28話  いくじなし

「それが、美優ちゃんと会った最後。そのあとすぐに美優ちゃん、学校来なくなって。私、おうちに行く勇気とかも、なかった」


 のぞみは変わらない足取りで、重いかせでも引きずるように、歩いていた。


「これが真相。美優ちゃんとケンカしたのは、ノートを勝手に見た子。私は、あの子とケンカすることさえできなかった。ただただ怯えて、自分が傷ついたことに悲しんで、泣いてただけ」


 そこでまた一段と声が震えて、


「……サイテーでしょ?」


 俺は、同意も否定もできない。


「それからすぐだった。あの事故が起きたのは。みんな手の平返して、あの子のことを心配して。それが許せなかった。でも、私は何もしなかった。あの子は、私なんかより、もっと多くを失ったはずなのに。そのまま卒業して、あの子が引っ越したことを聞いて。もう、それっきり」


「でも、君はもう一度、あいつの家に行ったんだろう?」


「うちのお母さんがね、美晴さんと連絡取り合ってたみたいで。美優ちゃんの新しい住所も、お母さんに聞いたの。ただそれだけの話。君らが私のこと、突き止めたのとはわけが違う」


 のぞみはそこまで言うと、ごしごしとまぶたをこする。くるりとこちらを振り返り、


「それだけ! 話してみたら、めっちゃカッコ悪いね。悲劇のヒロインみたいに言っちゃったけど、ダサいだけだわ」


 気丈きじょうに言おうとしたつもりなのだろうが、目は真っ赤だし、顔も涙でぐしゃぐしゃのままだ。


「君のことえらそうに言ったけど、サイテーなの、私だわ。一番サイテー。ははは……」


 俺は、そんなのぞみの様子を、不思議な想いでながめていた。


 初めて会ったとき、美優はきっと、この子の不思議なまっすぐさに惹かれたのだと思った。

 けれども、深く掘るほどに、この子の中には言いようのない複雑さが折りたたまれていて、引っ張っていたのは美優のほうで、すがっていたのはのぞみのほうだった。


 強引に手を引いてどこへやら連れていってしまいそうだったのに、どこまでももろく、支えてあげなければならない。

 そんな愛おしさを、俺は感じてしまっていた。


「ごめんね……。こんなんじゃ、小説の参考にもならないよね」


「いや……」


 それは違うと、俺は思った。何かがまだ引っかかっていた。美優の心に刺さった、大きなとげ。もう取り戻せないものではなく、一番の棘は、今からでも抜けるはずのもの。その棘の正体が、もうわかっているはずだった。


「違うんだ……」


 俺は考える。何か、何かが俺の認識の中で、ずれていた。


「そんな君だから、必要なんだ」


 俺はいつの間にか、のぞみをまっすぐに見つめていた。のぞみは、たじろいだ様子だった。


「足りないピースは、君なんだ」


「私が……?」


 のぞみは顔が真っ赤になっていた。さっきまでとは、違う理由のようにも見えた。


「俺にとっても、君が必要だ」


 そうとまで言うと、もう沸騰ふっとうしそうな様子だった。


 けれども俺はそれに気づかず、考え込んだ。そう、俺の小説に足りない、最後のピース。それは確かに、のぞみが今、語ってくれたことのように思う。


 けれども、なぜ? どういうところが?

 まだ、うまく整理がつかなかった。


「あの……お~い、文学少年くん?」


 上の空な俺に、のぞみが呼びかける。


「あっ……悪い。考え事してた」


「人がいる前でさ~、なによ、それ」


「悪い、悪い」


「なに、考えてたの?」


「ん……なんだろうな」


 俺は、腑に落ち切らない己の中の思索が気にかかった。しかし、このまま考え込んでいても、どうにもならないようにも思えた。


「付き合ってくれてありがとうな。もう、帰ろうか」


「……うん。そうだね」


 それから俺たちは、寡黙かもくがちになりながら、駅まで向かった。

 駅に到着すると、俺はのぞみと同じホームへ向かう。


「あれ……? 君、こっち?」と、のぞみはやや狼狽ろうばい気味である。


「いや、遅くなったし、近くまで送ってくよ。迷惑か?」


「……そうは言わないけど」


 そんなこんなで、俺はのぞみを最寄り駅まで送ることにしたのだ。

 その駅は、駅前がだいぶ薄暗く、気味の悪い感じだ。部活帰りで遅くなることもあろうが、それにしても時間が遅い。


「お母さん、連絡してみる」


 のぞみはスマホを取り出し、通話するも、どうやら今は出られないようだった。


「まあ、こうなったのも俺のせいだからな」


 俺は、せめて街灯が明るいところまで、のぞみを送っていくことにした。


 線路沿いに、細い道が長く伸びていた。男の俺でも、ひとりでは少し心細いかもしれない。けれどもやがて、その道も太くなり、二車線になった。街灯もまばらに現れたが、まだ夜道の心細さは和らいでいないように思えた。


 道は線路を離れ、集合住宅の只中へ。児童遊園だとか、広場だとかがある広い空間を進むも、なぜだか心寂しい感じは募ってくる。


 立ち並ぶ集合住宅が、いくつも明かりを灯しているのに、誰にも見放されたような、そんな寂しさだ。


 のぞみが、身震いしたように見えた。


「大丈夫か?」


 たずねると、のぞみは「うん」と、短くうなずく。

 集合住宅の一棟いっとうの足元まで、俺たちはやってくる。


「私の家、ここだから」


 のぞみは俺の前に進み出て、その一棟を示す。


「ごめんね。こんなとこまで、送らせちゃって」


「いや……。こっちこそ、遅くまで付き合わせて悪かった」


 俺は少し苦笑すると、


「またな」


 会釈して、きびすを返そうとする。


「あの、ありがとね!」


 のぞみの声が、ようやくいつもの調子で弾んで言う。


「おう、さんきゅ!」


 俺も振り返り、返事する。

 のぞみは、にかっと笑い、手を振った。


 そののぞみが無事に棟の中へ入っていったのを見届けると、俺は来た道を戻った。

 さっきまで心細かったというのに、ひとりで同じ道を戻っても、不思議ともう気味の悪さはなかった。

 むしろ、わずかな街の光が、愛おしくすら思えていた。


 俺は、少し長かった一日を思い返す。


 美優を傷つけてしまったのは事実だ。その一方で、マユミとのぞみに言われた通り、俺が自分の小説を書き進めるのは俺の自由だ。


 俺は、その小説が俺自身のエゴだと思った。

 けれども、もしかしたらそうとは限らないのかもしれない。

 誰かのために物語を書くという、おごりかもしれないけれど、そんなことがかなうのかもしれなかった。


 駅まで戻る道のりは、その道筋を心に描くために、もってこいの時間だったかもしれない。

 そう簡単には行かないはずだ。でも、このままつむいでいけば……。そんな風に、思えていた。

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