1. 隠者の社
第3話 隠者の社:目覚め
ふと意識が体に戻る。うっすらと目を開くと、目の前の光源に自然と眉をしかめる。
首の周りに生暖かい感覚。そうか。僕は死んだのか。死んでも喉を切り裂いたままなんて、
まるで死んだ人間たちみたいだ。それも皮肉か。
自分で自分を殺したことを自然と受け入れ、ここが少なくともあの廃墟じゃない事に心から安堵した。
「にゃにっ!おーーーい!目を覚ましたぞー!」
甲高い変な声が耳を突く。どういうことだ?目を覚ました・・・?
少し間をおいて、視界の左から急に男の顔が現れる。
何が起こっているのか皆目見当がつかず狼狽している中、その顔はにっこりと笑った。
「うーん。・・・大丈夫そうですね。」
目の前の光源がふっと消えた。暖かい自然の光に、眉間の力が自然と抜ける。
「はい。座れますか?」
そう言われて上体を起こしてみる。
視界の角度が正常な位置に戻り、初めて自分の置かれた状況をある程度理解する。
木製のベッドに、手触りの良い毛布。
ここは何処かの部屋の様だ。樹木の洞の様な室内。嫌気が差すような廃墟の無機物的なものは何一つ感じられず、暖かさを助長する様に自然光が至る所から入り込んでいる。
宙に浮く緑光の粒や、胸のつかえを解くような心地良い香りが、ここが危険な場所ではないという事を物語っていた。
状況を把握すると同時に、まだ僕は生きていた。
生き延びてしまったという後悔の様な、自責の様な心が胸に虚ろな穴を造る。
「ここ――」
声を出そうとした所で、猫の柔らかい肉球が口を塞ぐ。
「まだ喋っちゃダメだ。もしかしたら声帯にまで傷が届いているかも知れないからな。」
リュックサックを背負った猫。足が短く、茶色の柄が入っていて、変わった首輪?ネックレス?のような物を身に着けている。
心配するような、少し怒っているような眼差しを正面に受けて自分が労られている事に気づく。誰かに心配されるなんて二度と無いと思っていた。
軽く頷こうとして、あごの下に柔らかい何かが当たる。
それは自分の首を包むようにぐるっと巻かれていて、まるで水の塊が首を守っている様な見た目だった。それにとても温かい。ぬっと青年の顔が現れ、目を輝かせる。
「気になります?それはですね。水魔法と治癒魔法、熱魔法の混合でしてね。それはもう微妙な匙加減なんですけど、私にかかればお手のものです。私が外すまで取ってはいけませんよ。その中に通っている赤い線は貴方の血液でして、循環浄化に栄養補給にほかにも――」
楽しそうに話す青年の頭に突如ハンマーが襲い掛かった。
その場に突っ伏した青年を横目に、いそいそとリュックをまさぐりながら猫が続ける。なんかあのリュック色々入ってるんだな。あのサイズの凶器が入ってるってどうなっているんだ。
「ごめんな。こいつは魔法とかの事になると説明したがりで手が付けられないんだ。ま、要は良いというまで外すなってことさ。」
涙目に頭をさすりながら青年は渋々起きると、場を仕切り直す様に咳払いをした。
「取り乱してすみません。初めまして。私はロノと申します。こちらの只者じゃない猫はエルマー。」
紹介されたタイミングで各々と求められた握手を返す。
「まずは、傷の治癒に専念してください。今日一日くらいそれを着けたまま安静にしていれば傷口は塞がります。細かい話はまた明日にしましょう。あなたが私たちに聞きたい事が沢山あるように、私もあなたに聞きたいことが沢山あるんです。」
そういうとロノはにっこりと笑った。温かくて優しい笑顔。何故助けられてしまったんだろうか。
視線をエルマーに向けると、親指?らしき指を立ててニカッと笑う。
「この家の中は自由に見て回って頂いて構いません。何か必要なものがあれば用意できるものはします。あー、喋れないので何かあれば筆談でお願いしますね。」
ベッドの横を指さす。
指した先には、小さなテーブルにライトスタンド。メモ帳とペンが置かれていた。
「外に出たい時はエルマーに頼んでください。彼がいれば安心ですから。ね?」
「おう!まかせとけ!」
エルマーが力こぶを作る。力こぶは見えないが。
「他には何かありますか?」
回答を促されて、首を小さく横に振る。
ニコッと笑ってロノが頷く。
「では、のんびり寛いでくださいね。私はやる事がありますので。――あ、それと、死者はもうあなたを襲ったりしませんのでご安心を。」
最後の一言に動揺する僕を見ることもなく、ロノは背中を向けて部屋を後にした。
エルマーは僕の監視役も兼ねているのか部屋に残り、大きく伸びをした後、毛づくろいを始めた。こう見てるとただの猫だ。
小さく溜息がこぼれる。色々と訳が分からない事が多すぎて頭が混乱している。
ベッドに寝ころび、胸元まで毛布をかけて目を閉じた。
たった一晩で目を開いた景色と閉じた景色がここまで違うものになるなんて思わなかった。
ロノにエルマー。二人とも悪い人ではなさそうだけど。
ロノはなぜ死者の事を?
そもそも僕は助かったのか?
ここはどこなんだ?
答えを持ち合わせていない疑問が浮かんでは消えることなく思考を漂う。
でも。もう死にたいとは思わなかった。
それは温かい二人の対応のおかげか、それとも気を失っていた時に見た変な夢のせいか。
生きている事を残念に思ったのも本当は心の底で安堵した事も今は気づかないふりで良い。
思考はいつしか睡魔の泥に呑まれ、意識の底に沈んでいった。
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