第10話




 セレスティアは大きめの客室に案内された。宿ではなく久々の客室。ソファに腰掛け一息ついたところで早速カールがやってきた。


 入り口からソファまで手を引いて導くと憤然と声をあげた。


「ひどい!部屋がすごく遠い!嫌がらせだ!」


 先にセレスティアの部屋に寄ってからカールは別の部屋に案内された。別れてから少ししか経っていないように思えた。


「え?遠いの?ずいぶん早く来れたね?」


 目が見えないのにこの部屋に来るのがずいぶん早かったような。気のせい?

 そこを無視しカールが怒声を上げる。


「それにここより全然小さいし!」

「そんなことわかるの?」

「小さくてすぐ探索が終わった!」


 珍しくこの少年が怒っている。いつも冷静なのに今日に限って感情的なカールを見てセレスティアは驚いた。


「そういう気遣いかもよ?」

「違う!完全な嫌がらせ!あいつ凄く嫌なやつ!なんでわかんないの?!」


 グイリオ兄さんが嫌なやつ?嫌がらせ?まさか!

 ぶすりと文句を言うカールも本当に珍しい。よほど腹立たしかったようだ。


「この僕を邪険にした。子供のフリしたのが裏目に出たか。あんなザコ、一発脅しとけば良かった。」


 少年はドス黒いオーラで何やら不穏なことを低い声で囁く。たまにカールは子供らしからぬおっかないことを言う。今日は相当だ。


「まあまあ。普段はここにいればいいよ。私も心配だし。」

「じゃあここで寝かせてよ。その方が楽だし。このソファでいいから。」

「いやぁ、流石にそれも‥」


 宿屋は姉弟偽装だったからいいが、ここでは姉弟ではないとバレている。その上で同室は流石に歳の差があってもまずいだろう。


 ちっ、とカールが舌打ちする。今日のカールは何かおかしい。冷静じゃない。どうしたんだろう?

 そしてふいと無言で部屋を出て行ってしまった。怒ったのかな?




 しばらくするとグイリオが部屋にやってきた。事情を問いにきたのだ。仕方なくセレスティアは婚約者の話と家出をし爵位の相続を放棄したことを話す。

 グイリオは相当に驚いていた。


「思い切ったことをしたな。」

「仕方なかったの。義妹のためだし。」

「だとしても爵位継承まで放棄する必要もないだろう?」


 そうだろうか?

 爵位継承の放棄。これはずっと前から考えていたことだ。


「別にそこまで執着もなかったし‥‥」

「フォラント辺境伯が心配している。戻ってはどうだ?こんなことで家族の縁をきるものではない。」

「だけど戻ったら本当に結婚させられるの。父がやると言ったら本当にやるんだから。」

「なら私と結婚するか?」


 グイリオの提案にセレスティアは驚いて声を上げる。確かにグイリオは独身で婚約者もないがなぜその展開に?


「グイリオ兄さんと?」

「婚約者がいれば流石の父君も強引に結婚には持ち込めないだろう?その上で父君と話し合えばいい。短慮はよくない。」

「でも私と結婚したらエングラーはどうするの?フォラント辺境伯と掛け持ちは無理よ。」

「掛け持ちでも何とかなるだろう。場合によりエングラーは別のものに継がせることもできる。」


 セレスティアが家に戻って結婚するということはフォラント家に婿に入るということだ。

 別のものに爵位継承。そういうことも確かにできるのだが。


「でも流石にそこまでしてもらうのは申し訳ないわ。従兄弟だからって‥‥」

「別に私は本気だがな?子供の頃からずっとセレスティアを好きだったから。お前となら良い夫婦になれる。」


 セレスティアは目を瞠る。

 衝撃だ。初めて聞いた。

 そんなそぶりもなかったのに?いや、自分が気が付かなかっただけか?


 貴族同士の結婚。従兄弟同士の結婚はザラだ。面識がある相手なだけでもマシだろう。


 だがそこで心が拒絶する。

 そうじゃない。

 もっと大事にしたいものがある。


「えっと、ごめんなさい。気持ちは嬉しいけれど結婚は考えてないの。」

「結婚しないつもりか?」

「うん‥‥好きな人がいるの‥」


 口にして初めて淡い想いを実感する。

 そんなことをあの少年に言ったらどんな顔をするだろうか。四つも年上なのに。だからこれは胸に秘めるだけだ。


 グイリオはやれやれと息を吐いた。


「そうか。まあなら仕方ない。だが辺境伯に連絡はするように。爵位放棄など軽々しくするものじゃないぞ。」


 やはりそうなるか。

 はぁとセレスティアはため息を落とした。




「は?部屋を交換?」

「うん、今日は僕の部屋で寝て?あいつ夜這いに来るから。」


 セレスティアがこれから夜着に着替えようとしたところで、やってきたカールから爆弾発言が出た。


 包帯の少年はにっこりと笑顔でものすごいことを言いきった。

 夜這い?言葉の意味わかってる?


「あいつって?」

「ここのいけすかない当主。グイリオだっけ?」

「グイリオ兄さんが?いやいや、それはないでしょ?」


 どきりとした。求婚されたことを知ってる?そんなはずない。あの場にいなかったんだし。

 そう考えてカールを見ると笑顔がものすごく怖い。


 ええ?求婚断ったのに夜這い?グイリオ兄さんが?まさか!いくら意地悪されたからって邪推が過ぎる。だがカールのお願いが続く。


「別にあいつが来ても来なくてもいいんだ。僕が安心するから。ね?お願い!」


 小首を傾げて両手を合わせ笑顔でお願いをする。目を包帯で覆っているが十分愛らしい美少年のおねだりだ。これはあざとい。好意を寄せた相手だからさらに断れない。一方で心配されるのも嬉しくて頬が熱くなった。


 そしてあれよあれよと言いくるめられてセレスティアはカールの部屋に押し込まれた。そもそも口で敵うわけもない。部屋の外から扉の鍵までかけられる。


 カールにあてがわれた部屋を見て本当に小さくてびっくりした。

 使用人部屋のようだ。窓も北側。これは意地悪と思われても仕方がない。家出をやめて家に帰れと暗に勧めてるのかな?


 そんなことを思いながら眠りについた。





「うん、特に問題なかったみたい。安心したよ。」

「でしょ?流石に考えすぎだって。」


 翌朝、ものすごくいい笑顔のカールと朝食を共にする。昨日と違い鼻歌が聞こえてきそうなくらい上機嫌だ。


 食堂だがグイリオはいない。貴族は朝が遅いのはいつものことだ。


「今日は部屋で寝てもいいよ。」


 カールはにこにこと朝食を頬張っている。ずいぶんとご機嫌だ。何かいいことがあったのかな?



 一応身を隠しているからと部屋に引きこもっていれば、カールが暇だ!とやってきた。目も見えなくてやることもないらしい。

 そして暇潰しのチェスに誘われた。目が見えないカールに代わりセレスティアが指示されて駒を動かすが全然カールに勝てない。脳内でチェス盤を思い浮かべているらしいのだがどうやって駒の位置を覚えているのか。


「なんで勝てないんだろ?私だって結構強いんだけどなぁ」

「うん、強いね。でもまだまだかな。」

「え?そう?」

「うん、もっと非情にならなくちゃね。ナイトを進めてチェックメイトね。」

「なぬ?!」


 うわぁ!また負けた!


 セレスティアの悲鳴にカールの楽しげな声をあげる。

 目を患うというハンデがあってもこの少年は本当に強かった。まるで戦場で指揮をする兵法師のように。そして弟子を相手にするようにセレスティアにダメだった点を指導する。


 それでもやはりこの少年には勝てなかった。




 数日そんな感じで過ごす。カールは一日中セレスティアにべったりだ。グイリオがセレスティアに会いに部屋に来ても席を外さない。夜はカールが帰る時にセレスティアの部屋の鍵を外からかけていく。


「夜は鍵を開けちゃダメだよ?」

「開けないけど‥鍵なんていつ手に入れたの?」


 そう問えばちょっとね、と言葉を濁していた。




 そしてあの日。なんてことない日だった。


 いつものように部屋でカールと雑談をして過ごしていた。とても穏やかな時間。

 

「チェスでは勝てないから他のゲームがいい!」

「じゃあカードにする?僕はカードも強いよ?」

「カード?目が見えないとダメじゃない?」

「あれ?そう言われればそうか。」


 そして二人で吹き出す。


 カールの笑顔が眩しい。その笑顔を見てやっぱり好きだな、とセレスティアも微笑む。ずきりと胸が痛む。

 なんで自分は早く産まれてしまったんだろう。四年、せめて二年後だったら。もしそうだったら想いを伝えられた?そんな仕方のないことを考える。


 そして二人でお茶を飲んだ。ティーセットを届けてもらいセレスティアが自分で湯を注いで茶を淹れる。


 少し変わった香りがしたが深く気にせず口に含んだ瞬間、カールが何か叫び血相を変えてセレスティアの手を払い制止する。

 見たこともないカールの必死の顔。包帯を巻いているのに正確にセレスティアの手のカップを払った。手のカップが飛び、視線で追った先でその残像がゆっくりと目に焼きつく。


 だけど———


「ティア!飲むな!毒だ!!」


 その瞬間、ごくりと飲み込んでしまった。

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