2.最初の違和感
「LGBT」という言葉を初めて知ったのは、私が中学二、三年生のときだ。
LGBT活動家の中には、「セクシュアリティについて悩んだ」とか「差別された」とかと言う人がよくいる。しかし私の場合は、悩むことも苦しむことも一切なかった。
理由は複数ある。
一つは、日本で行なわれていた同性愛の歴史について小学生の時点で知っていたためだ。
私は歴史が好きだったので、日本史について祖母とよく話していた。そうして、織田信長と森蘭丸が同性愛の関係にあったことを知る。
歴史もののテレビ番組では、上杉謙信と男が
中学校に入ってからは推理小説に嵌る。一年か二年のとき、京極夏彦の『
当時、家のパソコンは通信速度が遅かったので、図書館でよくネットサーフィンをしていた。
当然、性に関することも調べた。
Wikipedia では、「両性愛」「少年愛」「ショタコン」といったページが充実していたのを覚えている。そこには、世界中の同性愛の文化について書かれていた。古代ローマやギリシア・イスラム社会・支那――日本だけではなく、様々な国で同性愛は旺盛だったのだ。
かつて、我が国では同性愛はノーマルな行為だった。それどころか、男性同士の関係こそが尊ばれていた。「LGBT」はおろか、「同性愛者」という概念さえ存在しなかった――
なので、「同性愛者への差別は伝統的に日本では少ない」という Wikipedia の文を読んだとき、まあ、そうだ、と納得した。むしろ誇らしく思ったほどだ。
事実、男性を愛するという理由で差別を受けた経験など、今まで私にはない。
一方、キリスト教では同性愛は禁じられており、同性愛者は弾圧されてきた。戦国時代に来日した宣教師たちは、男色が日本で盛んなことに驚愕し、このような文化は野蛮だと憤激する。
ルイス゠フロイスなどは、大内義隆に謁見したときの出来事を次のように書き残している。
「そして彼らが偶像崇拝の罪とか、日本人が溺れこんでいる誤りについて述べているうちに、ソドマ(引用註・同性愛の罪)に及んだが、そのような忌むべきことをする人間は豚よりも汚らわしく、犬その他理性を備えない
そうして Wikipedia のリンクをクリックしてゆき、「同性婚」というものを知る。
知ると同時に、引っかかった。結婚は少し違うと思ったのだ。しかし、なぜ違うと思うのか――当時の私には説明がつかなかった。
それどころか、ページを読み進めてゆくと、同性カップルが養子を取ることもできる国まであると書かれている。
違和感が最も強かったのはここだ。
私も子供だったので、そんな親の元で自分が育てられたらということを想像せざるを得なかった。何しろ、本来は母親がいるべきところに、二人目の父親がいるのだ。歯に衣を着せぬことを言えば、そんな親の元で育てられるのは嫌だと思った。
パートナーシップについても知った。つまり、同性婚ではなく、結婚に準じた制度がある国もあるという。
これは素直に気に入った。
養子縁組制度が同性婚の代わりに使われていることについても書いてあった。つまり、養子縁組制度を使って家族になれば、同性カップルでも結婚したのと同じ権利が手に入るのだ。ゆえに、同性婚を推進する運動は日本では進んでいないという。
パートナーシップと同様、こちらも気に入った。
しかし、なぜ同性婚には違和感を抱き、パートナーシップや養子縁組は気に入るのか――私にも分からなかった。
「両性愛」とか「少年愛」とかといったページが充実していた一方、「同性愛」「同性婚」という項目は貧弱だった。しかも堅苦しくて分かりづらい。恐らくは活動家が書いたものなのだろう。
そうしてリンクをクリックしていって――「LGBT」の項目に出る。
思わず首を捻った。
アルファベットにする必要性が全く分からない。単純に「同性愛者」ではいけないのか。
「トランスジェンダー」とは何だろう。
調べてみれば、「心と体の性別が一致しない人」のことらしい。ということは性同一性障碍か。だったら、なぜそう言わないのか。それが「LGBT」で一緒にされていることも違和感がある。
それから十年近く、このアルファベット群は忘れ去られる。
十数年後、「LGBT」を相手に激しい戦いを繰り広げることになるなど思ってもいなかった。
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