閑話「薔薇の貴公子」~書士見習いのリディアーヌ~

 その人は久しぶりにやって来た。

 アッツァリーティ文芸学院の超有名人、貴公子のフィオレンツァ・シルヴェリオ様。有力公爵フィオレンツァ家の第三令息で、二人の兄は王宮騎士、政務官として辣腕をふるっている。シルヴェリオ様は兄たちの才を全て持ち、幼き頃は神童と呼ばれていたしい。

「はあ……」

 ため息もつきたくなる。その人は入り口から、目的の書架へと一直線に進んだ。受付の私を一瞥もしない。今は調べ物の件でさぞや頭がいっぱいなのでしょう。

 でもいったい何をしに来られたのでしょうか? 

 貴公子は一回生の頃に、ここの蔵書全てを読破したと先輩たちが言っていた。スパーリーディング超速読のスキルがあるのだろうけど、それにしても凄い。私など興味がなければ、読むのが苦痛だ。私ってダメ書士確定なのです。

 私が入学してから、来る回数はめっきり減った。今日は何かを調べるために再読に来たのだ。天才の前にダメ書士の出番はない。

「はあ……」

 私は頬杖ほおづえをつく。そして考えた。貴公子はどのような本が好きのだろうか? 気が付く人はいないが、この仕事は他人の好みがまる解ってしまう。

 文学書ばかり読むが、ちょっと過激な恋愛描写がある小説だけ借りる男子は×。そのような偏りがない男子は〇。

 文学書ばかり読むが、ちょっと過激な恋愛描写がある小説だけ借りる女子は〇。そのような偏りがない女子も〇。

 書士は見た目だけでは、人を判断できない職業なのですよね。

 だけど貴公子は全てを読破するなど謎の人で、そんな人間が一番気になってしまう人、と分かった私は成長できたのかな?


 天才は珍しく時間がかっているよです。ここはダメモトでも、ダメ書士の出番でしょう。私は緊張しつつ貴公子を探す。

 いたけど――。緊張で顔が真っ赤に染まるのが分かった。気合いを入れ直し、勇気を振り絞って声をかける。

「あの……。何かお探しですか?」

「魔導崩壊事件の百年における、レディセイント聖女の係わりをしらべております。具体的に年代を絞れるのか」

 ああ、レディセイント聖女についてお調べなのですね。パラディン聖騎士ブレイブソウル勇者でないのですね?

「それは公式にはありません。噂や伝聞でんぶんの範疇でしたら少しは……」

「それはどの本ですか!? 」

「ここにはありません。王立図書館にならあるかと」

 私は脳内のリストをめくりながら対応する。何点かリストアップされた。

「そうですか……」

「それらしい記述の本でしたら何点か――」

「それはどれですか? 教えて下さい」

 シルヴェリオ様と共に五冊の本を選び出した。私はお辞儀をしてその場を辞退する。胸の動悸は最高に達した。これほど間近でご尊顔を拝したのも、お会話を交わしたのも初めてだ。

 書士として役に立ったとの興奮もあり、今日は私の貴公子様記念日となる。


 他の生徒たちは去り、図書室の中は貴公子と私だけになってしまった。同じ見習いの友人が慌てた様子でやって来る。隣の席に座り顔を寄せた。

「貴公子様はいる?」

 と小声で言う。だから私も小声で返す。

「いるわよ。席で閲覧中」

「よかったあ。正門にミネルヴァ嬢がずっといるのよ」

「えっ……」

 レストランの一件は、噂で私も知っていた。

「それはなぜ?」

「分からないわよ。でもどうせロクなことじゃないわ」

「そうよねえ……」

 人気者には悪い噂話も多い。ただし貴公子だけは不思議に別だった。

「裏口から帰るように言って!」

「私があ!? 無理――」

「貴公子様の危機なのよ。死守するって、親衛隊が大号令をかけたの」

 誰が呼んだか貴公子親衛隊! 貴公子ファンによる貴公子のための貴公子を押す組織だ。ただ、多くのファンが勝手にそう言っているだけで実態はない。

「やってみる……」

「頼むわね」

 友人は去って行った。さっき初会話したのだ。もう一度ぐらいなんとかなる。ガンバレ私!


 外は暗くなりかけて、閉館の時間ギリギリとなった。

「遅くまで申し訳ありませんでしたね。助かりました」

 シルヴェリオ様貴公子がやって来た!

「いっいえ、まだ閉館前ですから……」

 またしても胸が高鳴る。動悸が収まらない。

「時間を見つけて、王立の方も訪ねてみます。では」

「あっ、あの――」

 私は再び勇気を振り絞った。恐れ多くも貴公子様を呼び止める。

「……正門はもう閉まっているかと。図書館の通用門をお使いください。すぐ裏です」

 貴方様を狙う毒蛇が待ち構えております。どうぞ天使の通り道をお使いください。正門はまだ開いていますけど許してね。

「ありがとう」

 と去って行った。追いかけてこっそり覗くと、間違いなく貴公子は裏口に向かう。これで私も入隊完了だ。


 入り口を施錠して閉館の札を掛ける。館内と書架を点検してまわった。貴公子様がレディセイント聖女に興味があるとは、少々がっかりしたとか、ほっとしたとか色々と複雑ではある。

 私はある一冊の前で止まる。「赤い薔薇騎士」。衝撃の長編。問題作だ。

 私はその主人公である、のちに赤薔薇と呼ばれる騎士と現実の貴公子を重ね合わせていたのだ。

 黒薔薇の騎士と紫の薔薇騎士に翻弄され、そしてどちらも選ばなかった若き騎士。

 だからここでパラディン聖騎士ブレイブソウル勇者の冒険譚を借りる男子たちは、いずれ薔薇の道に入るのだと思っていた。

 アイドルを無下にするのは、薔薇の人だからだと決めつけた。だって普通あんな態度をとる? ちょっとぐらい近しくなって――つて考えない?

 そして今日レディセイント聖女を深く知ろうとしている。

 それは薔薇の否定宣言だった。ああ、薔薇の貴公子様さようなら。刹那へと消えて下さい。そしてようこそ、学院の貴公子様。

 魔法の明かりを落とし、私も天使の道を通る。

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