幕間 森の中②




「ふぅん、本当だったみたいだね。よかった。あんまり間違いだらけだったらどうしようかと思ってたよ。」


 少年は笑顔でしゃがみ込み、地面に倒れ伏す男を見下ろした。男は細かく体を震わせている。顔色を悪くして少年を視線だけで見上げている。


「大丈夫。副作用で少し痙攣してるだけ。明け方にはよくなるかな?」


 そして少年はついと男の耳元に顔を寄せて囁いた。


「今後はこんなことしないで真っ当に働いてね。毎日真面目に働く人が一番尊いんだよ?またこんなことをしてるところを見かけたら流石の僕も次は容赦できないからね?」


 その囁きに濁った目が見開かれる。痙攣する体がさらにカタカタと震えた。

 そして闇の中に佇む影に命じる。まるでお使いでも頼むようだ。


「おじさんを街道沿いに捨ててきて。運良く誰か見つけたら介抱してくれるかもしれないね。ダメなら自力で頑張ってもらおうか。」


 そう言い放てば闇から現れた影が男を担いで消えた。

 そして少年はついと振り返る。背後に控える影に呆れた声を上げた。


「また来たのか。お前はもう来なくていいと言ったが?」

「様子を窺うよう申しつかりました。」

「過保護だな、まったく。」


 少年がため息をつく。


 全身黒尽くめ。目の部分がくり抜かれた艶消しの黒銀の仮面をつけている。剥き出しの部分は目のみ。それは底なしの闇の中でおぼろげにうごめいている。そこには満月の光さえ届かない。

 はたから見れば少年は澱んだ闇に話しかけているように見えるだろう。


 月明かりの中、少年はその前を通り過ぎて歩き出す。そして澱んだ闇がひっそりと追従する。


「こちらは異常なし。追跡も暗殺者もいない。そうお伝えしろ。」

「しかしセレスティア様に追跡者が放たれています。」

「僕より彼女の方が追手が多いなんてね。一体何をやったんだろうね、あのお姉さんは。」


 カールは目を細める。これで三組目。今回はただの監視のみ。しかし昼間襲ってきたのは暗殺者だった。影に捕らえさせたがすでに事切れていた。服毒したようだ。


 姉弟偽装の為という言い訳で同室にするよう進言して結果的によかった。この様子では街中でもコトに及ぼうとするかもしれない。


 何者かが彼女に殺意を向けている。誰かに恨まれるような女性ではないのだが。一組捕らえればまた次がくる。そして今回も事情は知らないという。


「この場合相場は痴話喧嘩か爵位相続関係だけどね。そこらへんわかった?」

「ざっくりとした事情ですが。」


 話に耳を傾けたカールはため息をついた。


「婚約者と義妹ね。まあありそうな話だ。だがセレスティアに傷心の様子がない。痴話というより二人の結婚の障害と思われているのか。辺境伯の方も気になる。もうちょっと遡って掘り下げてくれ。次こそはお前は来なくていいからな。」

「それは私が決めることではありません。」

「義姉上を説得しろ。お前がくると碌なことがない。」


 ほんと、うちの女性陣はみんな過保護すぎる。ちょっと目をやられたくらいで。しかももうそれも完治しているし。カールは煩わし気にため息をついた。


「セレスティア様が不機嫌になられるからですか?」


 遠慮ない物言いにカールはムッとする。


「そうだ。僕は清廉潔白が信条なのに女の影なんか匂わせるな。お前の変装が小賢しすぎる。」


 こいつは医院の前で偶然を装って待ち伏せていた。あんなどこから見てもやんごとない令嬢に変装するこいつの神経が信じられない。おかげでセレスティアの不興を買ってしまった。


「次は男装でも致しましょうか。」

「だからもうくるんじゃないといっている。」


 憮然としてその場から立ち去れば気配が消えた。


 目端も利いて優秀なのだが自分の影ではないから言うことを聞かないのが鬱陶しい。


 家族が心配している。それはわかっている。

 僕が悪い。それもわかっている。

 だがもう少し時間が欲しい。


 嘆息しつつ野営地に戻る。そしてスノウにもたれ安らかな寝息を立てるセレスティアを見下ろした。焚き火の炎に照らされて栗毛が艶やかに輝いて美しい。


 その様にカールは賛美とも感嘆ともつかない吐息を漏らす。そっと近づけばスノウが目を開けてカールを見上げてきた。


 目は閃光弾からとっさに庇ったから酷いことにならなかった。受診した時ももう回復していた。後遺症もないだろうという診断結果だった。


 自分の目が回復していく様子にセレスティアは緊張を纏っている。それはかつて義理の姉が纏った雰囲気に似ていた。見た目に劣等感を持っていると理解するのに時間は要しなかった。

 だから目が回復している事実は告げない。


 こうして見下ろす限りは美しい女性だと思う。

 だがただそう言うだけでは解決しないのも知っている。


 セレスティアが嫌がるのであれば盲目のフリも別に構わない。むしろセレスティアに色々気遣われ手取り足取り世話をされて役得といえる。この手に公然と甘えられるのだ。


 だけど———


 手を伸ばし眠る顔に触れるギリギリで手を止める。そしてその手を宙で握り締める。


 触れるのはまだ早い。全ての問題を解決できて初めてそれを乞えることだろう。


「早く見たいな。」


 側に腰掛け微笑んで小さく囁く。

 寝顔ではなく自分に向けられる笑顔。その時の瞳の色は何色だろう。その瞳に映る自分の顔を早く見たい。


 その時瞳の中の僕はどんな表情をしているだろうか。


 今は固く閉じられている瞼の中に思いを巡らせ、太めの薪を多めに焚べる。そして目に包帯を巻いてゴロンとセレスティアの隣に横になる。皆で寄り添いスノウも嬉しそうだ。


「これも役得だよね?」


 柔らかな寝息が聞こえる。

 スノウの背を撫でて包帯の少年は温もりに笑みをこぼした。

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