第5.0章 賢者 – ウォーロック
第X1話
それはアドラール帝国第三皇子カールが十二歳になる一月前。
カールは城の執務室でふぅと天井を仰いだ。
手元には和平交渉のための草案。文官たちが作成したものに手を入れている。
帝国として強く出過ぎてはいけない。上位の帝国が力で交渉をねじ伏せることもできる。だがこれは和平交渉なのだ。そこを履き違えると相手が乗ってこない。
あくまで和平。そこに上下がない。草案は帝国の地位を上げすぎず下げすぎず、和平を主張する文面でなければならない。どうも文官たちはそこがわかっていない。
疲労の息を吐いて再び天井を仰ぐ。
兄たちを手伝い
歳の離れた兄たちと違い自分には武力はない。ならば知能という武器を使おう。
過去の記録や布陣を読み解くのは好きだ。記録を元に地形の情報から戦場を脳内で再現する。自分ならどうするか、敵ならばどう返すかを思い描くのはひどく愉しかった。
そうして独学で兵法を身につけ兄たちと共に戦場に赴いた。
初陣は助言のみ。だがしばらくすれば軍師として全体の運営指揮を任されるまでになった。
皇太子である戦闘狂な長男が戦場の先陣に出たがり、やる気がない第二皇子が後方支援を決め込んだからだ。誰も面倒だ、と本陣に残り指揮を取ろうとしない。
だからこれは必然だった。
自軍の被害は最小に、敵国軍の被害は最大に。そう望めばその通りになった。そのあっけなさに時に拍子抜けしたほどだ。
その手腕に自軍からは軍師として絶対の地位と支持を得られた。
やがて兄たちからこう呼ばれる様になった。
“戦争を封じる”戦術を有する軍師にして賢者
頭では理解していた。
これは戦争だ。全てを救うことはできない。手加減をすれば自軍に被害が出る。守るべきは自軍と自国の領民。だから目の前の敵を完膚なきまでに血で封じる。
そして和平交渉で主導権を得て優位に進める。だが遺恨を残さないためにも高圧には出ない。そうすれば争いは封じられた。
戦争こそ財力を食い潰し領民を細らせ国力を弱らせる。とにかく短期間で戦争を封じることに心血を注いだ。
だからだろうか。どこかが不調をきたした。
それは上等なワインに似ている。
上等なワインにはからなず
ワインの味に影響はないそれは年月を置いた上等なワインには必ずあるもの。高級な証のそれはしかし、口に含めば苦味とざらりと不快な舌触りがする。
良いワインだけを楽しみたいのならばその澱は口に含んではいけない。
だが時が経つにつれて自分の心の中の澱が否応なしに増していっているのがわかった。触れてはいけないそれが苦みを伴いざらりと自分を不快に苛む。そう思う頻度も増えた。
善悪ではない。間違ったかどうかでもない。
そして今、悟った。頭が心を理解した。
ああ、僕は‥‥病んだのか。
ただ一人、深い深い奈落の底でそう独り言ちた。
人の命を奪う。子供の頃は実感がない。ただ遊戯に勝つという程度のもの。そして戦場を見渡せばそこは血塗られていた。命あるものは誰もいない。それは自分が手を下したに等しい。
頭では理解していたが心は追いついていなかった。それをきちんと解決しないまま放置してここまできてしまった。両親が真っ当に命の重さを諭して育てたことが更に追い討ちとなる。
行ったことに誤りも過ちもない。今更責任逃れも懺悔もない。自軍を、領民を守るために避けられなかった。そこに至る前にそうならないように最善を尽くした上での戦いだった。
ただそれを自分の中に落とし込む時間が欲しかった。
ただそれを自分の咎と受け入れる強さが欲しかった。
それと悟ればじっとしていられなかった。
一週間執務室に閉じこもり手持ちの案件を全て片付け、誰にも告げずに城を出た。自覚してしまえばそうしなければならないほどに追い詰められた。
当てはない。だがこの
一人でひっそり出てきたはずなのに、気がつけばスノウがついてきていた。
こいつは聡い。この一週間ずっと僕に寄り添っていた。ひょっとしたら一週間前から僕の決意に気がついていたのかもしれない。
スノウくらいなら旅の道連れにいいかもしれない、そう思ったのだが。
複数の影。これは姉だろう。
狼犬の群れ。これは妹か。
挙句は兄嫁の最強の影まで現れた。
これでは一人で城を出た意味がないじゃないか。
兄たちはこういう時はそっとしておいてくれるからありがたい。両親も口出ししない主義だ。しかし女性陣が放っておかない。帰れと言っても主が違うと全部が全部僕の言うことを聞かない。連れ戻されないだけマシであるが過保護が過ぎる。
おかげで閃光弾でうっかり目を軽く病んだだけでそれはもう大騒ぎだった。
旧道の森に入り、浮き足立つ影たちを宥めて説得。何とか旅は続行となったが。
数時間後にこのことが伝えられるであろう城の様子が思いやられ頭が痛い。
いい加減にしてほしい。本当に鬱陶しい。
僕の影を呼んでこいつらを追っ払うか?
それこそ大炎上だ。
いっそ僕のことを知らない同行者がいればこれほど群がられることはないのではないか。
そう思い同行者を探そうと思ったが、人目を憚るあまり旧道に入っていたと気がついた。
こんなところを誰も通らない。そもそもこのルートは馬車移動が主流だ。徒歩の移動などそれこそいないだろう。失敗したと思っていたのだが。
そんな時に声をかけられた。
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