バレンタイン
郷野すみれ
バレンタイン
小さい頃からピアノを習っていて、人より少し秀でている俺は卒業式のピアノ伴奏を頼まれた。5年生の昨年も卒業式で在校生の伴奏をやっていたので、予想の範疇だ。
学年主任の先生から特別に許可を得て、登校してから朝の会の時間まで音楽室のグランドピアノで練習させてもらっている。
廊下を歩く低学年の生徒たちが驚いたようにこちらを見るのも楽しいし、静謐な朝の音楽室で1人ピアノを奏でられることも心が躍る。たまにクラスの女子が何人かで聴きに来る。お互い何を話すわけでもない静かな空間だ。
珍しく、ドタドタと廊下を走る音が聞こえた。首を傾げながら弾いていると勢いよく扉が開き、同じクラスの仲の良い女子が飛び込んできた。
「千夏君! 隠して!」
「え、ああ……いいけど。何があったんだ?」
「卓君にチョコレートを渡したから、クラスのみんなから揶揄われてて……!」
「そこら辺に隠れとけ」
俺はそれでも弾く手を止めず、適当に扉から離れた角の方を顎で示す。そっか、今日はバレンタインなのか。女子とも普通に話すが、勉強が得意で運動が苦手で大人しいタイプの俺はそもそも恋愛対象として見られていない。卓はスポーツができて明るいのでモテるのだろう。どうせチョコレートなんてもらえないので、そんな行事のことはすっかり頭から抜け落ちていた。それよりも明後日の俺の誕生日に気を取られていた。
再び廊下からドタドタと足音が響いた。今度は2人の女子が来た。
「あっ、千夏君! 瑠奈ちゃん見てない?」
「さあ? 知らない」
隠す、という名目上すっとぼけて弾き続ける。一度曲を弾き終わったので、さっき弾いていてつっかえたところをさらう。
「瑠奈ちゃんみっけ! 卓君にチョコレート渡していたよね?」
「色々聞きたいな?」
机の陰に隠れていたのも虚しく、後から来た2人に両側から抱えられて連行されて行ったのを見送る。
純情だよな、と俺は思う。チョコレートを作って、渡して。それをクラスの子に揶揄われて恥ずかしくなって逃げ出して。
笑顔の可愛い君からチョコレートをもらえるあいつがちょっと羨ましい。
バレンタイン 郷野すみれ @satono_sumire
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