第X4話




 だがセレスティアが潜伏先として身を寄せた家がよくなかった。

 屋敷の纏う空気。何より当主の青年がいけない。


 少ししゃがれた声は酒焼け。香水の中にタバコの匂いもあるからそのせいかもしれない。胃が荒れているのかひどい口臭だ。

 ティアが顔色が良くないと言っていたが、それは夜中に遊び呆けているからだろう。碌なもんじゃない。いくつかの香水のキツさで愛人も複数と見てとれる。これは金遣いも荒いことだろう。


 貧乏ゆすり。語尾の震え。独特の挙動不審は怯え。借金苦で責められているな。仮にも皇帝から領地を預かる伯爵家当主がなんて愚かな。


 目が見えなくてもわずかな時間でそこまでわかった。これ程あからさまでそれと気がつかないティアは無垢で世間知らずすぎる。そしてティアを抱きしめやがった。音でわかる。挨拶でも許せない。


 腹立たしさを押し殺し僕も一緒に滞在するよう強請れば、やつの語尾が上がる。露骨に嫌がっている。こいつの目的はティア。ティアそのものが目的ではなさそうだが狙う真意がわからない。だが徹底的に邪魔してやる。これ以上ティアに触らせるものか!


 ティアの部屋の後に案内された部屋は使用人が使うようなところだ。一人になり包帯を少しずらして部屋を見やり舌打ちする。


 ふぅん、この僕をここまでコケにするか。敢えて子供のフリをしたが流石にここまでされては看過できない。


 僕は仕返しは必ずする主義だ。覚えてろよ!


 こういう扱いにあうことに慣れていない。だからだろうか、余計にイラついていれば部屋の隅で噛み殺したような含み笑いがした。あいつだ。


「何がおかしい?」

「先程の子供の演技が存外に素晴らしく、思い出し笑いしておりました。」

「さっさと忘れろ!!!」


 今の僕に余計な油を注ぐな!憤然としつつティアの部屋に急いで行ったが相当に部屋の距離が離れている。明らかに今夜仕掛けるつもりだ。妨害のためにやんわりティアの部屋で寝たいと言ったが断られた。

 ティアもあいつのことを微塵も警戒していない。これはまずい。なんとかしなくては。


 いてもたってもいられず部屋に戻りあいつを呼んだ。


の鍵を替えろ。」

「手配済みでございます。日没までには完成させます。」


 ティアの部屋ではなくこの部屋、と言ったのに。思考が同じなのは便利ではあるが気持ちが悪い。僕のこの嫉妬まで理解されていそうだ。


「女性の影は何人いる?」

「私を含め三名です。」

「では三人でセレスティアの警護につけ。」

「当主を避けることはできません。」

「それは僕がする。」


 ふぅと息をついた。今まで以上にべったり張り付いてやる!嫉妬に狂う餓鬼?上等だ!


「何かご心配でも?」


 だからこいつは嫌なんだ。察しがよすぎる。

 苛立ちをねじ伏せれば低い声が出た。


「そうだな。今晩僕がきちんと寝ぼけた子供の演技ができるかどうかだな。夜這いにきたあいつに吹き出さないように気をつけないと。」


 そして顔を歪めニヤリと笑う。

 姉さんが見たら悪辣な笑い方だとまた注意されるだろう。だがこれが僕だ。どうしようもない。


「明日になったらセレスティアの部屋の鍵を替えろ。鍵は僕へ。明日の晩は合鍵が刺さらなくて廊下で慌てふためくだろうよ。昨日は開いたのになんでだ?とな。いい気味だ。」

「お人が悪いですね。」


 ふん、と鼻であしらってやった。




 初日早々であいつはティアに求婚したと影から報告があった。ティアはすぐに断った様だが油断も隙もない。


 一昨日の晩は僕がティアのベッドで寝ていて相当に驚いていた。寝ぼける演技をしたが吹き出さないようにするのにかなり苦労した。

 ティア姉さんは僕の部屋だよ?と寝ぼけ演技で教える。そして僕の部屋の鍵は開かない。鍵はすでに替えてある。所詮ザコ。この程度の罠に嵌る。なんてチョロい。


 昨晩はティアの部屋の鍵も開かなくて驚いたようだ。ホント単細胞で助かる。行動が読みやすい。


 そして昨晩出掛けてからあいつは家に戻ってきていない。当主の仕事が忙しいということになっているが、影からの報告では何やらこそこそしているようだ。


 求婚は断られた。夜這いも失敗。次は何を仕掛けてくる?


 求婚の内容からして明らかに動機がおかしい。嫌な予感がする。ここはすぐに出たほうがいいかもしれない。ここより僕のツテを使ったほうが安全だ。


 ここの警備もザルだ。暗殺ギルドの暗殺者も迫っているはず。姉の影と狼犬だけでは心許ない。僕の影も呼べばよかったか。


 そう思っていた矢先だった。


 この屋敷で毒を盛られた。その香りに異変を感じる。この香りは猛毒だ。

 制止の声を上げ咄嗟にティアのカップを手で払ったがティアが一口飲み込んでしまった。


 その後のことはあまりよく覚えていない。


 ティアの応急処置をして。

 何やら指示をして。

 そして私怨を晴らそうとして。


 そこまでのことが夢の中のように朧げだ。

 脳の一部が焼き切れたような感覚だった。


 ふと気がつくとティアの枕元に座っていた。


 ティアがうつらうつら目を覚ます。僕の名を呼ぶたびに手を握ってやれば安心したように眠る。

 毒は少量だったから致死ではないが幻覚症状が出ているのかもしれない。


 だが彼女の命がつながったことに安堵した。ぶるりと背筋に悪寒が走る。

 ただ一人、僕の闇の中で手をとってくれた人。彼女を失えば、今度こそ僕は救いがない。きっと闇に堕ちる。


 いや、堕ちるだけでは済まない。揶揄なしに壊れてしまうだろう。


 もうこんなことは二度とごめんだ。

 やはりきちんと向き合わないといけない。


 彼女の命が狙われる理由。

 彼女の秘密に。



 方々の報告を聞き記録を確かめ二説に絞り込む。だがどうもすっきりしない。


 やはり当事者に話を聞くしかない。

 唯一の生存者に。


 そしてティアの名前と魔法使いのサインを手紙に書いた。


 フォラント辺境伯爵を呼び出すために。

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