第11話 妖の所
『痛かったねぇ』
まるで自分が怪我をしたように顔をしかめさせる婆様に、幼い姿の白蓮は大丈夫というように頭を振った。
婆様が手を白蓮の擦りむいた膝にかざし『痛いの痛いの飛んでけ』と唱えてやると、まるで傷がなかったように痛くなくなる。いつもそうだ。婆様の手が怪我をしているところに翳すと、気づいたときには傷がきれいに消えている。今回も膝の傷が消えていて、白蓮は顔を輝かせて手を叩いて喜んだ。
しかし、少ししてその顔が曇る。
『ねぇ、婆様。どうして皆、化け物っていうのかな…?』
婆様が白蓮のその言葉で固まる。一方の白蓮はそれに気づかず、先程まで怪我をしていた足をさすっていた。
『…白蓮は化け物と呼ぶ皆を憎むかい?この村から離れたい?』
白蓮はその問いかけにしばし考え込んだ後、それでも首を傾げて言った。
『
白蓮はそう言うと胸元の服を握りしめる。それから澄んだ露草色の瞳をまっすぐ婆様に向けた。
『白は皆を知りたい。憎む、憎まないはわからないから、皆の心を知って判断したい』
そのまっすぐな目に、言葉に婆様はまぶしい何かを見るような目で白蓮を見つめ返すと、そっと白蓮を抱き寄せた。
『白蓮、忘れないで。妖の心は陰そのものなんだよ』
『…うん? わかってる』
『そしてあなたは一人じゃない』
『うん。…婆様がいる』
暗示しているように言う婆様に、白蓮は少し照れるように頬を染めて足をぶらつかせる。
『そうだね。けれど私があなたの側にいられるのは永遠じゃないんだよ』
『…婆様?』
『白蓮、気を付けて。――はいけな…よ』
『婆様?!』
抱きしめられた感覚が薄れ、目の前にいたはずの婆様も、周りにあった家の風景もスーッと気に包まれてしまう。白蓮はそんな中、一人手を伸ばして叫んだ。
☯☯☯☯☯☯
「ばばさま……!」
自分のあげた声にハッと目を開ける。
伸ばした手の先には見慣れた天井があって、しばし置かれた状況に困惑する。
(夢…)
それがわかると、伸ばして重くなってきた腕を重力に従って頭の上におろした。するとそこで自分の頭に布が巻かれていることに気づいた白蓮は、気絶する前の事を思い出しガバッと起き上がる。
寝ている暇はなかった。
(村人たちは?あの人は?今、妖は?)
混乱する白蓮周りを見渡し、翔輝と大勢の村人たちの気配が近くにないことに焦る。そんな時、視界の端に何やら紙切れが見えて、白蓮は急いでそれを読んだ。
『寝ておけ』
恐らく翔輝の字で一言書かれた書置き。
白蓮はそれを見て無言で紙を握りつぶすと、布団から飛び出した。
空の色は気絶する前と変わらない。そこまで長く眠っていないのかもしれない。
外には白銀が座って待機しており、白蓮が家から顔を出すのを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。
白蓮はしゃがんで白銀を迎え入れ思うがまま毛並みを撫でてやると、「行くのか?」と言うかのように銀色の瞳を不安げに揺らす白銀と目が合った。
白蓮は安心させるようにもう痛くない頭の布を取り去ってみせると、「お前は危ないかもしれないから、ここで待ってな」と伝えて離れようとした。
しかし、白銀は白蓮の服の裾を加えて引き留めると、自分の背を見せてチラッと白蓮を見た。
「もしかして…、乗せていってくれるのか?」
驚き尋ねる白蓮に白銀は答えるように尻尾を振った。
確かに白銀は狼にしては大きい体をしている。白蓮一人くらいの大きさなら乗せていけるだろう。それに白蓮が走って向かうより、明らかに速く目的地に向かうことができる。
白蓮は白銀にお礼を伝えってその背にまたがると、いつにもまして鳴り響く心臓の拍動を感じながら急いで未だ黒い炎が立ち上る場所へと向かった。
☯☯☯☯☯
「あれか。…でっけぇな」
翔輝と村の男衆は、大熊が住処にしていそうな洞窟の前にある草木に身を隠しながら、目と鼻の先に存在する黒くて巨大な塊の様子を見ていた。
さすが、遠くからでもはっきり見える陰の気を放つ妖だ。
近くにいるだけで毛が逆立つほど嫌な感じがする。
(さてどうしたものか)
優先すべきことはまず消えた子供たちの救出だ。しかし翔輝達の隠れている草陰からではその安否も、さらには存在すらも認知できない状態だった。洞窟の中にいるのか、もしくは腹の中か…。後者でないことを祈るしかない。
それに封印が解けているのに特に動く様子はないことが何より不可解だ。様子を見ているだけなのか、封印が解けた反動で動けないのかはわからない。
(少し動いてみるか)
翔輝は横目で村人たちの様子を見る。
もしかしたらこの中には、生まれて初めて妖を見るといったものが多いかもしれない。顔色を悪くさせている者がほとんどで、数人はすでに逃げ腰だった。
しかしそれでも、村にいる家族の事を守りたいという気持ちがあるからか誰も武器から手を離している者はいない。
「なぁ兄ちゃん。こんな鍬であいつを倒せんのか?」
「あぁ。普通先に妖へ物理攻撃を食らわせて動けなくし、それから陽の気を浴びさせて消滅させるんだ。今回あんたらにやってもらうのは、万が一動いたときの攻撃になる」
「なるほど」
「ちょ、ちょっと待てよ。陽の気ってんのはどうするんだい?俺たちは武器しか持ってないだろう?」
「それについては問題ない。何とかする」
「何とかって…」
どうやって…と男たちがより不安そうな顔になる。
翔輝はそんな彼らを見てもただ笑って「これ以上は機密事項なんだ」と答えた。
別に策がないからとやけくそで言っているわけではない。
翔輝は懐にある手のひらより大きいめの巾着袋に触れ、密かに冷や汗をかく。その袋の中には、陽の気を凝縮させた結晶が入っており、妖を消滅させる効果がある。
ただこの袋に入っている量で目の前にいる妖を消滅できるかは別問題なのだが、それ伝えれば確実に彼らの不安要素になる。それだけは避けたい。
そんな時、少し離れたところにいる誰かが何かを止める声が聞えてきて翔輝はその声のする方に目を向ける。すると、数人の男が立ち上がり山を下りようとしていた。
怖くなったのかと一瞬思ったが、彼らが向かおうとする先に少女が一人立っているのが見えた。村の男たちが一人見つかったことに対して安堵の声をあげる中、翔輝だけが目を見開き声をあげた。
「待て!それ以上近づくな!!その子は――」
翔輝が言葉を言い終える前に、少女の背中から大きな黒い手が飛び出し、近づいた男たちの体を掴むと黒い靄で包んだ。
その光景を見た村人たちは悲鳴をあげ、少女からも妖からも距離を取ろうと比較的少女から離れた位置にいた翔輝の近くへと走り出す。
そんな中、翔輝は少女と妖を視野に入れつつ、周りの様子をうかがった。
(あのデカ物が動かなかったのは、さらった子供に意識を憑依していたからか。だとすると他にもいる…!)
翔輝は怖がる村人たちを連れて林から抜け出す。
一般的に妖の種類はたくさんあって、その中でも濃度の高い陰の気で作られている妖は人が持つ恐れ、後悔、狂気などの陰を生み出す要素に入り込み憑依する奴がいる。
今回の妖は少なくとも長い間ここに生息していてさらに結界で無理矢理封じたものだ。それなりに陰の気を蓄えていてもおかしくない。おそらく妖を見て恐怖した他の子供たちも同様に憑依されている可能性がある。
「お、おい!あれも子供たちじゃないか?!」
「どうなってんだよ、これは!」
「あの黒い妖を抑えるだけでよかったんじゃないのかよ…!」
翔輝の背後から声が上がり、視線を向けると同じように子供たちがゆっくりと林の中から近づいてくる。その中にはつい数日前に翔輝を蹴り倒そうとしてきた少年もいて、他の子供たちと比べて纏う陰の気が多いようだった。
(出し惜しみしている暇はないな)
翔輝は歯を食いしばった後、袋の中に入っていた陽の気の結晶を村人たちの頭にふりまけた。すると結晶からほのかな光が発せられ、村人たちの中へと溶け込んでいく。
「これは?」
「妖の干渉から守ってくれるものだ。少なくとも、これで子供たちやあの二人のようにはならない」
翔輝の言う二人というのは、先程黒い靄で包まれてしまった男たちだ。憑依系の妖は人を介して自分の陰の気を渡すことで操る人間を増やすこともできる。対して陽の結晶はそれらをはじく効能が期待できるのだ。
村人たちに結晶をかけたことで代わりに袋の中にあったものがほとんど消えた。でも後悔はしない。
翔輝は持っていた武器をそこらへんに落ちている木の棒に代えるとそれを左手で構え直し、目の前にいる子供たちと先程取り込まれた2人の男たちに集中した。
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