第6話 モブ兄、平民になる
マジか、マジかぁ……。
いやぁ世の中何が起こるかわからないよね。
王国、負けました。
傭兵団、やっぱり壊滅してました。
はい、無職ですよ無職。
諸侯軍の例の軍師さん、やっぱすごい人だったみたいだよ。春先に属領北西部のディテルベ地方が陥落して傭兵団の生死もわからないなー、なんて思っていたら夏前には北部完全占拠とか。どんだけなんだよ。属領都であるガタンの陥落も近いだろうと思って、いざそうなった場合に忍び込んで書類をいじるべく参事会の構造調べてたら、あっという間に総督府陥落のお知らせ。
いやー、やっぱ物語の主役を張れるような人は違うね。
アチェの街も夏の太陽祭どころじゃなくなって、諸侯軍と王国からの正式な終戦宣言を受け、てんやわんやの大騒ぎ。実効支配されてるのは北部だけど、諸侯軍からの宣言には属領全体の占有が含まれてたからね。北部の占領政策を見る限り都市民を隷属させることはないだろうと予想していたんだけど、まあ普通なら軍は民を掻っ攫って行くと考えるから大騒ぎになるのも仕方ない。
本国へ逃げようとする商工関係者や貴族達、命までは取られないだろうと諦め半分で喧騒を眺める町民、どうせ移動なんて出来ないし労働力として実は最も重視されているため普段どおりに過ごす隷農民、籠城戦の用意をする傭兵団、民族意識を刺激されて諸侯軍接近の報に接して散発的な蜂起を行う過激派属領民。
僕はと言えば、アチェに来て四年になるけどこれほど活気に満ちた光景は見たこと無いなあ、なんてのんびり構えてた。何と言ってもあれだ、どさくさ紛れでかねてからの計画が実行できたから、出来ればこのまま諸侯軍に占拠して頂きたい。とは言え実家のある王国に対する蜂起に参加するなんてことはしないけど。
これで僕も平民ですよ、平民。前科も消えたきれいな平民。
不穏な町中でニマニマしないよう、顔を引き締めるのが大変なくらい嬉しいね。もちろん書類の上での話でしかないんだけど、住民帳が南部を統括するアチェにしか備えられていないことを確認するだけでも気苦労が耐えなかったし、參事会のどこに保管されてるか調べるのなんてめちゃくちゃ大変だったんだから。
一般的には男爵家を継ぐ貴族が平民になったんだから気落ちするところなんだろうけど、なんつっても直近は前科者なんでね、前科が消えるだけでも万々歳だよ。男爵令息の前はそもそも貧民だったんだし。そう考えると、貧民から貴族、罪人の平民、ただの平民と移り変わったんだから貧民スタートを基準にすれば大勝利じゃん?
元貴族のアロイスとしては前科を持ったままなのが両親には申し訳ないと思うんだけど、そう考えると変に関係を持ったままになるより家系から消した方が良い。これから僕は、属領の平民であるアルノとして生きていく。
さて、そうと決まれば僕を知る人がいるアチェからはさっさと出ていかないとね。賠償交渉にどれくらいかかるか不明だけど、早ければ早いほど良さそうだから。
王国には激震が走った。
戦争に負ける程度であれば、小競り合いでよくあることだ、さほど気にしない。王の改革のおかげで貴族の力を削ぐ代わりに王国が責任を持たなければならない体制になったから、今までは捕虜となった貴族の身代金を当の貴族の家族たちが工面してきたものを、王国が用意しなければならなくなったことくらいだ。
属領を取られたのは痛手かも知れないが、そもそも統治の破綻は目に見えていた。百年の安寧を享受していたとは言っても、それは外敵の侵入がなかったことと領内の治安が維持されていたというだけの話。そのために雇用した傭兵や派遣した総督に文官•衛兵などの維持費。元から領土的野心からの占領ではなく、小都市国家乱立地帯で小火をこちらに延焼する前に念のため消火しておこう、ついでに大国としての威を示せれば儲け物と無駄に介入したところ、想定以上に進軍できたことで停め時を見失った結果の属領化でしかない。
それだけに行政や立法など統治政策に熱が入らず、場当たり的に人的資源を投下してきた。現王は本国の王権強化に努めると同時に属領の体制改革をするつもりだったが、そのタイミングを狙ったかのようにカルディナ諸侯が軍を発したのだ。
ツギハギだらけの統治体制も仇となり、彼らが事前に属領民を思想的に扇動していたことにも気づかなかった。とは言え、ナショナリズムに訴えかけるなど史上誰もしたことのない戦術であるから、この点については王国に瑕疵があったとは言えないのだが。
さて、では何が問題かと言えば、カルディナ諸侯が「いつも通り」の戦後処理をしなかったことだ。
慣例通りの身代金交渉に人質返還、賠償金請求や領土割譲なら交渉次第となり、負けたと思わないような結末とすることだってできる。いかに諸侯が入念に戦備を整えたと言え、王国本国にまで浸透するほどの余裕はないから、こちらもそれなりに強気に出つつ国王の進める改革に不要な土地を切り離す結果とし、更には統治のスリム化という副次的利益すらあり得る。
が、カルディナを率いる参謀はそんな「当たり前」を夢想する王国首脳陣をあざ笑うかの如く大陸において非常識な対応を行った。
「まさか。これは諸侯の同意を得ているのか」
誰がそう言ったのかシャルロットは気にも留めていなかったし、この場にいる全員がどうせ同じ感想なのだろうから誰が口にしたとしても変わらない。いや、唯一シャルロットだけが現実に驚愕するのではなく過去を振り返り納得していた。
「慣例にないことだ。こんなことは許されるはずがない、例の男の暴走であろう」
「いえ、諸侯の総意によって侯王が決せられたものであることは確実かと」
「だとしたら諸侯は一体どう言うつもりなのか。文明国家としての矜持を捨て、東方蛮族と同じ位置に成り下がるつもりか。愚かなことだ」
各部大臣に軍首脳まで雁首揃えて無駄話とは、お父様のご苦労が偲ばれるわ。そうシャルロットは心中でため息をつく。
見渡せば現実から逃げる理由を探し、理解できないことを嘘と断じ、信じたいことだけを信じようとする老害ばかりだ。父王は内政に意欲を示したしまたその才覚もあったため、長い年月で時代に合わず無駄に複雑化し硬直した王国の統治機構の改革を図っているが、ままならないのはこういった利権にしがみつく特権階級の抵抗と、そうなるほどに旨味のある利権そのものに原因があるのだろう。
「我らが底辺に堕する必要はない」
「だが、我が国とて永遠に戦争を続けることもできないだろう。どこを妥結点と想定するか、今はそれをこそ話し合うべきだ」
現実的な話をしている貴族もいるようだが、その根底にあるものは先見性や進取ではなく保身と怠慢だ。そのことも王女は正しく見抜いていた。
「妥協できる部分がなかろう。戦争にも戦後交渉にも遵守すべきルールはあるのだ。勝者が何をしても良いという前例を作れば今後の大陸諸国家の在り方すべてが変わるぞ」
「まさしく卿の仰る通りですな。カルディナ諸侯が共和国となるのは勝手にすれば宜しい。だが、西方属領を独立させ統治権だけでなく統帥権や外交権を共和国が保持するなど、聞いたこともない」
「全くだ。それではもはや国ではないであろう。共和国の保護領などと聞こえの良い造語でお茶を濁しているが、ただの占領と何が違うのだ」
「だが、議会の設置と代表の選出は西方属領にも認められるということだが」
「それが何だと言うのだ、我が国にとっては属領を丸ごと奪われるということに何等変わりないではないか」
「同意だな。そもそも人質交換に応じず、捕虜の全てを奴隷と堕すなど受け入れられるはずもない」
騒ぐ割には現状認識から一歩も進まない会議を、王の脇で見つめながらシャルロットはひっそりとため息をつく。
何たる無駄な時間か。
そう心中で呟きながらも思い出すのは学院時代のことだ。
カルディナ諸侯、いや今はカルディナ共和国と言った方が良いのか、彼らが提示してきた和平条件の内容にどこか聞き覚えがあるような気がした。そう、学院時代に物語のキャラ設定から始まり、色々な話をするようになったアロイス・モールデンの言ったことだ。
『国なくして王家はない、けれど王家がなくとも国は成立できる』
いつものように『クリステラ王国建国物語』に出てくる人物評を、鼻息荒く喋り捲るシャルロットが落ち着いたところで、唐突に彼はこう言ったのだ。
古代には民衆が集まって街の行く末を決める議会が発展し、国のレベルにまで至ったこともあったことは彼女だって知っている。遥か昔、大陸中央にあったユーレイス=フィニという文明のことだろう。深い森の中にあったそれは集落ごとの交通が森に阻まれていることもあって、大きな集落となり国に発展するまで自分たちのことは自分たちで決めるという方式を採っていた。外部から切り離されている分自立心も強く、それは個々人の在り方にまで影響したようで、組織と上下関係はあっても征服や服従と言った思想を嫌っていたらしい。
今、この大陸には種別で言えば封建国家か王制国家しか存在しない。自ら王を名乗らない統治者もいるが、実質的にはそのどちらかに該当する。古代ユーレイス=フィニのような合議によって国の方針を定める国家に近いのは、その跡地と目されている樹海にあり彼らの後継を自称する国、レスフィーネ共同国くらいだろう。それとて王家が統治者となり、その輔弼機関としての議会ではディ・マゴスと呼ばれる指導層が議席を独占している。衆を集めた会議がある、という程度の近似でしかない。
長く王またはそれに類似する統治者が治めることを是としてきた大陸において、王の統治が当然の形態であり大陸の文化と呼ぶべきものである。理論的根拠も王権天命説という学説で補われているし、それを輔ける貴族などの指導者層は血統論と紋章学で固められている。
王は天から与えられた統治権を総攬し、血統と紋章に証明された貴族が輔弼権によってそれを輔ける。それらが伝統と学問により担保され、上から下までその方法が最善であることを疑ってもいないのだ。
名称は様々だが、概ね王と貴族による統治は千年以上続く大陸の在り方であり、歴史も学説もそれを支持している。だから彼が言った『王家なくして国は存立する』は相手がシャルロットでなければ不敬罪に問われるか、頭がおかしい奴だと一笑に付されるかしただろう。
『千年続いたからそれが正しいとは断言できない。千年続いたからこそ、人の世の流れにそぐわなくなっているとも言える。古代は合議制が正しかった、だが数千年を経て社会のあり方が変わったから王権にとって変わられた。ならば王権も時代から不要と断ぜられる可能性が皆無だと誰が言えるのか』
それは彼女にとって青天の霹靂だった。
自分は既存の中において最優秀であったからこそ、今ある枠組みを超えて考えることをしなかった、という認識においてだが。いつものように凡庸な表情で風に紛れてしまいそうな言い方をする彼の言葉は、王家への不遜で不敬な発言であるという印象を全く与えない不思議な話し方だからだ。
けれどその内容は記憶に強く残された。
『だからいつか、王権のない国が生まれる。曖昧な権威ではなく、明確な事実や思想、民族を根拠に運営する国が』
それが今まさに議題に上がっているカルディナ共和国なのではないだろうか。シャルロットは相変わらず喧々囂々の会議を見ながらそう思った。
いや、侯王は国王として立つらしいからアロイスの言う国そのものではないだろう。だが、国王は国家の精神的支柱としての権威を担う存在となり、国の運営は議会と政府が行うという点は非常に近いもののような気がする。その議会を諸侯が占めるのか平民も参加できるのかまでは不明だが、国王が統治権を放棄するという点でレスフィーネ共同国と決定的に異なる。ならばやはり、共同国より共和国の方がアロイスの言っていた国に近いのだろう。
彼ら共和国の選んだ道が正しいかどうか、それはわからない。
けれども傍聴は許されても発言は許可されていない御前会議の場で、繰り返される無意味な空論を前にうんざりしていたシャルロットにとって、そのことを空想することはアロイスのぼんやりした表情と相まってどこか心楽しくなるものだった。
凄い活気だよ。
属領とは言えほぼひとつの国家だからね、属領となる前の旧王都だっただけあって領都の賑わいったらないよ。いつもこうなんじゃなくて、カルディナ諸侯、今は共和国か、その統治方針からカルディナ共和国連邦サイダル保護領となり、連邦議会に保護領からも代表を送ることができるとなったのが原因なのかも知れないけど。
言語の相似点を挙げてカルディナとサイダルが同一民族である、と発表したことにも驚いたけど、それを更に上手に煽って民族意識を高めたやり口にはほんと感心する。いやー、誰も信じてないような歴史的な領土やら支配者の血やらを持ち出すのが戦争の常だけど、まさか言語的な面から正当性を引っ張ってくるなんてね。びっくりだよ。誰もやったことがないアプローチだからこそ、その「誰も」の中に含まれない一般市民、平民層にとっては支配者層の主張より信憑性が高いように感じられる。そんなこと、思いつくこともすごいけど実行するなんて……シャルロット、あ、シャルじゃなくて王女殿下の方ね、あの娘も十分化け物だけどその上を行くわ。
カルディナの軍師さん、どうやら今は共和国の執政という役職らしいけどマジ有能。シャルは王子様きゃらが好きだったけど、シャルロットはこっちのが好きそうだなあ。
まぁ僕は何となく嫌なんだけど。
美味しすぎるんだよね、サイダルにとって。
カルディナの治外法権を認め、治安維持と国防は共和国が担う代わりに軍を持たず、保護領政府にはどちらの国民にも門戸が開かれる。領内の街道や公共施設、医食に関わる制度は当面の間共和国が原資を負担して無利子の借款を行う。サイダルという保護領自体は治外法権を認めてるけど、サイダル領民個人に対しては共和国の国民と権利において相違はない。共和国と保護領、南の海を超えた対岸にある古くからカルディナ諸侯の影響力が強いイ=シュメント王国で構成される連邦の議会選挙権、被選挙権まであるわけだし。
でもねぇ……こうやって眺めても良いこと尽くめのようだし実際に領民は大喜びでこうやってお祭り騒ぎしてるんだけど、これってあれじゃないかな、民族融和なんじゃないかな。数年後なのか数十年後なのかわからないけど、サイダルって国自体が消えてるような気がするよ。それも、サイダルの意思によって。いやまあ、それ自体は良いことだと思うんだけどね。ただ、それを主導するのが執政さんだけになってるんじゃないか、という予感が拭えない。
いつだったか、シャルロットに国の在り方について思っていることを話したことがあったけど、その時僕が想定していたものと違う別の何かを目指してるような気がしてならないんだよ、執政さんは。ほんと、何者なんだろうな。まぁ、だからと言ってモブ平民の僕には何ができるわけでもないし、都合の悪いこともない。だから構わないんだけど、どうも周りが喜んでると冷めちゃうよね。嫌いというより、どうにもお尻がむずむずする、という感じかな。
とまあ、そんな訳で僕は旧西方属領、現サイダル保護領の領都サイダルにいる。都の名前を国名にするあたりもうまいよね、執政さん。
いくら前科を消したとは言ってもアチェにいれば事実を知る人がいるもんだから、共和国と王国との和平交渉が成立する前にさっさと荷物をまとめて……うん、荷物と言っても麻袋一つにしかまとまらなかったのが悲しいけど、手持ち現金を掻き集めてアチェから北へ7日間、領都のサイダルにやってきた。もうほんとただの平民だからね、仕事もないからどうやって食っていこうかと思ったんだけど、よく考えてみれば今度は職業選択も自由だ。歩きながらそのことに思い至った僕は都に入るなり宿も取らずに保護領政府に走り、市民登録を済ませると同時に家庭教師の試験を受けた。
大変だったけど傭兵団の事務方やっててよかったよ。使わないと知識は錆びついていくからね。
おかげで何とか合格、紹介してもらった私塾を総当たりして住み込み可の先生のところに転がり込むことができた。入塾費用を捻出するのに持参した荷物なんかもほとんど売り払ったから、食事と部屋には困らなくても一文無し。しかも部屋は門弟四人の大部屋。
いいんだよ、気を遣わなくて。二十歳になるって言うのに文無しで私塾に転がり込むってどんな悲惨な背景があるんだろう、なんて目で見ないでよ、兄弟子たち。いやほんと別にいいんだ、家庭教師の口を見つけるまでの腰掛なんだから。こういう時、組合がないって困るよねぇ……私塾に在籍して先生から紹介受けるしかないんだもの。
入塾金で賄えた在籍期間は三ヶ月。
この三ヶ月の間に何とか先生の目に止まる実績あげて、どこぞの家庭教師に推薦してもらわないといよいよ路上生活だ。何しろ家族に手紙を送ることすら出来ないから、安否も伝えれらないんだよ。父さんも母さんも心配してると思うから、できる限り早く職に就いて安否報告だけでも送りたい。
さあ、ばりばり勉強するぞ!
……あ、ごめん兄弟子、インク貰っていいですか?
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