第二章
第十一話 訓練 上
「つまり、貴官は内部に『鼠』がいる、と言いたいのだな?」
古めかしい黒メガネをかけ、防衛軍の軍服を着た男性佐官――かつて、多くの戦場を共にし、今は統合本部付参謀として辣腕を振るっている山縣中佐は俺を睨みつけた。何でも、部下達からは『蛇睨み』と言われ、恐れられているそうだ。
俺は校長室の椅子に背を預けながら頷いた。
「ええ。名参謀様が考えているように」
「……ふんっ」
昔よりも白髪が増えた参謀様は秀麗な顔を顰めた。
『白鯨島、【幻影】の襲撃を受ける!』
三日前の事件は、既に日本全体に報道されている。
【戦乙女】は国の守り人。
彼女達によって、辛うじて今の日常が維持されていることは、国民に周知されており……だからこそ、統合本部や防衛軍に対する批判は激しくなったと聞いている。
【幻影】対策の第一人者として、山縣さんも矢面に立つことが多く、思うところがあるのだろう。
【
テーブルの上に珈琲が置かれる。
芳醇な香り。南米は世界の中でも復興が進んでいる地域であり、代替品ではなく本物の豆のようだ。
俺の隣に刀護が座る。
「先輩のご指示に従い、白鯨島周辺の警戒態勢を刷新しました。同じような接近を許すことはないと思います」
「統合本部も今回の襲撃は重く受け止めている。【門】を監視している部隊から、【A.G】使い二個小隊を直轄予備とすることを決定した」
「迅速な判断だが……根本的な解決にはならないな」
昔の癖が抜けないのか、【戦乙女】とは呼ばない参謀殿に苦笑しながら、俺は頭を振った。
カップを手に取りながら、淡々を指摘する。
「問題は、だ。【海月】が【魔力壁】を突破したことだ。立て続けに二匹だぞ? あの壁は【長】を想定し設計された。無理矢理、突破すれば気付く筈だ。ああ、光学監視に引っかからなかったのは理解する。報告した通り……奴等、下級眷属を使い捨てにすることで、俺達の光学迷彩を再現しやがった。今までと同じ装備は通じない、と思った方がいい」
「……了解した」
「……【鴉】も水中移動してくることはありませんでした。厄介ですね」
山縣さんと刀護が憂鬱そうな顔になる。
二人は、【幻影】による第一次侵攻を生き延びた猛者だ。奴等の恐ろしさは骨身に染みている。
カップを置き、手を組む。
「だが――同時に『学び』が早過ぎる。山縣さん、さっきの話の続きです」
「……風倉、分かっている。だが、私にはどうしても信じられん」
「信じたくない、の間違いでは?」
「………………」
「先輩」
「ん?」
刀護が俺を見た。
情けない顔だなぁ、おい。
「何をそこまで懸念されているんですか? 僕にも分かるよう説明してくださいっ! 世間一般の人間は、言葉にしないと伝わらないんですよ?」
「あ~――……すまん」「……申し訳ない」
俺達は九条家の当主様に頭を深々と下げた。
どうにも、山縣さんと話すと言葉を省力するようになってしまって困る。
淡々と告げる。
「確かに【幻霊】共は馬鹿じゃない。俺達の戦い方や武器を見て、それを自分達に取り入れもする。けれど――今回の奴等には明確な意志があった。『白鯨島』を襲う、という意志が。山縣さん、旧東京に【長】は」
「確認されていない。今までの事例からいって、奴等は【門】から顕現した際、特有の魔力の波動を発生させる。東京に【長】はいない。いるのは、無数の【海月】と未知の上級だ。稼働している米国の衛星による偵察からも確定的だ」
俺は胸の重みを覚える。
……先日戦った【幻霊】には、微かに感情があった。
額を押さえ、言い切る。
「つまり、だ……【長】がいないのなら、【海月】達にあんな複雑な命令を与えたのは奴がいる、ってことになる。……最悪『人間』がな」
「っ!? そ、そんなことあるわけがっ!」
刀護が血相を変え、その場に立ち上がり、身体を震わせた。……当然だ。
どういう理由があろうとも、
『人の中に【幻霊】と手を結んだ者がいるかもしれない』
というのは、最悪の出来事だ。
俺は珈琲にミルクと砂糖を足し、ティースプーンで掻き混ぜる。
「……気持ちは分かる。だがな、考えてもみろ? この学校を守っている監視体制を。貴重な衛星。無人船。戦闘機による常時偵察。勿論、【A.G】技術を応用した、早期探知網。コレットはともかく、全盛期の俺でもすぐに引っかかる規模だったんだぞ? しかも――島内に手練れが少ないところを狙われた」
「……………っ」
「【最古の五人】の一人がこう断言しているのだ。理論上、奇襲はほぼ不可能。にも、拘わらず――島の至近にまで接近を許した。つまり、バレていたのだっ。『白鯨島』の警戒網がっ!!」
刀護が黙り込んで力なく座り込み、山縣さんが唸るように客観的事実を共有する。
……人の敵は人。
こんな文言は、出来れば使いたくないんだがなぁ。
俺は気になっていたことを参謀様に尋ねた。
「相模湾北方の【海月】が下級の擬態だったのは聞きました。迎撃部隊も特殊だったとか?」
「……お前も聞いたことがあるだろう? 人造【A.G】だ」
「へぇ……」「完成したんですか?」
【幻霊】には通常兵器がほぼ効かない。
下級であっても、重砲弾やミサイルに耐えきるし、何より、倒した、と思っても容易に再生する。
だからこそ【A.G】を発現させた者を掻き集め、教育を施し、戦場に立たせているわけだが……。
俺は腕時計で時刻を確認した。この後、生徒達の飛翔訓練なのだ。
さっさと知っておきたいことを聞く。
「で? 倒せたんですか?」
「……ああ。僅かな数だが」
「そいつは上々です。使える物は使ってくださると有難いですな」
「意外だな。君は反対すると思ったが」
「まさか」
珈琲を飲み干し、俺は立ち上がった。
山縣さんへ笑いかける。
「ここに通っている子達を戦場に送らずに済むなら、そっちの路を選択しますよ。か……教え子の死体は見たくない」
「……そうだな」
「……先輩」
室内の空気が重くなる。此処まで生き残っていれば、見たくもない光景を何度も、何度も見て来ている。
俺は左手を軽く振った。
「とにかく。【幻霊】の動きだけでなく、人の動きにも注視を。本来、上級は簡単に倒せる存在じゃない、ということの再認識を。油断、とっくの昔に死んだんですから。では――授業があるので、失礼します」
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