第07話




 街では二人は姉弟に偽装する。


 最初はひどい違和感があったがカールにティア姉さんと呼ばれるのにも慣れた。髪の色が違うから二人でフードを目深に被る。

 宿の手配や買い物はセレスティアが交渉する。カールが金貨を両替してくれたから懐はかなり潤沢だ。


 確かに子供だけでは家出を疑われて大人は相手にしてくれないだろう。ふとそう思った。


 街をいくつか抜けフォラント領を出れば気持ちがホッとした。


「ティア姉さんはどこか行く当てがあるの?」

「当てというか‥母方の従兄弟を頼ってみようかなって。」

「えっと?家出なのに大丈夫なの?」

「まあ、父と仲が悪いから。私と親交があるとは思ってないんじゃないかな。私のことを理解してくれるお兄さんなんだよ。」


 ふーん、とカールは何か考え込んだ様子だ。


「じゃあそこまでご一緒していいですか?僕も行く当てがないし子供だけだと面倒臭くて。」

「いいけど?いくとこないの?」

「そういうとこには寄り付きません。家族に先回りされてそうで。」

「なるほどね。」


 チラリと従兄弟にも家出は伝わってるかもしれないなと思った。父はなぜか従兄弟にとても冷たい。子供のことはよく遊んだ仲だが、父の逆鱗に触れたのかある時から家に寄せ付けなくなった。


「えーと、でも途中森を抜けたりするからまた野宿生活だよ?」

「全然構いません。」


 少年はにこやかに応じる。

 いつものことだが旅慣れすぎてて貴族と思えない。一体どういう経歴なんだろう?


 そうして二人と一匹で森に入ったのだが‥‥





「危ない!」


 その声で身を退けば足元に何かが刺さった。その短刀に目をやりセレスティアは息を呑んだ。


 森の中で猪に遭遇しカールを庇いセレスティアとスノウで相手をしていた時だった。


 なぜカールはそれとわかったのだろうか?一瞬訝しんだが続け様に足元に刺さる短剣に意識を奪われる。退きながらそれらを躱し、抜刀したレイピアで弾きつつ藪に飛び込み身を隠す。


 なぜ短剣が自分に飛んでくる?

 猪を狙ったのに目測を誤った?

 人違い?偶然?


 それなら二投目以降の説明がつかない。誰かが自分を狙って投げたんだ。ぞわりと鳥肌がたった。


 身を狙われた時の対処法は師匠から聞いていた。

 しばらく辺りを窺うもその気配はもうなかった。


「大丈夫ですか?」


 カールが側に歩み寄り声をかけてくる。スノウも気遣わしげに身を擦り寄せてきた。


「もう気配は消えました。逃げましたね。」

「なんだったの‥かしら?」


 藪から出て地面に刺さった短剣を抜いた。陽の光で赤く見える刃は毒入り。かすりでもしたら危なかった。


「ありがと。助かっちゃったね。どうしてわかったの?」

「‥‥スノウが先に吠えて教えてくれましたよ?」


 そうだったかな?カールの声の印象が強くてよく覚えていない。

 しかしおかしい。家出はしたが命を狙われる覚えはない。手紙でだが婚約は破棄したし爵位の継承も放棄した。今自分は爵位のないただの娘だ。それなのになぜ?


 その様子を読んでカールが声をかける。


「身に覚えがなさそうですね。こうなると敵を捕らえられなかったのは残念ですね。」

「え?捕らえて尋問でもするの?」


 毒を塗った短剣を投げてくる輩に?それは無理でしょ?

 茶化した調子で答えれば至極真面目な答えが返ってきた。


「勿論です。口を割らせる方法はいくらでもあります。」


 少し凍てついた物騒な物言いにカールがイラついているのがわかった。普段特に感情を表さないこの少年にしては、これはとても珍しいと思った。


「きっと人違いじゃない?今頃気がついてるわよ。」

「命を狙われたのにずいぶん呑気ですね。」


 ぶすりとするカールに微笑みかける。


「だって本当に身に覚えがないんだもの。」

「だから!」

「わかってるわ。しばらく気をつけておくよ。」


 自分の肩くらいの背のカールの頭をぽんぽんと撫でれば、子供扱いされたカールはさらに憮然とした顔になる。

 セレスティアは令嬢としては背の高い方だ。普通の令嬢ならカールと背は同じくらいだろう。小柄と思うが決して十四のカールの背が低いということはない。


 最近あえてこのような態度をカールの前で出すようにしている。この少年は弟のようなもの、そう自分に言い聞かせる。


 弟のよう、だけど時として恐ろしく怜悧で大人のように自分を守ってくれる。常に強いがゆえに守られたことがないセレスティアにとってそれは未知で心躍る経験だった。

 きっと目さえ見えるようになれば戦う術も持っている。立ち回る様子でもそれとわかる強さだ。今はただ包帯でいましめられているだけ。

 旅慣れた貴族。聡くてかっこよくて強い。どんだけ万能なんだ。


 だからあえて弟なのだ。そうしないと自分が危うくなる。少年が笑顔で差し出すものを受け取るたびに、時にそれがヒヤリと背筋を迫り上がるのだ。


 目の前に、はまるとわかっている底なし沼がある。そうとわかっていてそこに足を踏み入れる、私はそんな愚か者ではない。



 一人佇み虚空を睨むカールはやはり不機嫌だ。


 目元を包帯で覆うと表情が乏しくなるものだが、三週間ほど行動を共にすると乏しいながらも感情の起伏が見えるようになってきた。今はすごく不満があるようだ。


「それより今日はご馳走?猪なんて久しぶりだよ。」


 セレスティアは明るい声を出してすでにスノウが仕留めた猪に歩み寄り解体用のナイフを取り出した。喉を裂いて血抜きする。スノウはきちんと猪の喉元を狙っているから内臓に汚染されずに肉を綺麗に取り出せそうだ。


 解体の術は師匠に教わった。師匠からは剣術以外にも色々と習った。ただの伯爵令嬢ではこんな作業は無理だろう。おかげでこうして自由にできる。

 

 不満げに押し黙っていたカールが不意に森に入っていった。


 すぐ戻ってくるアレかな?


 だがすぐには帰ってこなかった。解体が終わる頃にやっと戻ってきた。


「どこ行ってたの?」

「少し周りの様子を見回ってきました。」


 目が見えないのに?この少年の行動はたまに不思議だ。


「無理しないでいいよ。カールが狙われるじゃん。帰ってこなかったら私が探しに行かなくちゃならないし。」

「嬉しいな。僕のこと心配してくれたんですか?」

「そりゃそうでしょ?カールの変死体が出たら姉の私が疑われるじゃない。」


 楽しげな問いにセレスティアは内心動揺しながら軽口で返した。

 まただ。この少年は笑顔で意味深なことを言う。本当に見た目通りの少年なんだろうか。

 この手のことに経験も免疫もないセレスティアに笑顔で甘い言葉を差し出してくる。十四にしては随分と早熟だ。



 少年がたまに際どいことを言いセレスティアはヒヤリとする。だが姉弟偽装は順調だった。疑われたこともない。

 今のところ何も問題なく逃亡できている。ひょっとしたら捜索願いも出ていないかもしれない。そんなことさえ呑気に思いだしていた。


 そこからのあの襲撃だった。だから命を狙われた事実に衝撃を受けていた。




 夜も更け、森の中で夜営の準備をする。猪肉に塩胡椒をして枝に刺して炙り焼きにする。塩胡椒は先の街で購入した。簡単でも味付けがないと野生獣の肉ジビエは辛いのだ。


「ティア姉さんはスノウと一緒に。スノウはそういう気配に敏感だから。今日は冷え込みそうだしちょうどいいでしょ?」

「え?でもカールが寒いでしょ?」


 いつもスノウに包まって眠るカールが少し羨ましいと思っていたからその提案は大歓迎だ。以前断ったことを後悔していた。


「もちろん僕も隣で寝ます。今晩は特に冷え込みそうだし?」

「え?」

「スノウは大きいし?別に並んで眠るくらい大丈夫でしょ?」

「まあ、そうだね‥‥」


 多分気にした方の負けだ。意識していると思われる。謎の負けん気が顔を覗かせた。


 カールは異性じゃない。弟だし?

 一緒の部屋で寝てる時点で今更じゃない?


 そう思いつつセレスティアは口籠るがこれは仕方がないだろう。厳しく躾けられた令嬢とはそういうものだ。


 食事を終えて横たわるスノウの体に身を預ければとても暖かい。これはすごい。毛皮がふかふかで擦り寄ればもふもふと柔らかかった。

 スノウの頭を撫でてやる。スノウはセレスティアの頬をペロリと舐めた。まるで母親のようだ。

 カールが戻ってきたので手を引いてスノウの側に導いた。


 腰掛けたカールが薪を手に座り込む。


「僕はもう少し起きているので先に寝てください。」

「火の番?じゃあ途中で起こしてね。一人で大丈夫?気をつけてね。」

「火の番くらいできますよ。過保護だなぁ」


 フフと笑うカールに憤然とする。心配してあげてるのに!


「余計なお世話だったわね。じゃあおやすみ!」


 スノウの暖かいぬくもりに包まれてセレスティアはすぐに意識を手放した。

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