第8話 モブではない人たち
「アロイスが……」
シャルロット第二王女は自室に戻るなりはしたなくベッドに体を放り投げ、枕に顔を埋めながら呟いた。
侍女が持ってきた伝言を聞いてモールデン男爵に会い、アロイスのことを聞いてきたばかりだ。彼の推察は彼女と同じ結論に至っており、それは現地の情報として非常に有用なものであると判断した結果、男爵には全面的な支援を約束して帰した。
「殿下、はしたないですよ」
「いいじゃない、自室でくらい。テレーゼは厳しいわね」
顔を上げずにくぐもった声で応じると、微かにため息が聞こえた。
「……アロイスは重罪人です。五十年以上も執行した記録のない市中引き回しをされた罪人なんですよ。どのような場所であれ発言にはご注意ください」
「どうせこの部屋はテレーゼが掃除してるんでしょ。なら問題ないわ」
「確かにそうですが……」
枕で見えないけれど侍女はきっといつものように顔をしかめているのだろう。だが王女はそんな様子を感じつつも、足をばたばたさせて、
「くふふ……やっぱりアロイスね。絶対に生きていると思ったわ。平民として家庭教師で食いつないでいるなんて、いかにも自分をモブと信じ込んでる彼らしいし」
はぁ、とため息をついたテレーゼはもはや忠言も面倒になったのか、侍女らしくなくベッドサイドの椅子に腰を下ろす。
「アロイスはそれで良いと思っているでしょうね」
「そう、そこなのよ」
枕から顔を上げ、侍女をびしりと指差す。
「痛っ!」
その指を掴まれぐにっと下された。
「殿下、人を指差してはなりません」
「ほんと厳しいわね……でもまぁ、それが彼らしさなのかも。運命論者というより欲がないのよ」
「それはそれで貴族としては欠陥でございます。名誉であれ権力であれ金であれ女であれ、貴族の男性としては欲望を原動力に上を目指すべきですから」
「そういうところ、テレーゼって俗っぽいわね。高貴なる義務とか騎士の誇りとか言わないし」
「高貴さや誇りを食べて生きていけるのであれば言いますが」
「……ほんと、俗っぽいわ」
テレーゼはフェイ伯爵家の三女で、王女が八歳の時のある茶会で出会い、気に入ったシャルロットがぜひにと乞うた女性だ。伯爵は渋ったものの、三女ということもあり政略結婚をただ待つのも退屈、と中等学院卒業後すぐにテレーゼ自身がノリノリでやってきた。実のところ伯爵が渋ったのも娘可愛さなどからではなく、こういった破天荒さ───女だてらに護身術の免許皆伝であったり、領地の警備兵に混じって野盗の族滅に参加したり、学院の教師を理論で打ち負かしたりと言った、有能だと褒めれば良いのかお転婆だと叱れば良いのかわからない彼女が王宮で何かやらかさないかを心配してのことらしい。
上に年の離れた姉二人がおり、下の姉がアロイス・モールデンの母である。故に彼女にとってアロイスは血の繋がりはなくとも甥にあたり、五歳離れた甥の能力については姉夫婦から聞いてよく知っていたしそれなりに期待もしていた。
王宮勤めであるがゆえプライベートでは何度かしか会っていないが、学院に送迎する馬車に同乗した際に軽く会話はしている。その数少ない会話からでも彼の異質さに気づく程度には、彼女も有能であった。
さてそんな彼女が抱いていた期待が最悪の事態において発揮されてしまったことは残念に思ったが、それでこそ、と評価は非常に更に高まっていた。
だから、
「貴族としては欠陥があっても、平民でなら彼は幸せになれるでしょう」
思わず呟くように言った言葉は、にやりと笑ったシャルロットに拾われた。
「そうよね、珍しくテレーゼが褒める人だもの。でも……やっぱり勿体ないわ。何とか王国に戻したいところだけど」
「無理ですね。というより、戻す必要も感じませんが」
「どうして?彼が王国にいたら共和国への対策もあんな無駄に空転する会議なんかより、よほど適切な答えを見つけられるはずよ」
「王国にとってはそうでしょう。ですが私にしてみれば一族である彼の幸せの方が王国より重要ですので」
「……テレーゼでなければ不敬罪か反逆罪よね」
「殿下もおわかりなのでしょう?」
テレーゼの返しにむぐ、と黙る。
まったくその通りで、言ってはみたものの市中引き回しまでされて追放された彼に、名誉回復の機会は存在しない。本来の主犯は彼の妹であるシャルロットと王女の兄であるフェリクスであるのだが、アロイス自身が望んで自らが主犯になってしまったのだから理不尽とは言え仕方ない。本当の主犯は公爵になったり恩赦の対象になったりするのに、犠牲を引き受けただけで罪のないアロイスが名誉回復できないとは、まったくもって王国の法制度は度し難い。
そう考えてベッドに転がりながら口の中で文句をぐにゅぐにゅ言っていると、
「殿下がアロイスを夫に迎えたい、と言うことでしたら手が……」
テレーゼが爆弾を落とす。
「はぁっ?!」
「はしたないですよ殿下。淑女らしくなさいませ」
しれっと言うテレーゼを睨みつけるが、鉄面皮の侍女は何の痛痒も感じていない。澄ました顔でいつの間に淹れたのか紅茶を口に運んでいる。思わず憤りよりも先に「あれ?主のを淹れずに自分のだけ淹れたの?」と聞きたくなるくらい自然な有様だった。
そんないつも通りの傍若無人な侍女を見ていたら憤りも収まったのか、ふー、と大きく息を吐いて、
「彼をお……おっと?に迎えるかどうかは別として」
「なぜ疑問形なのです」
「別として!まあ、そんなことはあり得ないと思うけれど参考までに、あくまで参考までにね。一体どんな抜け道があるのかという我が国の法制度に関する改修点の参考までにということなんだけど」
ちらちらとこちらに視線を向けながら妙なテンポで言葉を無駄に繋げる王女。回りくどい、と思いつつテレーゼは素知らぬ顔でカップを口元に運ぶ。
「その、テレーゼの考える手というのを、ちなみにだけれど教えて貰っても?」
「そんなものはありませんが?」
「……は?」
表情の一切が抜け落ちたような顔つきをするシャルロットに、あー楽しかったと言わんばかりに珍しく満面の笑みで性悪な侍女は言い切った。
「ありませんよ、そんなもの。一体どうやったら国外追放された罪人が王女と結婚できるというのですか」
数瞬後、飛んでくる枕やらペンやらをひょいひょいと避けながら紅茶を引き続き楽しんでいた侍女は思った。
そんなご都合展開がモブにある訳ないじゃないですか、と。
カルディナ共和国は新たな体制に入り、多少の混乱は引き続きあるものの概ね好調な新統治体制のスタートを切っていた。
その間も彼は戦争だけをしていた訳ではない。予定している共和国の最大版図に収まる民族の共通項を抜き出して集団、村落、街、封土から更に国という単位へ拡大するにあたり必要な国民感情を醸成するための手を打ち、共和国連邦議会の椅子と安全保障の上に成り立つ経済的繁栄という餌で諸侯の反発を抑え、国内の度量衡を統一し、官僚制度を整え、中央政府に都合の良い街道整備計画を立案し、国内経済の自由化と税制改革を進め、測量と戸籍整備を開始した。
西方属領の完全制圧も間近という段階になって共和国連邦が成立、第一回連邦議会にて執政に推挙された彼は慎ましやかにその座に着き、初代共和国国王である候王レポルノ・トラガを戴く独裁主義国家のスタートを切った。
そう、ヴェストラン侯は
だがこれは、そこまで過激でなくともカディステリア王国の王アーガスも狙っていることだ。貴族の力を削ぎ官僚化することで中央集権を進め王族の権威を高める政策を粛々と行っている。一人の独裁者であるのか、王家という寡占的独裁であるのか、体制の下で行うか血統で捻じ伏せるかの違いでしかない。いずれにしても権力の集中化と反対勢力の一掃を最終目標にしているという点は似通っている。
けれども、端から国王という地位で行い、王族という血統を用いて家を高めることを目的としているアーガス国王に対し、ヴェストランという、諸侯からも「そんな土地あったっけ」と言われる程度の領主から自分ひとりに権力を集中させようという強烈な独裁を狙う彼では、難易度が桁違いだ。その端緒につけただけでも、彼の有能さは同時代の為政者の中では際立っていると言えるだろう。
諸侯にはその地位の代わりに安寧と責任からの解放、そして安定した富を。商人たちには域内経済自由化による利益を。人民には自由と見せかけの政治参加をそれぞれ与えることで、利益の分配をちらつかせながら封建制度を一挙に独裁政治に押し上げようとしているのだから。
そんな物語の主役級キャラである彼の最終目的に気づいているのは、サイダル保護領で家庭教師と道場指南役でひいひい言いながら貧乏生活しているモブのアルノと、アルノからのヒントで推察した王国の第二王女、シャルロットだけだろう。
戦場では軍神と呼ばれ、政府では建国の知臣と評価される彼は、そんな評判からは想像できないような穏やかな表情で気さくに市井の民とも接し、秀麗な容姿と相俟って縁談の話が引きも切らない。大店の娘だろうが諸侯の子女だろうが、好みに合えば手当り次第に食い散らかすことも可能な立場なのに誠実な姿勢で自らの婚姻には慎重である。二十六歳であることからそろそろ妻帯してもおかしくはなく、周囲はその候補に上がろうと躍起だ。だが、近い位置にいる高位の政府関係者は、自らの結婚をどれだけ高く売りつけられるかを検証しているのではないかと考えている。具体的に言えば、そう───
「実質的に領土を接するカディステリア王国、だろうな」
「確かに。あの国は東のページャ王国に第一王女のエレイン殿下が輿入れしている。南は海、狙うは北の小国群か我ら共和国かのどちらかだろう」
「平らげるには北が格好の餌食であろうが、そのためには我が国との国境を安定化させる必要がある。我が国としてもイ=シュメントを名実ともに海外領とするための吸収作業が急務だ。サイダルも完全に安定しているとは言えないしな。王国との関係安定は十分にメリットがある」
「そのために必要な駒としてご自身の結婚を当てるというのはあの方らしいが、さて王国には……まさか、シャルロット第二王女か」
「他にはいないだろう。確かにあの王女は聡明すぎて我らの和を乱す可能性があるからまさかとは思ったが……とは言え、未だあの方に女の影が見えないのはそれを想定されているということではなかろうか」
「うぅむ……シャルロット殿下か。まだ十七か十八でなかったか」
「その程度の年齢差など問題なかろう」
「国が乱れるのは必ず後宮から、というのが大陸の歴史だ。門戸を広げている我が国としては、あまりに聡明な女性が執政の夫人になるのは不安だな」
「だが、共和国としても連邦としても課題はまだまだ山積している。唯一の陸上国境線である東方に不安がなくなるのはありがたいぞ」
「まぁ、それは確かにそうだな。後はあの方が本当にそれを想定されているかどうかということか」
ということになる。
共和国政府ではあちこちでそういった話が聞かれるが、当の本人はそういった話を口端に乗せることもなくいつもと変わらぬ様子で政務に取り組んでいる。本人からの否定も肯定もない、ということは得てして周囲は自分にとって都合の良い方へ解釈しがちで、次第に執政は共和国の領域安定のために王国から第二王女を娶るつもりだという想像が固定化されていく。
そういった話は以外と渦中となる政権中央よりも、色恋沙汰くらいしか余暇のない平民の方が広まるに速く、何となく国中で執政と王国第二王女の婚姻はいつになるのだろうかという噂となっていった。
美男子の執政と、王国随一、もしかしたら大陸随一ではないかと言われるシャルロット第二王女という役立ても、拡散に一役買っているのだろうけれども。
へぇ。シャルロットがねぇ……でも何かおかしいんだよな。
僕が家庭教師として通っているファフィテア材木商は大きくはなくとも仕入れも販売も、ある程度の規模のルートを持っている。組合の中でも中の上か上の下くらいにはいるから、隣領である王国の情報も他の商人たちにひけを取らない精度と速度で集まるんだ。休憩時間や指導が終わった後、店に顔を出すと大体店主と茶飲み話になるからそこで聞いてはいるんだけど、どうも王国では困惑の色が強いっぽい。
そりゃそうでしょ、西方属領を失ったことは国王アーガス陛下としてはむしろ身軽でやりやすくなっただろうけど、王国としては手痛い失敗でしかない。その失敗の原因である共和国の執政にシャルロットを差し出すのは耐え難い屈辱だろうしさ。自分たちから持ち出す訳ないんだよ。
だから当然この話は共和国から出た話であって、そんなことをちらとも考えていなかった王国としては困惑しかないよね。
確かにシャルロットも結婚はともかく婚約はしていて良いお年頃。高位になればなるほど政略の価値が高いから、出し惜しみして婚約年齢も上になっていく。公爵という高位貴族のご令嬢なのに、齢十三でフェリクス王子と婚約していたアリア様みたいなのは異例な方で、あれは第一王子と第三王子の出来の良さがあったのと、第二王子の愚劣をフォローできる令嬢を予約しておきたいという王家の意向があったからだ。
これが王女ともなると他国のどこに嫁いでも高く売れるもんだから、二十歳より前に婚約するなんてことはあまりない。国家間の問題なんていつ何がどうなるかわからないからね、切り札はぎりぎりまで取っておくのは当たり前のこと。
だからシャルロットもちょっと早いけど手札として切れる場面があるなら切っておこうか、という感じにはなっているんだろう。ただ、それが当の共和国政府ではなく市井の噂だったり非公式な高位同士の伝手であったり、縁戚関係にある共和国諸侯からの問い合わせだったりするもんだから、一体公式にはどう考えているのかわからなくて戸惑ってるみたいだね。
と、歴史の授業で国家関係の話のついでに説明してあげると、
「先生は結婚しないの?」
あー、そうか、ロッテもそういうのが気になるお年頃かも。
「僕のことは今は関係ないよ。国同士の交渉における……」
「先生って、元貴族でしょ。婚約者くらいいたんじゃないの?」
授業に戻そうとして失敗、どころか一瞬呼吸が止まったかと。
え、なんでロッテが僕の過去を知ってるんだ。いや婚約者なんていたことないけど。って、そうじゃなくて。アチェの住民帳は完璧に改竄したし共和国執政という有能主人公さんのおかげで戸籍はほぼ作り変えられているはず。しがない材木商の娘、たかが十一歳の少女にそんなことを知る手段があるとは思えないんだけど。
「そんな訳ないでしょうに。お父さんからちゃんと聞いているよね、ただの平民の学者崩れだって」
何とか平静に返せたと思ったんだけど、一瞬だけ動いてしまった表情を見抜かれてしまったらしい。
「嘘。先生の手のひらは学者みたいな柔らかさじゃないもん。それにカルド語がきれいすぎるよ、ただの平民にしては。なのに時々ちょっと違うの。シュメル語の訛りだよね、『
何この子怖い。
確かに僕が貧民として底辺を這いずり回っていたのはイ=シュメント王国と海を挟んだ王国南方トーレの街だ。貿易港があって文化的にはイ=シュメントに近かったから訛りはある。アチェに辿り着いて傭兵として生きていこうと決めた時に、可能な限り西方属領民としておかしくないようシュメル語よりもカルディナ諸侯の公用語であるカルド語を完璧にしようとしたことが裏目に出たか。
とは言え、この程度の違いを見抜くとか、何なん?シャルロットって名前になると賢くなるの?あ、いやそれで行くと妹のシャルはどうなんだって話だけど。
いやー……これちょっと、どうしたもんかね。
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