第20話揺らぎ
神殿からさほど遠くない丘の斜面に損傷した飛空挺が横たわっていた。木々を薙ぎ倒した船体には大きな穴が数ヶ所あり、動力の可燃性燃料に引火し爆発を起こしてもおかしくない状況であったにも関わらず炎上を免れていた。
これは聖女の力で抑えた為だった。
「怪我人がいたら直ぐに私を呼んでください」
負傷した者の怪我を治癒して忙しく動くフィエルンの近くで、エスタールは救助に当たっていた。
「フィエルン」
船体の割れた残骸の下から人を発見して彼女を呼ぶと、駆け付けたフィエルンは一瞥し首を振った。
「…………そうか」
死者が少なかったのは奇跡的だったが、それでもゼロではなかった。
「安らかに、お眠り下さい」
冷くなった手にフィエルンが手を置いて、静かに祈り捧げるのをエスタールは見ていた。
もう涙は流していないが、顔色は悪く活気はない。勿論身体の疲れはあるだろうが、それよりも精神的な疲労が心配だった。
急速な聖女の力の開花、それに伴う記憶の蘇りに、人間の身体での驚異的な戦闘。全て魔王が故意に仕向けたことだ。
魔王は人間の価値観や倫理感に縛られない。人の命なんて塵に等しいのだろう。
フィエルンを手に入れる為だけに飛空挺を破壊したのを目にして恐ろしくないと言えば嘘になる。思えば目覚めて間もなく三国を滅ぼしたのだって、聖女を刺激する為に仕掛けたことだったのだろう。
ただ見つけたくて。
だがあの時、魔王はエスタールの腕の中から無理に彼女を奪わなかった。拒んだフィエルンを見つめ、無言で顔を背けて姿を消した。そして女の魔物もいつの間にかいなくなっていた。
自分の懐に顔を埋めていたフィエルンが、消える前の魔王の表情を見ていたらどう感じただろうと考えてしまう。
人間らしい傷付いた瞳をしていたから。
「こちらへ、フィエルン様!」
ジェスの声に、考えを振り払ったエスタールはフィエルンと向かった。
「ローネンシア様、良かった」
ジェスに抱えられたローネンシアは至る所に傷を負ってはいるものの意識があった。
「貴女が…………フィエルン様ですね」
「はい」
治癒の光に包まれたローネンシアが、彼女の手を両手で握った。
「お会いできるのを楽しみにしていました。よくぞ……………」
感に堪えないと言った様子のローネンシアに、フィエルンは優しい顔を向けて手を握り返した。
「私もあなたに一度お会いしたかった」
古い記憶の中、聖女にとって代々の神官長は親代わりだったはずだ。初めて会うはずの互いなのに、エスタールには立ち入れないものがあった。
彼女を守ると言っておいて、守られているのは自分。
エスタールを守るためにフィエルンは行かなかった。否、それだけではないのは分かっている。でも、それが悔しかった。
負傷者の手当てが終わり、死者を弔うだけで一日が終わろうとしていた。神殿の片付けや飛空挺の搬入や修理は次の日から取りかかることになっていた。
「フィエルン、まだ起きている?」
眠っているなら起こさまいと、エスタールは戸を指で小さく叩いた。
「エスタール?」
寝間着の上に白い羽織を身に纏ったフィエルンが扉を開けた。
「ごめん、起こした?」
「ううん、眠れなくて…………」
部屋にある一つだけの窓から注ぐ頼りない月明かりに、彼女の物憂げな横顔が照らされてエスタールは胸がドキリと跳ねたのを感じた。
「少しだけ話がしたいんだ。部屋に入ってもいいかな?」
「うん、私も色々聞きたかったの。昼間は大変だったから」
エスタールを招き入れたフィエルンは、室内灯を明るくするとソファーに座るように彼に促した。
「あの子は、リシャ様は無事なの?」
「ああ、家族は皆無事だ。母とリシャは母の実家の公国にいるよ。父達は国を建て直そうと頑張って下さっている」
「そう、良かった」
胸を撫で下ろしたフィエルンは、エスタールに背中を向けた。
作り付けの棚の幾つもある引き箱の右端の真ん中辺りを引いて茶器を取り出すのを、エスタールは眺めていた。
代々の聖女が暮らした部屋にフィエルンはいる。そして当たり前のように何がどこにあるか分かっていて自然に使っていた。
今更だが、本当に聖女なのだと痛感してしまう。皇太子の兄が今の彼女を見たなら、馬鹿にすることも無かっただろうに。
反して違う想いもあった。
自分から遠ざからないでくれ、と。
「…………フィエルン」
「何?」
「君は、魔王を愛しているのか?」
ガチャン、と茶器がフィエルンの指から滑り落ちた。
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