名前のない隣の女子高生

sueoki

僕は隣の席のJKの名前を知らない。

僕の名前は山田孝四郎。


渋い名前だからかなりのお年寄りと思われたかもしれないけど、まだ現役の男子高校生だ。


僕には2年生に進級して新しいクラスになってからずっと気になっている事がある。


それは僕の隣席の女子高校生の事だ。


僕は彼女の名前を知らない。


だから、僕は不思議に思ってクラスの友達に聞いてみた。


返ってきた答えは僕と同じで


「あれ?どんな名前だっけ?そう言えば知らないな〜」


知らない。


他の友達に聞いても誰もが「知らない」と答えた。


誰も彼女の苗字すら知らないと言う。


勿論、僕もだ。


ありえないと思うかもしれないけど、誰も彼女の名前を知らない。


僕はその意図したかのような謎に彼女という人物に対して興味が湧いた。


彼女を観察してみる事にした。


そこで驚くべき事実が分かった。


僕やその周りだけが彼女の名前を知らないと思っていたが、そうではなかった。


「じゃあ、次、ここやってもらえるかな?」


「ねーねー明日どうするー?」


「昨日のあれ見たー?」


「そうそう、あれやばかった!」


先生が彼女を指名する時、彼女の名前は一度も使っていなかった。視線でやり取りをしていた。


彼女の友達も、彼女とその周りの友達は、彼女以外の名前を連発する事があるのに、彼女の名前だけは使っていなかった。


そう、教師でも、友達でさえも彼女の名前を一言も発せずに完全に会話を成立させていた。


だが、ここまでぐらいならまだ日常の範囲内だと思う。


だけど、他のことにまで目をやるとだんだん“彼女の名前”について多くの情報が集まった。


ここまでの発言だと僕は変態ストーカーかもしれない。僕はそれでも構わない。彼女の名前を知る事ができるのなら。


それから毎日さらに彼女を観察した。


彼女の一挙手一投足を観察したメモし、彼女の癖や行動理念、交友関係、家族構成を調べ上げ、彼女の周りを埋めていった。


ここまで分かったことはある。


彼女の持ち物には1つも名前が記されていない。体操服にもロッカーにも。


チラリと隣から覗き込んでみたが、テストの解答用紙にも名前はなかった。だが、それでも彼女の解答用紙は彼女の手元にちゃんと返ってくる不思議だ。名前はなくともその解答用紙が彼女のものだと何故か判別がつく。字からなのか、なんなのかは分からない。


そして、意外と交友が多い。


彼女は手芸部に所属してるらしいが、かなり慕われている。


休み時間は彼女の元に確実に2、3人の人がいる。昼休みには後輩まで来ている始末だ。今まで僕は気づいてなかったが、彼女はかなり面倒見がいい性格の為、多くの人に慕われている。


だからこそ、僕の疑問はさらに大きくなる。


彼女は名前はなんなのか。


彼女の名前はなんなのか。


彼女の名前はなんなのか。


だけど、僕が最近気になってるのはそこじゃない。


何故、彼女には名前がないのか?


何故、彼女の名前が分からないことを誰も気にしていないのか?


僕はこの事実に気づいた時、怖くなった。


何気ない日常。


崩れる音が聞こえた気がする。


多分、これ以上は踏み込んではいけないラインだと分かる。


だけど僕はそんな彼女の名前を知りたい。


だからこそ知りたいと思った。


ここから僕の調査はエスカレートしていく。


僕は元々帰宅部だったが、手芸部に入部した。


手芸に興味はなかった。だけど、目的のために練習をした。いつの間にか、彼女以外の誰よりも上手くなっていた。


だが、そんなことはどうでもよかった。


僕にとっての最優先事項は彼女だった。


部活での彼女は笑顔だった。


ずっと、気持ちのいいぐらいに。ここで『気持ちの悪いぐらい不自然に』という言葉を添える事ができた方がネタとしては美味しかったかもしれないが、また彼女の人柄を知らされた。


部活に入部してよく分かった事があった。


先輩からも同級生からも後輩からも懐かれ慕われている。


会話が尽きることはない。だけど、彼女の手は止まらない。


その上、中途入部の男子である僕にと声をかけてくれる。


こんな『あなた』を観察対象としてしか見ていないような人間にも優しく接してくれた。



そうして彼女を観察していたある日、廊下である女子同級生に声をかけられた。


「ねぇねぇ、最近あの子の事ばっかり見てるよね〜」


話しかけてきた女子は同じクラスで同じ手芸部に在籍している彼女といつも一緒にいる女子だった。


その女子は少しニヤニヤとした表情をしている。


「ねぇ、もしかしてあの子のこと…あっ、やっぱりこう言うところで言うのはまずいかな?」


その女子は何か戸惑っているようだった。


僕は「遠慮は要らない」と言って戸惑っている先を話すように促した。


「え?いいの?」


寧ろそこまで引っ張られると内容が気になるから早く言ってほしい。


と言うか、この人は僕に何か用があるとは思えないんだけど…ただのクラスメイトでただの部活動が一緒なだけ。あれ?意外と共通している点は多いのかな?


「あの子のこと好きなんでしょ?」


あの子とは?


と返したら、指輪差して僕にあの子を教えてくれた。


“名前のない”彼女の事だった。


「ぜーーたいっそうでしょ!」


こう言って突き詰めてきた目の前の女子は興味津々とばかりに距離を詰めてくる。


目が獲物を狙う目をしていた。ちょっとだけ怖いと思った。僕にはこんな女性に言い寄られた経験がない。だからか、少しだけ緊張感が身体を迸った。


「だって教室にいても授業中も休み時間も部活もずっと見てるじゃん!」


この女子にこう言われて僕は初めて気づいた。


自分がそれ程までに“彼女”に固執していることを。


“彼女”を追い求めていることを。


僕は無意識のうちに観察と言いながらずっと彼女の事ばかり考え、彼女の事ばかり視界に入れていた。


だとして、僕は彼女のことが好きなのだろうか?


彼女を見ていて楽しいと思ったことはない。


彼女と話してドキドキしたこともない。


彼女を特別に扱ったこともない。


彼女と他で区別や差別したこともない。


僕にとって彼女の存在は『何故?』のまま動いていない。


この女子の言葉を聞いてやっと自分の行動に意識を知覚した。


だからこそ、僕は困った。


この女子への返答に。


彼女は目を輝かせて僕と彼女の関係に興味を持っているらしい。


僕は彼女の事を“好きではない”。


だからといって嫌いでもない。寧ろ、1人の人間として彼女を評価したらかなり高い好感度を与えるとは思う。


僕にとっての彼女は『何故名前がないのか?』という探究心からくる研究対象とも言える存在でしかない。


それが僕の偽りのない気持ちだ。


だけど、目の前にいる女子が求めているものは僕が考えるそれとはきっと違うだろう。


女子が求めているのは恋愛だ。


僕が彼女の事好きだと言うネタが欲しいのだ。


噂を拡めて面白がるにしろ、1人で僕たちをいじって楽しむにしろ、この1人の女子高生が自分の心の欲を満たす為だけに僕に存在するかもしれない気持ちを利用しようとしている。


もしかしたら、この女子は善意で僕に声をかけてくれたのかもしれない。


同じクラスで同じ部活。


同情と期待を織り混ぜなから、この女子は行動に出た可能性もある。


だからどうしたと言うのが僕の意見だ。


僕が興味のあるものはただ1つ彼女の名前だ。


僕は彼女の名前を知りたい。


名前がないのなら、ない理由を知りたい。


ない理由がないのなら、彼女の気持ちを知りたい。


僕は名前のない彼女という不思議な存在を知りたいだけだ。


この問題はかなり困った事になった。


このまま黙っているわけにもいかない。いい言葉を見繕わなくてはならない。


「黙ってるってことは図星?」


ニヤけた表情で女子は僕に針を刺すように言葉で攻めてくる。


「・・・」と、またも沈黙を返した。


そして、僕はある作戦を思いついてしまった。


この作戦は紛れもなく最低で倫理観にかけるものと頭で理解しながらも僕の身体はこれしかないと僕自身を鼓舞している。


「だって、手芸部に入ったのも彼女目当てでしょ?」


僕はこの言葉を聞いた次の瞬間、こう返していた。


「そうだよ。君の言う通りだよ」


僕はこの時、人として最低な返事たと分かっていながら、女子からの質問を肯定で返した。


その肯定にあるものは虚構でしかないのに。


「えーっ!やっぱりっ!そうなんだ〜」


女子は目の前で僕からしたらなんと感想を抱けばいいのか分からないような顔でテンションが上がっているようだった。


「ねっねっ、それであの子の事どう思ってるの?」


キラキラと目を輝かせて前のめりになって女子は僕に聞いてきた。


さっき“好き”を肯定したのだから、そのままの意味で捉えてもらって問題ないのだからそんなことを聞かれると困る。


…と言うよりももう答えたのだからその質問の必要性を感じない。


僕はこれを機に彼女との距離やその周りとの距離を変えられればいいと思っただけだ。


彼女が好きだとか付き合いたいとかそう言う気持ちが僕の中の根底には一切ない。目の前の女子を弄び、彼女の事も弄んでいるようで少し気が引けるが、それ以上にこのポジションは非常に美味しい。


どんな形であれ、彼女との距離を縮められれば何かわかるかも知れない。


僕にとってはそれしか頭にない。


あなたのような人間的思考は僕の頭を駆け巡らない。



…きっと僕は人間として最低だ。



分かっているからこそ僕は歩みを止めない。


その後、彼女から根掘り葉掘り色々と聞かれた。


少し恥ずかしかった。


でも、これで彼女の名前が分かるかもしれないと思うと軽いと思えた。恥じらいは薄れていった。



あれから数日経った。


意外な事にあれだけ僕に詰め寄って恋愛に首を突っ込んでこようと必死だった女子は、誰にも広めずに僕の前でだけ恋バナを披露した。


何故、女子が噂として僕の言葉を広めなかったのかは謎であったが彼女は隙間があるたびに僕に絡んできた。


最初こそは『僕が彼女を』という部分に対しての話が多かったが今では日常会話を交わす程度には見知った仲になっていた。


この女子は僕と彼女を繋げる為に接触してきたと言うのに今では僕は彼女に対して意識を割く時間よりこの女子と時間を共有する方が多くなった。


周りから見たら僕とこの女子の方がどちらかと言うとそう言う関係に見えるのではと思ったが、目の前にいる女子には頑なにその事実は言えなかった。


確実に邪魔しかされていない、と思ったがそうじゃなかった。


彼女がどういう人間なのかを知る事ができたからだ。


女子との話し相手をしていると満足そうな顔をしている時があり、その時に彼女の事について教えてもらう事ができた。


…あくまで名前以外を。


彼女が何処に住んでいるのか。


彼女の誕生日はいつか。


彼女の好きな食べ物はなにか。


彼女の身長は大体どのくらいか。


彼女の趣味または夢中な事は何か。


彼女には好きな人はいるのか。


彼女の口癖はなにか。


彼女のSNSのアカウントの有無は?


彼女は甘いものが好きか?


彼女は辛いものが好きか?


彼女は苦いものは好きか?


彼女は塩っぱいものは好きか?


彼女は可愛いとカッコいいどっちが好きか?


彼女はどんな小説が好きか?


彼女はどんな漫画が好きか?


彼女はどんな映画が好きか?


彼女はどんなジャンルが好きか?


彼女はどんな事が得意か?


僕はただただ、


無機質に、


彼女を知る為に、


いや、


彼女の名前を知る為に、


知る為に女子を利用した。


部活でも女子とも彼女とも顔を合わせる。


その女子も同じクラスだから教室でも顔を合わせる。


偽る僕が好きな彼女とその偽りを持つ僕と彼女をくっつけようとする女子、そして、名前のない彼女。


妙な関係が出来上がった。


僕はただ彼女の名前が知りたいだけなのに。



そして、ある意味順調に進んでいたある日進展が起こる。


「あの子が君のこと呼んでたよ?」


授業が終わり放課後になってすぐの事だった。


僕が彼女に?とつぶやきながらも女子からの言葉に返事をして、彼女の下に向かうことにした。


僕と彼女にはそれなりに接点がある。


接点があるのと関係性があるのはちょっと違う。


僕と彼女の関係は結局のところ接点が他の人に比べれば多いぐらいに過ぎない。


同じ学校、同じ部活、同じクラス、隣の席、だから、彼女の近くで過ごす時間が他の人より長い。わざと僕が長くしたところもあるが。


というが、僕が彼女と関わりを持つ、つまり、会話などを行うのはごくわずかであり、親しい間柄と要せる程距離感が近いわけじゃない。


クラスメイトだから会話を交わす。


隣の席だから言葉を交わす。


部活が一緒だから業務連絡や手芸について話をする。


その程度でしかない。


僕と彼女との繋がりはその程度でしかない。


女子が手を回そうとしてくれていたが、というか手を回し済みなのかもしれないが、僕と彼女は今はその程度の関係性でしかない。


僕が彼女を好きだと仮定して話を進めた方がいいと思って女子には肯定の返事をしたが、別にそこから得れたものは実は全くない。


もしかしたら失礼な言い方かもしれないが、僕からしたら彼女との関係性も発展せず、彼女の名前を知る事も、名前がわからない理由を知る事もできなかったのだから無意味だったとしか言えない。


だからこそ、今回はチャンスだと思う。


彼女と一対一で誰もいない中話す事ができれば、もしかしたら、彼女の名前を知る事ができるかもしれない。


僕は彼女の名前を知りたい。


僕は彼女の元に行く。


僕が彼女の元に向かおうとする時、僕に彼女の元に行くように伝えてきた女子は「これはチャンスだよ!わざわざ呼ぶってことはあっちにも気があるかもしれないから!」と僕に念押しして背中を叩いた。


済まないがそんなことは僕にはどうでもいい。


僕は曖昧な相槌を打ってその場を後にしていた。




そして、僕は呼ばれた場所に到着した。


そこには彼女が1人で佇んでいた。


長い黒髪がたなびく。


ブレザーの制服に髪がかかる。


彼女は後ろを向いていた。


「呼ばれたから来たんだけど…」と僕は僕に気づいていなさそうな彼女に声をかける。


「ふふふっ」


不気味な感覚を得る。


「ねぇねぇ、最近あたしの周りを嗅ぎ回ってるよね?」


彼女は振り返らずに僕にそう言った。


台詞が明らかに胡散臭い。


なんか怪しい。演技か?


「ねぇ、なんで?」


なんで?まさかその質問をする為にこんな誰もいない場所に呼び出したのか?


僕は黙った。


正直、返す言葉が思いつかなかった。


気持ちに正直になって本当に聞きたいことを聞いていいのか迷った。


「もしかして聞いちゃいけないことだった?それとも答えにくい内容なのかな?」


この時の彼女の言葉には人間が日常から発する言葉とは違う異質な重さを感じた。


僕は思い切って決心した。


「…聞きたい事がある」


「なぁに?戸惑ってるなら遠慮しなくていいからね」


彼女は後ろ向きのまま僕に顔を見せてくれることすらない。


それでも問答は続く。


「…君の名前はなんて言うの?」




静寂が流れた瞬間だった。


バサーンッと音が鳴り、僕はその音に驚いて今際の際目を閉じる。


「!!??」


目を開けると彼女が目の前にいた。


今度は顔をみせている。


彼女は唇は不気味なほど口角を上げて微笑んでいる。


そして…


次の瞬間、彼女は僕の耳元でこう囁いた。


「君は知ってはいけないことを知ろうとしちゃったね。いけない子だ」














「君はね。変に賢すぎて、探究心に溢れ過ぎてたんだよ。あたしの名前はだぁ〜〜れも知っちゃいけないの。だから、ごめんね」


名前のない彼女はその場を後にする。


彼女しかいないその場所を。


「あっ」


彼女は何かを思い出すかのように後にしたその場所を振り返る。


彼女の頬には涙が通った跡がある。


「…愛の告白だったらよかったのに」


彼女はそう言ってその場を去って行った。



彼女の去った後のその場には何も残っていなかった。










この世には知らない方がいい事もある。


例えば、名前のない女の子の名前とか。


無理に不自然な謎を追い求めればもうそこからは抜け出せなくなる。


知らないことの方が幸せなこともある。



名前がない事にも理由がある。


名前がない理由が。


『名前がない』という事実が必要な理由が。



この物語を読んだ人々には是非この理由を『考えない』で欲しい。

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