2章 のぞみ

18話  覚悟

 美晴さんは最後までずっと俺たちに良くしてくれた。

 もう少しゆっくりしていったら、と言ってくれたが、これ以上甘えてはさすがに頭が上がらなすぎて、何度も美晴さんに礼を言って、その場を辞した。


 俺とマユミは、黙って来た道を戻った。


 太陽は西に傾いて、こういうとき、本当に自分たちの影は茫然と長く伸びているように見えるのだな、と俺は思う。


「お~い文学少年。君、明日時間もらうからね」


 やにわにマユミはそう言った。


「放課後、付き合えっての~。そのくらいはできんでしょ?」


「おう……」


 俺は気のない返事をする。


 マユミは、いらだたしげな深いため息を吐く。

 たぶん、殴られる。そう思ったのに、一向に殴られる気配がない。


「ひと晩寝て、ちゃんと心ん中、整理しときなね?」


 代わりにそう言った。

 やさしくするような柄じゃない奴にやさしくされると、かえって痛すぎるくらい響くんだな……。


 その夜、美優からお礼のメッセージが届いた。


「この週末はありがとう。遠出までさせちゃって。お金とか大丈夫だった?」


 ちょうど彼女に申し訳ないような気持ちでいっぱいだったから、その彼女から心配されるメッセージを受け取って、俺は情けなくも安心を感じてしまった。


「大丈夫だよ。楽しかったし。少しは青春、できたかな?」


 本当は大丈夫でもなんでもないのに、俺はそんな返事をする。


「そうだね。みんな、このくらいは普通なのかもしれないけど……。小説も、続きの構想は書きはじめた。また書けるようになるかは、まだわからないけど、君のおかげで少しは前に進めたと思う」


 そう返信が送られてきて、それから少し間があり、


「また、遊びに行こうね?」


 そう返ってきた。


 俺は、その余韻をそのままに残しておきたくて、「OK」のスタンプをただひとつだけ返した。


 その日のやり取りは、そこで終わった。


 翌日、学校で見かけた美優は、少し表情が明るかった。


「よ、おはよう」


 俺は軽やかに声を掛けた。


「おはよう」


 微笑を浮かべ、美優も挨拶を返す。

 こんな素直な笑顔、前なら絶対に見せなかった。


「調子、どう?」


「……うん、まあぼちぼちだよ。心配してくれてありがとうね」


 ややはにかんで、美優は礼を言う。

 俺は、その続きを切り出すか、少し悩んだ。


「良かったら、なんか手伝う? また、放課後にでもさ?」


 マユミとの約束もあるのに、そうたずねる。

 美優は、きょとんとしていた。しかし、すぐに笑顔を見せて、


「ううん、平気。しばらくは、自分の力で進めてみようと思う。最近ずっと付き合わせちゃって、ごめんね」


「いや、いいんだ。それじゃ、がんばってな」


 俺は軽い会釈ひとつで、自分の席へと戻った。

 水くさいじゃないかとか、俺が手伝ってほしいのだが、とか、そんなおちゃらけのひとつやふたつ、あって良かったかもしれない。今まで俺と美優はそんなふうに絡んでいたのだから。

 しかし、そんな軽口も挟めないように思ってしまったのだ。物腰が柔かくなって、逆に美優との距離が、開いてしまったような気がしたのだ。


 昨夜のメッセージで気持ちが上向いたはずなのに、俺はまた、沈鬱な気持ちになってしまっていた。

 ふと気が付くと、少し離れた席から、マユミが俺を振り返っていた。

 咎めるようにも、同情しているようにも見えた。

 俺はとっさに目を伏せてしまった。マユミもそれ以上俺のほうを見てはこなかったし、その日は特に話しかけてくることもなかった。


 そうして放課後になった。


 マユミとは、駅近くの路地裏で待ち合わせていた。ちょっと、さすがにいかがわしい感じもしたが……。


「シケてんね~~、今日も?」


 先に待っていたマユミは、風船ガムなんかふくらませながら、そう言う。

 反り返った胸は一段と立派だったし、短すぎるスカートから伸びる足もいつも以上になまめかしい。


 俺だけが、どこまでも矮小わいしょうな気分だ。


 マユミは低く舌打ちし、風船ガムを割る。


「ちえっ、いい女が相手してやろうっての。イキリ立ちやがれってんだ、コノヤロォ!!」


 そう言うや、俺の頭をわしづかみにして引き寄せ、背中に思いっきり肘鉄を入れた。


 冗談抜きで、痛かった。

 しかし、おかげでかつが入った。

 曲がった背中が、強制的にまっすぐになる。


「……すまねえっ」


 俺は軽く涙目になりながら、ようやく、腹に力の入った声が出た。

 まっすぐに見つめ返すと、マユミは柄にもなくたじろいだ様子で、


「……わかりゃいいっての」


 ごまかすように、身を転じる。


「よっっしゃ。んじゃ、行っくよ~~ん」


 ぺしゃんこのカバンを肩に担ぎ、マユミは言う。

 どこに行くのかは、告げられていなかった。どこかの喫茶店でまた何かの作戦会議……とかなのかと思っていた。


 けれども、マユミはそのまま駅へ向かってしまう。

 乗った電車は、俺がいつも使うのとは、違う方面だ。

 そして、降りたことのない駅で降ろされる。


 どこへ向かうのか、俺はまだたずねられない。

 ついには、住宅街の一角、それなりに……いや、それどころか、かなり立派な一軒の前まで、やって来てしまう。


「ここ、あたしんち」


 なんてことない感じで、マユミはその家を示す。

 広い庭付きの一軒家だった。高い塀で囲われ、監視カメラとしか思えない物質さえ取り付けられている。


「ほら、早く来なよ」


 頑丈そうな門にセキュリティカードをかざし、なんてことない所作で開くと、俺を手招く。


「入って……いいのか?」


 俺はどこから突っ込んで良いものやら、わからない。


「いいってのよ~~。どうせ親はいないんだからさ~~~」


 親はいない……? その含意を、否が応でも俺は妄想してしまう。


「そんな元気ないんじゃ、放っておけないっての。あたしだって、責任は感じてんだからさ……」


 しおらしい感じで言うその声も、なんだか意味深に思えてしまった。

 俺の心臓は、妙にとくとくと嫌らしく鼓動が早くなっていた。

 ひとまず、心の準備なんてのは、できてないからな……。


「お~い、こっち~」


 とにかく、どこが入口かもわからなくなりそうな邸宅ゆえ、足取りもおぼつかなくなりながら、マユミの後からついていく。

 玄関を入り、綺麗にしつらえられた屋内に見とれつつ、マユミの部屋らしき一室へやって来る。


「ふい~っと……」


 マユミは何を思ったか、カバンを放り、上着を脱ぎ捨てる。

 それから、真剣な表情で俺を振り返る。


「ひとつ、聞いておきたいんだけど」


「……なんだよ、改まって?」


「覚悟、できてるよね?」


 俺を壁際まで追い込み、そのまま壁に手をつく。


 あろうことか、壁ドンだ。


「覚悟って……」


「君とあたし、もう一蓮托生だよ。こんな大事な秘密まで、共有しちゃったじゃん? もうそのくらいの仲。わかってるから、こんなとこまでついてきたんでしょ?」


 俺は何も答えられない。


「あたしに任せときなよ。悪いようにはしない」


 マユミは俺の手を握った。


 俺は……覚悟を決めた。


「んじゃ、こっち」


 しかしマユミはくるりと身を転じ、拍子抜けなくらい軽やかに俺を部屋の外へ連れ出す。

 そのままズンズン廊下をさらに奥へと進んでいく。


 俺は頭の上に「?」がいくつも並んだ状態で、引っ張られるがままになっている。


「んねえ、連れてきたよ~」


 突き当りの一室へ入りがてら、室内へ向けてそう言う。


「お~、おつかれ~」


 中から聞こえたのは男の声だ。


 室内へ通されると、パソコンの前に座った広い背中が目の前にある。


「文学少年くんだよね。おはつ~~」


 マユミと同じ、間延びした話し方でそう言いつつ、その人は振り返る。

 トップを金色にした短髪で、右耳にピアスを付けている。

 やんちゃしてた過去があることをうかがわせる風貌だった。


 けれども、今はそうでもない、という印象が強い。

 なんというか、ずっとその先まで行っているような、そういうどっしりした独特の雰囲気がある。


「首尾はどんな感じよ~~?」


 マユミはその人の近くの椅子に逆向きに座り、パソコンを覗き込む。


「色々出てきたぜ~~~。役立ちそうな写真はっと……」


 短髪の男性はキーボードを操作すると、フォルダがめまぐるしく立ち上がり、何枚かの写真がポップアップする。

 そこには、どこかの学校の外観や、修学旅行か何かのスナップ写真、そして卒業アルバムの写しと思われるバストアップ写真なんかが含まれていた。


 その何枚かには、美優その人と思われる人物が写っている。


「これって……」


 俺は思わずパソコンの画面に見入る。


 美優は着ている制服が今とは別だった。おそらく中学生の頃だろうか。

 よく見たら、小学生くらいの風貌の子の写真もあり、面影から、その中にも美優と思しき人が写り込んでいるのがわかる。


「アニキはこういうの、得意だからさ~~」


 マユミは、自分のことのように自慢げに言う。


「名乗り遅れたね。俺はマナブ。よろしくな、文学少年くん」

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