見える
第6話
もう夏になるというのに、暑くもなく、さわやかな陽気だった。日曜ミサにふさわしい。
ポーリク青葉教会の中庭は、ミサを終えた後の懇親会の参加者でにぎわっている。
最近は真面目にミサに参加する信者が少なく、嘆かわしい、などと言っていた神学校の教師を思い出す。うちはそんなことがなくて良かった、と青山幸喜は目を細めた。
ポーリク青葉教会は、青山の曾祖父であるアイルランド人のディアミド・オフラハーティが、日本にキリスト教を広めるために建てた教会だ。現在は、三代目である父が牧師になっている。
特徴は、天窓から差し込む美しい光で、冬でも聖堂内がほんのり暖かいこと。そして、世にも珍しい悪魔祓いをするプロテスタント教会だということだ。
悪魔祓いを始めたのは、亡くなった祖父だと聞いている。悪魔祓いというと、ほとんどの日本人は、夏の心霊特集番組などで紹介される海外の映像や、洋画のホラーなどを思い浮かべるだろう。要は、自分の身に起こりうる何かだとは露ほども思っていないし、ネタ的な、インチキ臭いものだと考えている人が多い。
実際、ポーリク青葉教会はネットでは有名で、そのせいでからかわれたことも一度や二度ではない。しかし青山は、悔しく思ったことはあっても、恥ずかしく思ったことは一度もなかった。
実際に悪魔は存在するからだ。
青山は幼少期に一回、成人してから一回、悪魔が人間にとり憑き、暴れまわるのを見たことがある。
そもそも、悪魔祓いというのは、あのように映像に残したり、パフォーマンス的にやるものではない。
祖父はいつも相談しに来た人間をきちんとカウンセリングし、本当に悪魔に支配されているのかどうか調べていた。ほとんどの場合、相談者は、心が疲れていたり、病気で疲弊したことによって何もないところに悪いものを見出していただけだった。祖父は、しかるべき医療機関と連携を取って解決していた。ごくたまに、本物に当たる、というだけだ。
祖父の態度はいつでも真摯だったから、こんなにネットで有名なのに、必要以上の悪意を持った憶測の書き込みをされたり、教会や信者が嫌がらせを受けたりしたことはない。
青山は自分の実家と、祖父に誇りを持っていた。
「ちょっと、なに黄昏てんのよ」
後ろからどついて来たのは、姉の祥子だ。
祥子は、色素が薄く二十七歳の今でも少年のように見える青山とは違い、母に似て南国風のしっかりした顔立ちをしている。
結婚した今になってもたびたび実家を手伝いに来てくれており、口は悪いが、青山にとってはありがたい存在だ。
「サンドイッチもスープも美味しいってさ! よかったじゃん、料理男子」
「料理が女性だけの仕事って考え方がもう古いから」
「そんなこと言ってねえだろ」
祥子はまたも青山をどついた。
「あんたは正直、頼りないし、フラフラして、家継ぐんだか継がないんだかも分かんないけどさ。料理上手いから、嫁さんは来てくれるかもしれないって思うよ」
祥子はいたずらっぽく笑って、
「あ、ほら、大好きなるみ先輩とか! あの子なら、食いしん坊だし、いいんじゃない?」
そう言われて、青山の顔は真っ赤に染まる。
「先輩は、上司だからっ」
祥子は意地の悪い笑みを崩さず、ニヤニヤと青山を眺めている。
るみ先輩、こと佐々木るみは、青山がポーリク青葉教会の副牧師になることを決めきれていない原因の一つだ。
青山は、るみと一緒に「佐々木事務所」という心霊関係に特化した事務所を経営している。
るみと青山は同じ大学の同窓生で、学生時代、るみは青山が所属する斎藤ゼミのチューターだった。斎藤ゼミは民俗学者である斎藤晴彦教授のゼミだ。彼は本業よりもむしろメディアで活躍するオカルティストとして有名であり、青山はそこに興味を持って選択したに過ぎないのだが、るみは斎藤教授に心酔していた。
斎藤教授は六十代になった今でもツヤツヤと健康的な肌をした、いかにも変わり者の男性だが、るみも負けず劣らず、というか、圧倒的に変わり者だった。
るみは今年三十四歳になるが、彼女の実年齢を初対面で言い当てた人間はいない。五十代と言われても、十代と言われてもなんとなく納得してしまう。性別もまた、見た目からは非常に曖昧だ。いつも薄汚れた灰色のスウェットを着用して、分厚い眼鏡をかけ、ボサボサの髪を後ろで一つに束ねている。女らしさというものをどこかに捨て去ってしまったような外見だ。
そんな変わり者で、およそ女性としての魅力には欠けるるみだが、青山はるみの存在を好ましく思っていた。
まず、何よりも様々な物事に造詣が深く、話し方こそエキセントリックだが、とても興味深い話を沢山してくれる。学生時代、レポートが行き詰った時も、その深い知識には何度も助けられた。
加えて、青山は、るみに命を救われたことがある。
それこそが、青山が成人してから一回だけ遭遇した本物の悪魔に関する事件だった。
悪魔はるみの友人男性の体を乗っ取り、不快な声で喚き散らし、大勢の命を奪おうとした。当時まだ生きていた青山の祖父と一緒に、るみは見事に事件を解決した。悪魔祓いの最中で青山は悪魔に襲われ、命を落としかけたが、危険を顧みずそれを救ったのは他ならぬるみだ。
青山は、その時から、るみのことを優しく、天使のような存在だと思い、尊敬していた。
佐々木事務所を設立しよう、と言い出したのも青山の方からだ。るみから、将来的には民俗学の研究ではなく、もっと趣味に走った生き方をしようと思っている、と言われて、じゃあ一緒に――と誘ったのだ。青山は頼まれてもいないのに、事務仕事の全てを請け負っている。
二人は、今までに何件か心霊関係の事件を解決した。
るみは、映画「ゴーストバスターズ」のように、自らが積極的に怪異現象を倒しに行くということはほぼしない。ほとんどの場合、その深い知識を以て原因を特定し、その原因にふさわしい解決方法を模索し、直接的な解決はしかるべき専門家に依頼する。その力は本物で、今のところ彼女が失敗したところは見たことがない。青山も危険な目に遭うことが何回かあったが、そんなときもるみは助けてくれた。
しかし実際のところは、るみの信条は「魔は美しいものに惹かれる」で、その場に彼より美しい人間がいなかった場合、青山は怪異を誘き寄せる囮にされた。青山が危機に陥るのはそのときであり、つまり、青山がるみに感謝する必要は一切ないのだが、非常に人の好い青山は、やはりるみ先輩は勇敢で優しい天使のような人間だ、と評価していた。
つい数か月前も、青山はるみと一緒にカルト教団に囚われてしまった女性を救出する、という仕事の解決に当たった。
教祖と言うべき少年が人智を超えた力を有していたため、かなり規模の大きい事件になってしまい、ニュースでも報道されるような事故まで起きてしまったのだが――それも、るみのおかげで当の女性、島本笑美は救われた。最初笑美を見たときは、消え入りそうなくらいか弱い、意志薄弱な印象だったが、今の彼女はきちんと自分の意志を持って前に進んでいるように見える。最近では、ポーリク青葉教会の「聖書の勉強をする会」に積極的に参加して、仕事がない日は教会の手伝いをしてくれることもある。こうした結果もまた、るみの人徳によるものだと青山は思っている。るみの良さは、伝わる人には伝わるのだ。
「えー、すごくいいと思ったんだけどなあ」
祥子は青山の真っ赤な顔を見ながら、
「そりゃ、最初は怪しいと思ったよ。可愛い弟が、変な女に騙されて、実家も継がないで怪しい仕事してるって。だけど、今は結構賛成かも。変な仕事してても、牧師はできそうだし、そもそも、ウチの教会、一般的には変な仕事してると思われてるし。それに、るみ先輩は変わってるけど面白くていい子だし、あんたの百倍くらいしっかりしてるもんね」
「お姉ちゃんが良くても、向こうは良くないかもしれないだろ」
「あっ、あんた今、意図的に自分のこと言わなかった。あんたはどう思ってんのよ。どうせ、好きなんでしょ」
祥子は手に持っている教会のパンフレットを筒状にして、執拗に青山の脇腹をつついた。いい加減にしろよ、と声を上げようとすると、
「こうきくん!」
背中に鈍い衝撃が走った。思わず、前につんのめる。
「ふふ、びっくりした?」
「七菜香ちゃん……痛いよ」
七菜香が、満面の笑みを浮かべて立っていた。どうやら青山の背中に体当たりをしたらしい。
七菜香はポーリク青葉教会の信者の子供で、小学四年生だ。教会が主催している「聖書の勉強をする会」と英語のクラスに、毎週積極的に参加している。
普段は非常に真面目で礼儀正しく、年下の子供の面倒をよく見ている。こんなふうに子供らしい一面を見せるのは青山にだけだ。
「七菜香ちゃんの邪魔しちゃ悪いし私はもう行くわ」
じゃあね七菜香ちゃん、と頭を撫でて、祥子は去って行った。姉の不躾な追及から逃れられた安堵感で、青山はふう、とため息をついた。
「祥子お姉さんともお話ししたかったけど、今日話があるのはこうきくんになの。だから、よかった」
七菜香は幼い顔に、真剣な色を浮かべていた。
「あまり人に聞かれたくないことなら談話室に行こうか?」
青山がそう提案すると、黙って頷く。談話室とは、祖父が存命のとき、格子越しに誰にも言えない悩みを持つ人の話を聞いていた場所だ。今では、ほとんど相談しに来る人もおらず、「聖書の勉強をする会」など、専ら子供のために使用されている。
一応、七菜香の親にも一言断るべきだろう、と辺りを見回すと、七菜香が腕を引っ張って首を横に振った。
「今日はパパもママも来てないよ」
「そうなんだ」
どうしたものか、としばし逡巡して、思い出す。そういえば、祖父が悪魔祓いの時に親族が見られるよう監視カメラを取り付けていたはずだ。恐らく今は使われていないけれど、残っているかもしれない。このご時世、少女と成人男性が密室で二人きりになるときは、とても慎重にならなくてはいけないのだ。
信者たちと歓談していた姉に声をかけて、カメラのことを聞くと、今も現役で使っているのだという。七菜香ちゃんが話したいことがあるらしいから、と言うと姉は頷いた。
七菜香は、その間も口を真一文字に結んで、真剣な面持ちを崩さなかった。体当たりしてきた無邪気さが嘘のようだ。
談話室に着くと、七菜香はいつも彼女が座っている赤くて丸い椅子ではなく、大人用の木の椅子に腰かけた。彼女のなにかしらの覚悟の表れなのかと思うと、自然と青山の気持ちも引き締まる。
「じゃあ、なんでも聞くから、話してくれる?」
青山は祖父の言葉を、態度を真似して、優しく問いかけた。
*
わたしの学校では、最近怖いうわさが流行っています。
最初は、学校の七不思議というやつでした。
① 夜中に学校に忘れ物を取りに行くと、行きはふつうに教室に着くのに、帰りは下りの階段が無限に続いている。そこでいったん階段を上って、上ってきた階段と反対側の階段から下りないと、異世界に連れていかれてしまう。
② 真夜中の体育館でバスケットボールをすると、いつの間にかメンバーが一人増えている。無視して遊び続けると、いつの間にかボールがその子の生首になっている。
③ 誰もいないときにパソコン室を使うと、パソコンの中からたくさん手が出てきて、パソコンの中に閉じ込められてしまう。
④ 夜4時44分に誰もいない音楽室から「エリーゼのために」が聞こえてくる。それを四回聞くと、死ぬ。
⑤ 誰も放送室を使っていないのに、ときどき、謎のお昼の放送が始まる。すぐに耳を塞がないと、悪いことが起こる。
⑥ 学校の三階のトイレの、左から三番目の個室を三回ノックすると、小さな声で「はい」と返ってくる。それに答えると、トイレに引きずり込まれて死んでしまう。
⑦ 七つ目を知ると、死ぬ。
七不思議なのに、七つ目がないのは変だよね。でも、友達のお姉ちゃんのときも、お母さんのときも、全部、七つ目はなかったんだって。七つ知ると死んじゃうらしいから、知ってる人は、皆死んじゃったのかもしれないね。
こういううわさを流行らせるのは、いつも、ミキちゃんという、ちょっと変わった子です。ミキちゃんは本当におしゃべりなんだけど、面白いから人気者です。
一か月前くらいから、ミキちゃんは、「ボク、七つ目を知ってる」って言うようになりました。皆なになに、って聞きたがったけど、「ホントウに危険だから、ちょっと教えられないなあ」って、にやにやするんです。
そんなこと言われると、ますます聞きたくなって、皆でおしえておしえて、って頼んだの。でも、ミキちゃんは、黙ってにやにや。
そのうち、ちょっとヤンチャな男子たちが、どうせ嘘なんだろって言って。
ミキちゃんが、嘘じゃないよ、って言ったら、じゃあ、どうしてお前死んでねーんだよとか言って。
そしたら、ミキちゃんは、「ボクは対処法を知ってるからね。専門家だもん」って言ったの。でも、男子たちは、ますます騒いで、うーそつき、うーそつきって。
ミキちゃん、とうとう怒っちゃって、
「じゃあ話すよ。覚悟のある奴は放課後教室に集まって」
って言ったの。
わたしは、聞きたくなかったから、そこから離れたの。怖い話、興味はあるし、面白いって思うけど……やっぱり、怖いし、死んじゃうのは嫌だから。
わたしが聞いちゃったのはね、断れなかったから。
絵麻ちゃんっていう、お姫様みたいな子がいてね、その子が、
「七菜香も聞くよね? 絶対来てよ。来なかったら、絶交だから」
って言ってきて。絵麻ちゃんに絶交されちゃうってことは、クラスから無視されちゃうってことだから。
でも、約束の時間に行ってみたら、ミキちゃんをうそつきって言った男子たちと、絵麻ちゃんと、わたししかいなかったの。なんで絵麻ちゃんはわたしだけ誘ったんだろう、って思ったんだけど、絵麻ちゃんはやっぱりほかの子にも声をかけてたんだけど、ほかの子は、おばあちゃんのお見舞いとか、おうちのお手伝いとかで、来られなかったって言ってた。わたしも、そういう用事があるって言えばよかったのかな、って思ったけど、うそはついちゃだめだもんね。わたしも興味はあったから、あきらめて聞くことにしました。ミキちゃんは専門家だし、大丈夫だろうって思って。
ミキちゃんの話は、こんな感じだった。
ハルコさんは息子の太郎くんと幸せに暮らしていました。太郎くんは、青葉南小学校の三年生でした。
ある日、ハルコさんは、太郎くんの大好物のアップルパイを焼いて、太郎くんが帰ってくるのを待っていました。でも、いつもはまっすぐ帰ってくる太郎くんが、五時になっても、六時になっても帰ってきません。
ハルコさんは家を出て、太郎くんを探しました。
道を歩いている青葉南小学校の生徒全員に、太郎はどこですか、と聞いて回りました。
でも、みんな知らんぷりです。
太郎くんはひどいいじめにあっていて、誰も太郎くんと関わりたくなかったからです。
ハルコさんは、とうとう学校にたどりつきました。
走って太郎くんの教室に向かいます。教室には誰もいませんでした。その代わり、掃除用ロッカーが、扉を下向きにして倒れています。
ハルコさんは全身の力を振りしぼって重いロッカーを元の通りに戻し、扉を開けました。
中から出てきたのは、太郎くんでした。
顔が真っ白で、人形のように動きませんでした。
ロッカーの扉の内側には、真っ赤な文字で、
「おかあさん、たすけて」
と書いてありました。
太郎くんはいじめでロッカーに閉じ込められ、窒息死してしまったのです。死ぬ前に、自分の爪をはがして、必死におかあさんに手紙を書いたのです。
ハルコさんは先生や警察に、いじめた子を見つけてくれと頼みました。
でも、先生も警察も、太郎くんが死んだのは事故だとハルコさんに言い聞かせました。
そのときから、ハルコさんはおかしくなってしまいました。
毎日学校が終わるころに校門の前で、
「男の子を探してください」
と生徒たちに頼んでまわるようになったのです。
そんなある日、ハルコさんは、学校に向かう途中、車にはねられて死んでしまいました。
その次の日、太郎くんのクラスメイトのAくんの夢に、ハルコさんが現れて、
「男の子を探してください」
と言いました。Aくんは嫌だ、と言おうとしましたが、夢の中では、ハルコさんに逆らうことができません。
一日目は、青葉池の前の道を通って、教会の中を探してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
二日目は、北口公園のジャングルジムに上って、公園中を見渡してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
三日目は、歩道橋を上がってから、右から三番目の階段の下を探してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
四日目は、区民センターの裏手にある、大きな駐車場を探してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
五日目は、大正通り沿いのコンビニの前を探してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
六日目は、シエル洋菓子店の裏道にある、水道管に沿って探してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
七日目は、あなたの家の中を探してください、と言われます。
Aくんは見つけられませんでした。
次の日の朝、Aくんは、ベッドの上で冷たくなっていました。Aくんは、太郎くんを見つけられなかったので、ハルコさんに地獄に連れて行かれてしまったのです。
次にハルコさんの夢を見たのはBくんでした。Bくんも、一日目、二日目、とハルコさんの言う通り探しましたが、やっぱり見つけることができません。
Bくんは、あまりにも怖いので、三日目の夜になる前に、友達のCくんに話してしまいました。
すると、三日目の夜、Bくんはハルコさんの夢を見ませんでした。
代わりに、Cくんの夢にハルコさんが出てきて、
「男の子を探してください」
と言いました。
そうです。
この夢を小学校の誰かに話せば、ハルコさんはその人のところへ行くのです。
もし、誰かに話さないと、Aくんのように、ハルコさんに地獄に連れて行かれてしまいます。
この話を聞いた一週間以内に、ハルコさんはあなたの夢の中に現れるでしょう。
これが、青葉南小学校の、七不思議の七番目だって、ミキちゃんは言うの。
わたし、すごく怖くなっちゃった。だってね、ほかの七不思議と比べて、お話がすごくくわしいし、ハルコさんが言ってる場所全部、本当にある場所なんだもん。
なんでわたしもこんなにくわしく話せるかっていうとね、ミキちゃんが、紙に印刷してきたのを持ってるからなの。なんでか分からないけど、ミキちゃん、来た人皆に配ってた。
本当に怖すぎたんだと思う。
男子たちも、なんか黙っちゃって。紙を捨てようとしたら、ミキちゃんは捨てたらハルコさんに呪われるよ! って怒鳴った。だから、残ってる。
その日はなんとなく、解散しちゃった。
次の次の日かなあ、絵麻ちゃんが、すごく興奮しながら話しかけてきて、どうしたのって聞いたら、
「私、夢にハルコさん出てきた!」
って言うの。
大丈夫? って聞いたけど、なんか絵麻ちゃんはしゃいでるから、おかしいなとは思ったんです。
そしたら、
「そんなの、ルイに話したに決まってんじゃん」
って言うの。ルイちゃんっていうのは、絵麻ちゃんといつも一緒にいるグループの子なんだけど。
それで、その日、ルイちゃんの夢にハルコさんが出てきたらしいの。ルイちゃんも、別の子に話したって言ってた。
わたし、怖いです。
だって、わたしは話せないもん。怖いけど、ほかの子に代わってもらえばいい、ほかの子が地獄に行けばいいなんて思えない。
わたし、地獄に行かないよね?
こうきくんが、聖書の勉強をする会で教えてくれました。
地獄は、悪い人と悪魔がいる場所だって。
わたしは、いい子じゃないかもしれないけど、悪いことはしていません。
だから、地獄に行かないよね?
*
七菜香は震えていた。
青山は考えた。かつて、自分にも、ここまで純粋に、天国や地獄の存在を聖書の言葉通り信じていたことがあったのだろうか。これはどの時代もそう思われているだけで何の根拠もない陳腐な発想なのかもしれないが、現代の子供はもっとリアリストだと思っていた。七菜香のような子供がいるのは、青山にとっては感動的というほかなかった。
青山はしばらく考えて、言葉を探す。
「けっこう怖い話だね」
祖父は相手がどのような突拍子もない訴えをしてきても、こうやってまずは共感的態度を示していた。
七菜香は小さく頷く。薄手のカーディガンの袖口は、ずっと握り締めていたからかしわくちゃになっている。
「僕が小学生の時も、七不思議はあったよ」
「そうなの……?」
「うん。七菜香ちゃんと同じ、青葉南小学校だよ。でも、ちょっと違ってたかな。七不思議の七つ目がないってとこは同じ」
「そうなんだ……じゃあ、ハルコさんの話もありましたか?」
「うーん、ハルコさんの話は聞いたことないけど」
七菜香の顔が一気に曇る。青山は慌てて、
「でも、似たような話はたくさん聞いたことあるから」
嘘ではなかった。
聞いた人が呪われる型の怪談はよくある。
最も有名なのは「カシマさん」であろうか。
この怪談自体様々な派生があるが、よく知られているものは、「カシマレイコ」という女性が、男性に乱暴されて線路に飛び込み自殺をした。列車が彼女の上を通りぬけたが、四肢を切断するだけで、彼女はそのまま出血多量で死に至るまで数時間苦しみぬいた。
この話を聞いた人間のもとに、夜、「カシマレイコ」はやってきて、三つ質問をする。
「手、いるか?」と聞かれたら、「今使ってます」。
「足、いるか?」と聞かれたら、「今使ってます」
「この話誰から聞いた?」と聞かれたら、「カシマさんから聞いた」
このように答えないと、「カシマレイコ」に手足を取られて死んでしまう。
というような話だ。
青山が最初に聞いたのは、たしか姉からだ。数日間寝るのが怖かった。しかし、これはあくまでフィクションだ。そんなことは起こらなかった。
青山はこれをそのまま、七菜香に伝えた。
怯える必要は全くない。七菜香の友達だって、青山の姉のように七菜香を脅かそうとして「本当に出てきた」などと言っているだけなのだ。自分もそうなので分かるが、七菜香はからかうと面白いタイプなのだ。
これで安心するだろう、と思って七菜香の顔を見ても、まったく表情は晴れていないどころか、先ほどにも増して沈んだ顔をしている。そして、
「ああっ」
鳥の断末魔の叫びのような悲鳴が、七菜香の口から絞り出された。
「どうしたの!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
七菜香は真っ青な顔をして震えながら、
「話しちゃった、話しちゃった、どうしようどうしよう、こうきくんが……こうきくんは悪くないのにっ……聞いてくれたのに……バカにしなかったのに……」
七菜香は何度もごめんなさい、と繰り返す。
「大丈夫だよ。ミキちゃんは『小学校の誰かに話せば』って言ったんだよね? 僕はもうとっくに大人だし、学校の先生でもない。だから、大丈夫。それに、やっぱりこういう話は、フィクション、作り話で、本当に起こったりは」
「こうきくん……ありがとう、励ましてくれたんですよね。でも、違うと思う」
七菜香はしわくちゃの袖口をさらに強く握りしめた。
「わたしね、もう、見てるの」
「え?」
青山の目をじっと見つめて、七菜香は言った。
「もう、ハルコさんに会ったの、夢の中で」
大粒の涙がふっくらとした頬を伝って流れている。
「二日目なの」
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