第9話 モブ兄、覚悟する

 じっと僕を見つめてくるロッテの目は真剣だ。

 この様子だとアクセントの言い訳をしたとしても、恐らく他に幾つか僕がサイダル保護領サイダルの西区に塾を構えるメンデル先生の弟子というだけではないことの証拠を見つけていそうだ。

 たかが手のひらとアクセントだけ、と思うなかれ。本当に賢い子は手元にある幾つかの真実のうち最も重要度の低いものから開示して、獲物を追い詰めていくんだよ。だから間違いなく開示された二点は重要度が低いもの。決定的な何かを隠し持っているはず。

 何でそんなことわかるんだ、って?少ししか会ったことないけど、僕の叔母がそのタイプだったからね。


「はぁ……ロッテ、君は本当に賢いな」

 諦めてため息をつくと、手にしていた教本を机に置いてサイドチェアに腰を下ろす。こりゃもう、観念するしかないだろうけどちゃんと話をしようと思ったら長くなりそうだし。

「どうせ他にも気づいてることがあるんだろう?隠しても無駄そうだね」

「先生の教えが良かったから、かな」

「そんなことは教えてないよ」

 軽口を叩いてくる様子を見る限り、僕の真実を明かしてサイダル政府に告げ口するとかそんな悪いことは考えていなさそうだ。まあ、そういった悪どさとは無縁な子だとはわかっていたけど。


「さて、どういったことが聞きたい?」

「先生の全部」

「端的ながらも危ない発言だな」

「先生のこと、全部教えて欲しいの」

「いやだからそういう発言は……ってロッテ、君わかってて言ってるね」

「てへ」

 てへ、じゃないでしょ、てへじゃ。かわいいけど。

「まぁいいや。僕はカディステリア王国男爵、モールデン家の養子なんだよ。ただ、五年前に家を乗っ取ろうとしてやらかしてね、国外追放を受けて罪人扱い。だからアチェの街で傭兵やってたんだ、この間の戦争まで」

 そう言うとロッテはこてんと首を傾げる。

 戦争やってたことはわかってるだろうに、何が不思議なんだろうかと思ってすぐに理解する。

「兵士としてではなくてね、前線の傭兵団本隊に物資を届ける輜重担当だったんだよ。だから貿易都市のアチェにいたんだ」

「そっか。じゃあ先生はまだ傭兵なの?」

「いや、戦争で傭兵団は壊滅したからね、そのおかげでこうして家庭教師ができるようになった」


 敗戦国の罪人であっても、新たに統治する国の罪人ではない。とは言え犯罪歴のない人間と比べれば新統治国に無関係と言えど前科者である以上、明るい未来が拓けるということはなく、だから住民帳をごにょごにょしたんだけど。


 そのことにすぐ思い至ったあたり、本当にロッテは賢いと思う。

「なるほどー、じゃあ先生にとってはサイダルが保護領になったのは良かったんだ。でも、家を乗っ取ろうとしたって、どうして?お家でいじめられてたの?」

 そういった想像は割とまだ子供なんだなって感じだよね。できれば他のところも子供らしくあって欲しかったけどなぁ。

「いや、弟がいてね、そっちが嫡子なんだよ。だから陪臣の騎士家を継がされてね。まあ、騎士だから平民よりマシだと思って満足すべきだったんだろうけど、あの頃の僕は満足できなくてさ。妹を使って第二王子を籠絡させ、その威光を嵩に男爵家を乗っ取ろうとしたんだ」

 いやー、若気の至りだよね、あっはっはっは……はっは……は?

 あの、ロッテさん?目が怖い目が怖い。

 子供のまっすぐな目って、汚れた大人にはホント恐怖でしかないよ。世の中の親って凄いなぁ。


「嘘」

 すい、と視線を逸らそうとした僕に、ロッテが告げる。

 いやほんとマジで何なのこの子。いつもの物分りがよくて素直な可愛いロッテに戻ってくださいお願いします何でもしますから。

「嘘じゃないよ。王国の正式な裁判記録も残って」

「それは本当だと思う。でも先生がお家を乗っ取ろうとしたのは、嘘」

「いやいや……」

「表面的事実は本質的真実を表さない」

 えー。それザイド・アル・ワルディシャートの言葉じゃん。まだ教えてないじゃん。何で知ってんだよ。

「えーと」

「どうして先生は追放されたの?」

「家を乗っ取ろうと」

「嘘」

 参ったなぁ。

 ホント僕ってシャルロットって名前と相性悪いんじゃないの?

 水難とか女難とか、そういった占いをする占星術があるって聞いたことがあるけど、シャルロット難ってのもあったりしないのかな。あるよねきっと。うん、まさに僕。


「五年前私はまだ子供だったし、本国のことなんて知らなかったけど」

 いや、今でも君はまだ子供だよ?成人してないからね?

 正直、とても成人前の子供の眼光とは思えないけどさ。

「先生、お父さんとよく話してるでしょ。王国のこととか共和国のこととか。先生がお父さんから情報聞けるってことは、私だって聞けるんだよ」

 あ、はい。

 そうですね。

 いやまったく以てその通りです。

 だよねー、出来の良い娘が色々知りたがってたら親としてはそりゃ色々教えてあげるよね。僕だけが情報を得られるんだなんてことはさすがに思ってなかったけど、まさかロッテがそこまでして僕の過去を調べようとしていたなんて思わないじゃん。君のその熱意はどこから来てるのかね。

「先生の妹って私と同じ名前なんでしょ。義理の妹であるシャルロット・モールデンを使って王子様をたぶらかし、侯爵様の娘との婚約破棄、王位係争に関わって第二王子を王位に就け、王妃の兄として権勢を狙ったのがアロイス・メルクーリ」

 久しぶりに聞いたよその家名。そう言えばそんな家名だったな、実際に名乗ったのは裁判にかけられてた間くらいだったから忘れかけてたよ。

「筋は通ってるけど、誰がどう聞いてもおかしいよね。いくらお妃様を出したとしても騎士家の人が王宮に入れる訳ないもん。ただのバカな騎士が道理もわからないで無茶したって感じでまとまったみたいだけど、それが先生だとしたらなおさら変でしょ。中等学園だっけ、学校の成績もトップの方だった人が感情に任せて実現不可能で無理なことするとは思えないし」


 まーね。


 でーすーよーねー。


 無理やり整合性とるために尚書部の伯爵と話合わせただけだからね。普通に考えれば無理があることは承知の上。だって体裁さえ整ってりゃいいんだから、王宮仕事なんて。

 あと学園じゃなくて学院ね。僕は気にしないけど、なぜか学園と学院の呼び方にこだわる層ってのが一定数いるんだよ。


 とまあ、それでも真実を言う訳にはいかない。

 せっかくエデルリッツ公アリア様も聡明なナタナエル殿下との婚約が整って幸せなんだろうし、フェリクス殿下をベツルヘイム公爵家に臣籍降下させて王家の体面も何とかなったし、後はテオフィル王子立太子の恩赦を狙ってシャルを男爵家に戻すだけなんだから。

 モブにもモブの魂ってものがあってね、これでも近衛を目指せる位置にいたモブなんだから、ただのヤラレ役モブとは違うのだよ。


「若気の至りだよ。ロッテも大人になったら『あの時の自分って恥ずかしい』と思うような時がくるよ。思春期特有の病だからね。あ、今度お父さんにも聞いてごらん、何であんなことしたんだろうって子供の頃の恥ずかしい記憶あるかって。多分あるからさ」

「お兄ちゃんが棒切れ振り回して勇者だー騎士だーって言ってたみたいなやつでしょ、知ってるもん」

 ……うん、そうか、物静かで大人しめなお兄さんにもそんな時があったんだね。でも可愛そうだから忘れてあげようね。

「そうそうそんな感じ。いや、もう恥ずかしいもんだよ。さて僕の話はこんなところで歴史の続きを」

「ごまかさないで、先生」

 ごまかしてるんじゃなくて、逃げてるんです。

 いやまじで。逃げたい。でも待て、このまま逃げ切れてもロッテの認識を正しておかないとサイダルの街に僕が前科者だって話が広まったら洒落にならない。ロッテが言いふらすとは思えないけど、こういったことはどこからどう漏れるかわからないんだよね。

 王国の法に基づく犯罪歴は共和国連邦となったサイダルでは無関係だけども、印象というのは別だ。悪い噂ほど大仰な部分だけを抽出してレッテルとして貼られるものだ。だから、この場合細かいことを省いて「前科がある」という言葉だけが僕につきまとうことになる。そこに事情や背景など無関係だから、そうなってしまえば今までの苦労が水の泡だ。

 ぐぬぬ……どうしたものか。


「ねぇ先生」

 不意に言葉の棘を落としたロッテを見ると、今までと全く違う、少女というよりは女と言うような雰囲気をしている。

 思わず見惚れそうになってしまう。何だこの雰囲気は。たかが十一歳の少女が醸し出すそれじゃないよ。

「私、先生のこと好き」

「は?」

「私、先生のこと好き」

 いや聞こえなかった訳じゃない。聞こえた内容を脳が理解することを拒否しただけだよ。

「まだ子供だけど。会ってから一年しか経ってないけど。でも好きなの」

 ええ……これ、どう答えれば良いの。まさか僕もだよなんて言えないし笑ってごまかす雰囲気でもないし。いやそれ以前に僕はロリコンではないからね。確かにロッテは可愛いと思うけど、それはあくまで一般的な「可愛い少女」という意味であって性的な意味ではなく。そりゃ夏場に服の隙間から桜色が見えてしまった時にドキリとはしたけど、それをネタになんてしたことないからね。ほんとだよ?ほんとだってば。


 内心大混乱。

 そりゃそうだよ、自他ともに認めるモブきゃらの僕にご都合展開なんてある訳ないんだから。罠か。誰かの罠なのか。こんないたいけな少女を使って僕を嵌めようだなんて太い野郎だ……って、モブを嵌めて得する人間なんていないか。

 心中では大騒ぎしている僕に、ロッテは変わらずまっすぐな目で見つめてくる。

 絶世のなんて修飾語がつくほどじゃあないけれど、ロッテは確かに可愛いんだよ。外に出て仕事を手伝ったりもしてるのに真っ白な肌とか、空みたいに明るい目とか。まつ毛も長くて目はぱっちりしてるし、唇も小さくてこの年なのにどこか性を感じさせる柔らかさを表してる。これ、あと三年もしたらこの辺りじゃ敵なしの美少女になるんじゃないかってほどにはね。

 とは言え、八歳の頃からシャルと、そして十四になってからはシャルロットと、天使にも比定されるレベルの美少女たちと過ごしてきた僕にそんな色は通じn

「僕もロッテはとても可愛いと思うよ」

 おいいいい!僕の口ぃ!何を言ってるんだよ。

 まて、これくらいなら社交辞令レベルだ。それにただの事実の指摘でしかない。修正可能だ。

「でも、ロッテはまだこれから沢山の人と会うんだ。組合との仕事も手伝うようになったら、それこそ今とは比較にならないくらい色んな男の人と会うだろう。だから、今慌てて決める必要なんてないんだ」

「大人ってみんなそう言うよね」

「大人?みんな?」

「うん。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも。お隣のメリルお姉ちゃんもお向かいのシャーディお婆ちゃんも、ハシェイさんもアンヌさんも」

「ちょちょちょ、ちょっと待って。え、そんな色んな人に相談したってこと?」

 うん、と頷く。

 子供怖い。ほんと子供怖い。

 世間体とか気にしない子供って、行動力がまじで恐ろしいね。

「でも」

 え、何。

 これ以上怖いこと聞きたくないんだけど。

「お母さんはね、自分の気持ちを信じられるのなら総力戦で挑みなさいって」

 奥様、あなた自分の娘に何言ってやがるんですかね。

「お父さんも、最後に信じられるのは自分だけだって。自分の心の中がやれと言うのならそれが最も正しい判断だって」

 ご主人、あなた僕と同じ凡庸モブかと思ったら意外にアクティブなんですね。それもおかしな方向に。

「だから私、最近ずっと一人で考えてたの。今のこの気持ちは本当に自分のものかって。十年後も二十年後も持っていられる思いなのかって」

「……うん」

「すごく考えたんだけど、わからなかった。でもわかったこともあるの。自分がしたいと思ったことをしなくて後悔することはあっても、その逆はないんだろうって」


 これが十一歳の少女の考えることだろうか。

 自分で決めたことをやって失敗したら、反省はしても後悔はしないだろう。

 だが、自分で決めたことをやらずに成功も失敗もしなかった場合、反省する必要はないが後悔は残るだろう。

 僕がそう思ったのは記憶にある限り五年前の決断の時だ。近衛入隊が確実視された中等学院優等生であった十六歳の僕が至った思いに、十一歳の材木商の町娘である少女が至っている。目の前の少女の目を見て、あの時の僕の覚悟とロッテの覚悟とで重みが違うなんて誰が言えるだろう。

 例え王国で言うところの中等学院入学前の少女であろうと、軽々しく考えてはいけないのだ。考えてみればヴェンデルと同い年だ。弟を前にして決意を述べられた時、僕はそれを笑ったりごまかしたりするか。絶対にしない。ならロッテにも真剣に向き合わなければ。


「ロッテ」

「なに、先生」

「君の気持ちはよくわかったし、とても嬉しいよ。だから僕もちゃんと自分のことを話そう。それでも僕が好きだというのなら、それにもきちんと向き合うことを約束する」

「じゃあ」

 ぱっと笑みを浮かべるロッテを片手で抑えて、

「もちろん、まだ十一歳のロッテと付き合うとかどうとかって話じゃないよ?こればっかりは法的にも道徳的にも問題あるからね」

 そう言うとロッテは意外そうな顔をした。なんで?

「でも、メリルお姉ちゃんはギークと付き合ってるよ」

 はあっ?!

 おいおい、メリルさんってお隣のメリルさんだろ?確かに美人なのに二十五歳過ぎて結婚も婚約もしてないのは妙だなと思ってたけど、おいまさか、十歳のギークにいけないことしてないだろうな。

「何か、すごく機嫌良くてお肌もきれいな時あったからどうしたの、って聞いたら少年成分がどうとかって」

 メリルぅぅぅぅ!

 貴様、何やらかしとんじゃ!

 それ、成分じゃないだろ、性分だろ絶対!

「だから、私も欲しいと思ったら全力で倒しに行け、って」

 あんの糞アマぁぁっ!ロッテに何言ってんだコラ!

 可愛い教え子に余計なこと吹き込んむんじゃねぇ!


 ふう、落ち着こう。いや、メリルは絶対に後でシメるけどとりあえず今は真面目な話だ。ロッテも「少年成分って何だろうね先生」とか言ってるから、さすがに奴もいたいけな少女にいらん知識までは教え込まなかったようだし。

「こほん。まあ、それはそれとして」

「うん」

「糞アマ……メリルはちょっと特殊な例なんだよ。サイダルでは十二歳で許可された範囲で仕事を始められ、十五歳で収入や労働時間といった仕事の制限がなくなる。基本税の対象である収入を得られるようになるのも十五歳、それは知ってるよね。だからそれまでは法的には子供って扱いなんだ」

「それは先生に教えて貰った」

「そうだね。だからそう……これから僕のことを話す。それでもロッテの気持ちが変わらないなら、契約のある十二歳までは今まで通り家庭教師と生徒としての関係でいよう。ロッテは家の手伝いをするだろう?なら間違いなく基本税の対象になるだろうから、十五歳になったら確実に大人だ。その時にまだお互いに好きでいられたら付き合うってのはどうかな」

「それって大人特有の小狡い時間稼ぎ?」

「誰かな、そんな余計なこと教えたのは」

「先生だよ」

「そうでした」

 はい、それは哲学の時に教えました。確かに教えました。でもこんな時にそんな勤勉さを発揮して欲しくなかったです。ちゃんと身についていることは先生としては嬉しいですけど。


「僕もロッテが好きだけど、それはまだ大人の好きではないんだ。だから後四年間、お互いにきちんと向き合おう。その間にロッテに好きな人が出来て僕は辛い思いをしてしまうかも知れない。僕に好きな人が出来てロッテが悲しむかも知れない。そうなったとしたら、それはその時悲しくてもきっと後になれば思い出になるようなものだと思う。でも四年間、お互いのことを思って、それでも変わらなくて付き合ったのだとしたら、それはきっと本物だ。僕はロッテと本物の付き合い方をしたいと思う」

 どうかな、と頭を撫でると少しだけ考えた後、

「わかった。でも先生、食べ頃を逃して後悔しない?」

「……誰かな、そんなこと言っ……いやいい、予想できた」

 うん、この後すぐにメリルはシメに行こう。


 そんな訳で、僕はロッテとお付き合い猶予期間を設けることになり、もちろんきちんとサイダルに来るまでのことを説明した。

 あと、メリルは粛清しておいた。







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地方で割と良い学校出の人に「◯◯学院だっけ」と言ったらガチめに「学園だよ!」と怒られたことがありました。

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