24「娼婦の館」

「ご苦労様でございました」

「お帰りなさいませ。お坊ちゃま」

 イデアとヴァレンテは主の帰還を屋敷のエントランスで出迎える。

「何か変わったことはあったか?」

「報告書は何枚かそろっております」

 シルヴェリオは寝室兼アトリエに入り、早速留守中の動きをチェックした。

レイ西・カチェル教会の件は東の開拓地で聞いた。それほどの美形なのか……」

「フランチェスカ殿はご友人と、もう何度も通っているようですなあ」

「幼なじみの友人に誘われれば無下にもできまい」

「近くの教会ではなく、あんな僻地の小さな教会にそれほど魅力がありますか……。よほど居心地の良い場所なのでしょうなあ」

「孤児院はメルクリオ家の運営です。そちらが主たる目的ではないでしょうか?」

 ヴァレンテは挑発するように言い、イデアがクギを刺す。シルヴェリオの結論は――。

「気にする相手でもないか……」

「痛めつけるのは簡単ですが、教会相手となるとチト厄介ではありますな」

「特に対応は不要かと思いますが」

「少しでも可能性があれば、その芽を摘む。フィオレンツァ家のやり方です」

 ヴァレンテとイデアはまだ続けた。しかし相手が相手でもある。

「教会とことは構えられん」

「その神父には、どこぞの教会に移っていただきましょうか。昔から聖職者など、金でいかようにも転ぶ輩どもです」

「そうなのか?」

「そうです、そうです」

「違います!」

 イデアはぴしゃりと言った。

「そもそも我が家はそれなりの浄財を寄進している。いまさら金はどうかな?」

「ならば移動させよと、ちょっと耳打ちすればよいのです。そうすれば金脈を失うと大騒ぎ。その自称美形は山奥の教会に飛ばされ、動物相手に布教活動ですな。わっはっはっは……」

「注意深く見守ろうか。私自ら様子を見に行く。イデア。孤児院への土産など見繕ってくれ」

「はい」

「ヴァレンテは――引き続き情報の収集だ。頼むぞ!」

「お任せください」

くさの件は話がややっこしくなるな。聞かないでおくか)

 それは他を当たろうと思いつつ、シルヴェリオは予定表を見る。

「【ラァ・スイティアラ】を済ませるか……」


  ◆


【ラァ・スイティアラ】。

 ヘルミネンの街一番の高級娼館であり、文化芸術の香りを求めて、王都からわざわざ訪れる客も多い。ここにはフィオレンツァ家も資本参加していた。

 そこのアトリエでシルヴェリオが絵筆を握るのは、昔父親から振られた仕事だからでもある。

 モデルはいつも新人の娼婦であり、婦人画は顔見せとして使われる。その少女は独特のメイクでは隠せないほど緊張していた。男性に、しかも超絶の美形にこれほど長時間見つめられるのは初めての経験だ。


 扉がノックされ一人の女性がティーワゴンを押して入室する。グラツィアはシルヴと同年の娼婦で健康的な魅力を隠さない。この地味な感じが人気でもあり、シルヴェリオも好きであった。

「休憩しましょう。初めては意外に疲れるのよ」

「うむ。ソファーに移って楽にしなさい」

「はい……」

 新人娼婦はこわばっていた体の力を抜く。適度の緊張と解放が婦人画のコツである。ただし何事にも例外はあるが。

 グラツィアの入れたお茶を一口飲み、シルヴェリオは背もたれに体をあずけた。少し目を閉じてからカップを持って立ち上がる。

 背後の壁には先人の誰かが描いた婦人画が十数枚飾られている。左側は不幸にして事件や事故で亡くなった者たち。右は自ら命を絶った娼婦たちだ。今日は新人娼婦が覚悟を決める儀式でもあった。

 シルヴェリオもまたこの部屋を使うならば、儀式のように絵画の娘たちを眺めるのだ。


「最近の様子はどうだ?」

 思い出したように、グラツィアを振り返る。

「店は普通に繁盛しています。ただ客層は少し変わったかしら?」

「それは?」

「お坊ちゃまと同じことを聞くお客様たちのことね」

「近衛か憲兵団の連中か……」

 シルヴェリオは一瞬だけ焦るが、娼館に客として来ているのなら別件だろう。

「最近若い女性が殺されているって噂もあって、娘たちも不安がっているのよ」

(そんな噂は報告書に書かれていなかった……)

 執事やメイド界隈には漏れ伝わない噂。特定の世界にだけ広がっているのには理由がある。

「連中にならって、私も夜の街を歩いてみるか」

「あら、お客様として来ていただけるのかしら?」

「いや、噂とやらを警戒しよう」

 シルヴェリオの瞳は、否応なしに一枚を見つめていた。この絵の作者とモデルが何者かを考える。以前は気にもとめなかったが、今その絵は中央に飾られていた。

「気になる?」

「想像力がかき立てられるな。以前は左側だった」

「ちょっと前に紐が千切れて落ちたの。それで遺書が見つかったのよ」

「こんな所に隠していたのか……」

 グラツィアは事情を語り始めた。それは歴史の一人となった、ある娼婦の生き様だ。

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