるべきは、この女よ。この若さで、あれほど茶に精通しているというのが、信じられん)




 店主は用心深く女を見た。


 手に入れたばかりの釈明茶の匂いを嗅いで悦に入っている。


 見た感じは可愛らしいただのお嬢さんに見えるのに、人は見た目では分からないものだなぁと店主はしみじみ思う。




(胃はちゃぷちゃぷで苦しいし、大事な釈明茶は取られて最悪なことには変わりないが、妙な清々しさを感じるのは、彼女が本当にわしの上をいく茶狂いだからだろうなぁ)




 狂ったように茶にのめり込む者を『茶狂い』と、玄人の中では呼ばれている。


 彼女が、茶狂いなのは、彼女の持つ茶の知識から明らかだった。




「そういえば、嬢ちゃんは何しに都に来たんだい? あの宦官の秦漱石が出しゃばり始めてから、功安も景気が悪い。引きこもり帝も秦漱石には逆らえず何もしてくれる気配がないしな。まあ、即位前から出涸らし皇子なんて呼ばれてたからそう期待はしておらんが……。まあ、何はともあれ、正直女性の一人歩きはおすすめせんよ」


 店主が、そう言うと女は顔を上げた。




「私、茶師なんですよ。それで、清明節に行われる皇帝献上茶の選定会に、自作の茶で参加しようと思って」


 皇帝の献上茶の選定会とは、毎年清明節に行われる皇帝が茶を飲み比べて最も美味しい茶を決める催しだった。


 皇帝献上茶に選ばれたお茶は最高の名誉を得ることができる。


 茶師―――良い茶を作るために茶木の栽培から行う者達が目指す頂点だ。




「ほお、茶師だったか。お嬢ちゃんの作った茶は興味深いね。うまそうだ」


 あれほどの茶に精通している者が作ったお茶なら相当美味いのだろうと、店主は思った。


 しかし、先ほどまで手に入れた釈明茶を見てニヤニヤしていた女の笑顔が少しばかり陰る。




「うーん、正直なところ、私の作ったお茶は、他の茶と比べたらまだまだで。けど……どうしても晴れ舞台に連れていきたくて」


「ほう……ん? あれ、しかし、まてよ……選定会の受付は、もうそろそろ終わるんじゃないのか?」


「え? えっ……あーーーーー!」


 太陽の高さが真上に近くなっているのを確認して女は声を上げた。




「そうだった! いけない! 利き茶で夢中になりすぎた……!」


「ま、まてまておちつけ! 正午の鐘はなっていない。まだぎりぎり大丈夫なはずだ」


 女は慌てて籠に茶葉の袋を詰め直す。


 店主も一緒に籠に詰めるのを手伝った。




「なんでこんなギリギリな状態で、利き茶比べなんかしとったんじゃ!」


「だって、おいしそうなお茶があったら飲まないと失礼ですよね!? ってだめだ、言い争ってる時間も惜しい……! あ、そうだ、皇帝献上茶の選定会の受付ってどこでやってやってるか知ってますか?」


 詰め終わった籠を、背中に背負い直しながら女は尋ねた。




「受け付けは毎年青禁城の門前だ。人がたくさんいるからすぐにわかる」


「わかりました、ありがとうございます!」


 慌てて掛けていく背中に、店主は思い出したように声をかけた。




「そうだ、お嬢ちゃん名前はなんていうんかね? また茶を飲もう!」


「私の名前は、采夏サイカです! おじさんのお茶、おいしかった! また、ご一緒しましょう!」


 軽く振り返って片手を振ると采夏は満面の笑みで応えた。




「そうか、采夏! がんばれよー! 」


 そうして茶師の娘―――采夏は笑顔で都の中心青禁城へと駆け出した。


 その背中を見ながら店主は満足そうに頷く。




「性格にちと難ありだが、あれだけの茶の知識。きっと良い茶師になるだろうな……今年の皇帝献上茶がたのしみだ」


 店主はそう言って、采夏が去っていった方角へと目を向けた。


 皇帝のいる青禁城を見たつもりだったが、残念なことにここからは宦官の秦漱石が住まう派手ででかい屋敷が邪魔で青禁城は見えないが。




(自分の私腹を肥やすことしかしない宦官どもに、宦官に怯えて何もしない引きこもり帝が、采夏の作る茶を一番に飲めるのか。世の中は本当に理不尽だねぇ)




 宦官の圧政で次第に影が出始める功安の町並みと、それに反比例して派手さを増していく宦官の屋敷を見ながら男はそんなことを思ったのだった。




 ◆




(あれが青禁城? 思ったよりも近くて助かったわ。間に合いそう)


 采夏の前方に、高くそびえる金色の建物が見えた。


 どこよりも派手で、大きい。


 あまりの大きさにその向こうが何も見えないほどだ。


 あのご立派な建物で、皇帝献上茶の選定会が行われるに違いない。 




 よく見るとその青禁城と思しき建物の側で、めかしこんだ様子の女性達が行列を作っている。




(もしかして、あの人たちも私と同じように皇帝献上茶の選定会に自分のお茶を持ってきたのかしら……!?)




 流石、都。


 地元では、茶師を夢見る娘は采夏ぐらいだった。


 きっと彼女達も、日々茶のために生きてきたに違いない。自分と同じように。




 采夏はぎゅっと胸に抱いた茶筒を抱え直す。


 この筒の中には、采夏が作った茶葉が入っている。




 自分の作った茶が、皇帝献上茶に選ばれるのが夢だった。


 だから、親の反対を押し切ってここまできた。


 ただ、采夏にはわかっていた。自分のお茶は選ばれない。


 采夏はお茶が好きだ。それはもう酔狂と言われるほどに茶を溺愛している。


 銘茶があると聞けば、大金をはたいて買い付ける。


 物珍しい茶樹が生えている山があると聞けば、時間を問わず山登り。


 茶にあう名水の噂を聞けばすぐさま駆けつけた。


 采夏を知る者は、誰もが、彼女のことを茶狂いと言う。




 それほどまでに茶を愛し、数々の茶を愛飲しているからこそ知っているのだ。


 自分が作ったお茶は、それほどおいしいものではない、ということを。




 それでも夢をあきらめきれない。采夏はもう18になった。


 結婚をしていてもおかしくない年頃だ。


 現に親からは毎日のように婚姻の話を持ち掛けられている。


 自由にできるのは、これが最後かもしれないのだ。




(よーし! 彼女達とは後で絶対に友達になって茶について朝まで語り明かすとして、まずはお茶を納品しなくては!)




 彼女はそして受付の最後尾に並んだ。




 長旅で、采夏は自分ではわからないほどにかなり疲弊していたし、慌てていたし、浮かれていた。


 だから気づけなかった。


 目の前の金色の建物は、皇帝の威を借りて力をつけた宦官・秦漱石の建物で、皇帝のいる青禁城ではないこと。




 そして、あの女性たちの行列は、皇帝献上茶の選定会の受付ではなく、女性が後宮に入るための試験、后妃選定面接試験「選秀女せんしゅうじょ」の受付だったということに。

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