第二、アガパンサス
昨日に引き続き、今日の部活終わりにも、道場に忍び込んだ。ただし、香花ちゃんは帰った。毎週見ているテレビアニメがやるからということだ。つまり、私一人で武道場に忍び込んだのだ。さすがに一人は気が引けたが、昨日見た彼の薙刀は、とてもかっこよかった。だからまた見たいと、意を決した。
今日も日亜くんは、一人で自主練をしていた。彼の声が聞こえてくると、気分があがって、またもや中途半端に開けてある扉に直行。何の迷いも消え失せていた。
心がときめいてしまうほど、心を奪われてしまうほど、彼は美しく、かっこいい。
でも、もちろん、バレたらヤバいなという緊張感は失っていない。それでも、常に私の胸中にいるりんこさんが励ましてくれる。そして、同じく常に私の中にいるイフさんには、ガミガミ文句をいわれている。
しかし、彼の薙刀はかっこいいのだ。できることなら、ギリギリのギリまで、ずっと見ていたい。いや、もっといえば、このまま永遠と見ていたいとも思う。そのくらいに、この瞳は奪われたのだ。もはや我をも忘れて、彼の姿に入り浸っていた。
ふと、我を取り戻した。日亜くんの動きが止まった。もう、終わりか。バレてしまう前に、ここを出よう。と、踵を返した。
「ちょっと待って」
背後から、声が飛んできた。日亜くんに決まっているが、これは私にいってるのか? この空間には、日亜くんと私の二人しかいない。なんて状況だ。彼は私にいっている可能性が非常に高いから、このまま立ち止まった。
聞こえないふりをして逃げるという手もあったが、それはできなかった。だるまさんが転んだの、鬼が振り向いたときみたいに、私は停止していた。
後ろが気になったので、振り返ってみると、ビビリな私は、慄然とした。
日亜くんは、こちらに近づいてきていた。それも、面を被ったままのフル装備の姿で、薙刀を担いでいた。一瞬、頭でもカチ割られるのではないかとよぎったが、そんなわけがないとすぐに思った。そして、イフさんからの罵倒が、ヒリヒリと痛い。
日亜くんは面を外し、ふっと微笑んだ。その笑顔で、私の緊張もどこかへ逃げていった。
「どう? 俺の薙刀さばきは」
もうとっくに気づかれていたみたいだ。
「今日は一人なんだね。昨日も来てたでしょ。友達と一緒にさ」
え、あれも? まさかの昨日のあれも、気づかれてしまっていた。
「今日はもう、ここまでにするから、二人で帰ろうよ。ミソりんと行ってみたい場所あるし」
私と行ってみたい場所?
「着替えるから待ってて」
日亜くんはそういって、更衣室に入っていった。
彼がいう “行ってみたい場所” とは、そこそこ広い、とある公園であった。
それも、綺麗に整備された公園で、気晴らしに散歩やピクニックなどをするにはちょうどいい所だ。花壇があったり、ランニングマンが走る小道の脇には、低木がずらっと並んでいた。その低木には、クチナシが咲いている。
「いい所でしょ。で、俺がミソりんに見せたいのは、あれ」
それは、背丈のでっかい植物だった。土台の、葉っぱが茂るところから、長いくでっかい茎が、無数に伸びていた。そして、茎の頭には、小さくて百合のような形をした、青か紫かの色をした花が、無数に咲いている。ヤマタノオロチを彷彿とさせる、強そうな花。でも可憐な花でもある。
「強そうで、可愛らしい花だね。なんだか、ヒガンバナみたい」
「形似てるよね。今ではヒガンバナ科に分けられたし」
「ヒガンバナ科なんてあるの?」
「あるよ。これはヒガンバナ科アガパンサス属のアガパンサスって花」
アガパンサスという名前。聞き慣れない単語だ。
「アガパン……」
アガパン。金ぶち星形のグラサンをかけて、陽気にリズムにノっているパンが脳裏に浮かんだ。アガっているパン……アガパンという、クソしょうもないことを思いついてしまった。めちゃくちゃシュールな絵面だこと。
「変な名前」
「ギリシャ語の “アガペ” と “アンサス” で、アガパンサス。“愛の花” って意味なんだ」
「そんな素敵な意味が」
なんてロマンチック。“愛の花” だというアガパンサスに。まったくちがう絵を浮かべていた私は、きまりが悪くなった。
「アガパンなんて、雑に略さないでよね。一体、何を想像していたの?」
日亜くんは、不満げに頬を膨らまして言った。
「ごめん。大したことじゃないから気にしないで」
「和名だと、ムラサキクンシラン《紫君子蘭》」
「ムラサキクンシラン……」
——ムラサキくん知らん?
またもやクソしょうもないことを思いついてしまった。今度はツボにもハマって、込み上げてくる笑いを必死に堪えていた。日亜くんは、ポカンと不思議そうに、首を傾げていた。
私はしばらくの間、彼の顔を見ることができず、アガパンサスの花をじっと見ていた。
しかし立派な花だ。ずっしりと、力強く生きているような感じがして。
「秋になったら、ヒガンバナが咲くんだよ。あのらへんにずらーと咲いて、一気に赤に染まって、すっげぇ綺麗なんだ」
へぇ。ヒガンバナか。秋の風物詩の花だが、あんまり馴染みはないかな。
ヒガンバナが咲くそのときにも、二人で一緒に見に行こうと、私は彼と約束した
帰るときの途中、私はとても可愛らしい花を見つけた。家のフェンスに絡まっていた、ツル科の植物だ。
小さな花で、おしべめしべのある真ん中の部分は、赤っぽい色。その周りは白色で、花びらの数は五枚だ。
「ヘクソカズラだ。うちの庭にも生えてるやつだ」
ヘクソカズラ《屁糞葛》……こんな可愛らしい花に、ヘクソって。
「どうして、そんな名前なの」
「臭ぇからだよ。だからヘクソ」
「ヘクソみたいな臭いがするってこと?」
「みたいだよ。俺は嗅いだことないけど」
「でも酷い名前」
「別名はヤイトバナ。サオトメバナとかあるよ」
そっちの名前の方がいいに決まっているが、インパクトに関してはヘクソがダントツであるか。
「ねえ、ミソりん」
「……?」
「街にはね、アガパンサスやヘクソカズラの他にも、綺麗な花が沢山咲いているから、休みの日なんかに、一緒に見に行こうよ」
楽しそう。興味深いな。花はどんなものでも皆好きだから、それに日亜くんみたいな、頼れる素敵な男子と共に行けるだなんて、夢物語である。
「名付けて “花巡り” 」
「面白そうだね。いいよ。一緒に行こうよ」
こうして、私と日亜くんとの、花の巡り旅が始まった。
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