第5話 モブ兄の学院時代

 王国の中等学院は、無試験で入学できる貴族階級であれば十四歳から、基礎教育で優秀と認められた平民や特権を使わず階級を問わない一般入試を受けるのであれば十二歳から可能になる。

 アロイス・モールデンは自らをモブと正しく認識していたのでごく普通に貴族特権で十四歳から入学したが、中には格段に優秀であると認められ、辺境伯か学者の推薦を受けた審査の上、特別入試にて年齢関係なく受験する平民もいる。

 文武どちらも学ぶ中等学院のこと、文に秀でているだけでも武に特化しただけでも駄目だから、もちろんそんな人間が毎年いるはずもない。ごく稀、おおよそ二十年か三十年の間に一人いるかいないか程度だ。それだけに特別入試で通学する学生がいると、それはそれはとても目立つ。

 平民であっても目立つのだから、それが王族ともなれば尚更だった。


 アロイスが在学している時には、第二王女であるシャルロット・イェル・マルガ・カディステリアがいた。御年わずか十歳だから、正真正銘の化物である。もはや名前の長さからして明らかにモブではない。


「おはようございます、王女殿下」

「殿下、今日もご機嫌麗しく」

「王女殿下、こちらのお席へどうぞ」

 当然のことながら周りは全員年上だが、王族たるシャルロットに対して年長者や同級生としての態度など取ろうはずがない。馬車を降りれば紋章を見た途端に道端で頭を下げている者、学舎に足を踏み入れれば廊下を開ける者、教室へ辿り着けば椅子を引いてくる者、身分の違いは学問の場であろうと有効なのである。


 現在、王家には五人の子女がいる。

 二十歳のテオフィル第一王子、シャルロットと入れ替わりで学院を卒業した第一王女のエレイン、来年中等学院に入学予定のフェリクス第二王子、シャルロットとは年子になるひとつ上のナタナエル第三王子だ。

 テオフィルは文武両道に秀で、立太子はまだだがほぼ確実であると目されている。姉のエレインは既に東のページャ王国への輿入れが決まっており、長男長女は成人としてまた王族として役割を果たしている。

 その下は優秀な兄姉のおかげで、王族としては比較的伸び伸びと自由にさせてもらっている。シャルロットが特別入試の受験を許可されたのもそのひとつだ。

 上のナタナエルも聡明ではあるが、特別入試は考えてもいない。中等学院は創設した五代前の王より独立性を担保されており、王族に対しても一切の忖度をせず結果が悪ければ貴族だろうと王族だろうと容赦なく落とすからだ。

 特別入試を受ける特権階級が存在しないのはそういった背景からで、平民以外の受験者はシャルロットが史上初となる。

 当然王家のみならず宮廷全体を巻き込んで反対されたが、彼女は決然としてこう言い放った。


「貴族から特別試験合格者を出せないことこそ、権威の失墜と言えるのではないでしょうか。その恥を私が雪ごうと言うのです、応援こそすれ反対するというのはどういったお心積もりなのですか?」


 聞いた国王は呵々大笑し即座に受験を許した。

 もちろん第二王女は問題なくどころか、歴代最高得点で特別試験に合格し、わずか十歳で中等学院への入学を果たした。


 繰り返して言うが十歳である。

 いくら王族と言え、十歳の少女が貴族のお歴々を前に言い放ち実現して見せるというのは化物としか言いようがない。国王は恐らくこれを予見していたのだろう、シャルロット王女合格のタイミングを逃さず、息を殺して宮廷に棲息するようになった貴族の権力を削ぎに削ぎ落とす改革を実行に移し始めた。そう考えれば英邁な国王と言えるのだが、それがカルディナ地方の諸侯たちを刺激してしまった。

 バランスの取れた才能を有するテオフィル第一王子に比べ、国王アーガスは内政に特化し外交バランスが優れているとは言えなかった。宮廷で彼を補佐する高位貴族たちも、無能とはいかなくとも凡庸であったことは確かだろう。


 王国の西方属領と領域を接するカルディナ地方は小国の王たる諸侯の集合体であり、「諸侯の王」を意味する侯王を推戴して緩やかな連合体を作っている。それまではただそれだけの国であったのだが、最西端にある猫額の地の領主が候王宮に入り候王の参謀となってから、在り方はそのままに実態を大きく変えた。

 ただの集団安全保障共同体であった諸侯を、経済的にも民族的にも一体化させる方向へと舵を切ったのである。

 それは大陸でも類を見ない改革であり、更に言えば連合体からの離反を出さずに進めているのだからこちらもまた傑物であると言わざるを得ない。

 だから彼は気づいた。自らの進む先に王国が目指す場所があると。一見まるで違うように見えて、到達地点は同じだ。故に障害となる。ならば目覚めないうちに潰しておかなければならない。

 後にアーガス王はシャルロットが十年早く生まれていれば、と嘆いたと言う。それはシャルロット第二王女の才能の凄みを示していた。




 さて、そのシャルロット王女であるが、中等学院は三年制であり特別な事情が無い限り同じ年に入学した学生は卒業まで同じ教室で学ぶことになる。彼女が入学した年は全部で二十八名、少なからず多からずと言ったごく平均的な人数の年であり、彼女を除いて全員が貴族入学の十四歳の少年少女であった。一般入試の平民は在学していない。

 自らの特別入試受験について宮廷であれだけの啖呵を切った彼女である、挑戦もせず原則通り入学しただけの年上たちに何ら希望も見出していなかったものの、そこが彼女の器の大きさであるのだが見下すこともしていなかった。人にはそれぞれの考えがあり、それはその人がそう信じている限り明確な過ちでない以上許容すべきである、と十歳で悟っていたのだ。

 要するに、凡庸な十四歳が相手できるような人物ではなかった。

 学院で学ぶ内容に刺激されることもあるが、驚愕するほどのものではなく淡々と一年を過ごした王女を驚かせたのは二年になった春のことだった。


 学院内に護衛は配置されているが、王女とは言え授業中を含む学校生活に護衛が張り付くことはない。一般的な貴族の子弟たちと同じように授業を受け、校門の馬回しで馬車に乗って王宮へ帰る。十歳にしては特殊だが、十四歳たちなら当たり前の生活の中でささやかな楽しみとしていたのは、学舎の脇にある植物実習エリアで小鳥に餌を与える昼下がりだった。

 低い生け垣に囲まれた、小部屋程度のエリアには畝ごとに様々な植物が植えられ、それらや生け垣目当てに小鳥たちが羽を休めに降りてくる。食堂で昼を終えた彼女は、天気の良い日は毎日パンくずや木の実を持参してここへやって来ていた。

 きっかけは食堂にいつまでもいると周囲の目が煩いことと、逆に学生たちも王族がいれば落ち着いて昼下がりを過ごせないだろうという心遣いからだった。だから食後のひとときを楽しめる場所を、と探してうろついていた時に見つけた場所だ。植物実習はカリキュラム上さほど多くはなく基本的には風や木の音以外にはとても静かな場所だったので、すぐに彼女のお気に入りとなった。

 冬の間は足が遠のいていたけれども、暖かくなってまたお気に入りの場所で時間を過ごせると少女らしい足取りで向かったその日は、レンガ造りの学舎を回ろうとした所で聞こえてきた声に思わず角を曲がろうとした足を止めた。


「やっぱり王女殿下は天使だよな」

 声の主は同じ学年の、確か侯爵家子息のものだ。

 同意を求めたということは少なくとももうひとりはいるのだろう。せっかくの静かな時間を、と悔しい気もしたが次に聞こえてきた声で踵を返すことを躊躇う。

「あー、まあ正統派王女様きゃらって感じはするな」

 答えたのは男爵家の子息だ。学年でもトップではないが文武共に上位には必ず入ってくる。

「正統派?きゃら?何だそりゃ」

「いや、うちの妹がよく読んでる物語でさ、愛読者たちはそういう風に登場人物を分類してるらしい」

「ふぅん。他にどんな分類があるんだ」

「軍師きゃらとか、残念系いけめんきゃらとか悪役令嬢きゃらとか言ってたかな……ちなみに僕はモブきゃららしい」

「モブ?」

「物語の進行に何ら影響を与えない、いてもいなくても関係ない人物」

「お、おう……お前、妹に結構な言われようなんだな」

「そう?さすがはシャルだと思ったけど。基本的には残念なくせに、家族のことくらいはちゃんと見えてるもんだなって。僕は家にも王国にも一切影響を与えないからね」

「シャル?あ、思い出した、お前んとこの妹って今年入学したシャルロット嬢か。王女殿下と同じ名前ってだけじゃなくて可愛さでもひけを取らないよな」

「確かに可愛いけど、基本アホだよ」

「……うん、お前も妹に対して口さがないのな。モールデン男爵家ってそんな家風なんか?」

「まあ色々とね……さ、いい加減薬草のチェックして戻ろう。グレアム先生に叱られそうだ」


 反対の角から戻るらしい、遠ざかる少年たちの声を耳にしながらシャルロット第二王女は入学してから初めてわくわくしていた。

 話していた二人の顔はぼんやりして明確な輪郭を伴わない。だからもちろん、顔を見て一目惚れしたというような王族らしからぬ胸の高鳴りということはない。

 が、ある意味王族らしからぬわくわく感かも知れない。

 文武どちらにも秀で品行も方正な彼女であったが、ひとつだけ不品行と言われそうな趣味があった。

 恋愛物語の読書である。

 市井に人気というそれの話を、侍女がたまたま口にしたのだ。王宮にいて市井を知る機会がないことを残念がる彼女に四方山話のひとつ程度で口にしただけだったのだが、何故かひどく興味を惹かれた。陛下に叱られますと渋る彼女を何とか説得してこっそり持ってきてもらったそれは、王女を虜にした。どうやって手に入れたかは絶対に言わない、と万が一の場合に備えて自分が指示したことを証明する署名入り誓約書まで渡し、何冊か手に入れてもらったがどれも心踊るものだった。

 特にお気に入りなのは町芝居にもなったと言う『クリステラ王国建国物語』である。

 大国の王子の婚約者だった小国の姫が同じ学院に通う大国の男爵令嬢に王子を奪われ、失意のうちに帰国する途上で亡国の王太子に出会い、なんやかんやあって再建した国の王妃になる。そんな恋愛としても建国記としてもしょうもない三流以下の話であったが、愛読者たちの間では「キャラ分類はこの物語より始まる」と言われるくらい、豊富で多様な登場人物が魅力的なシリーズだ。

 建国に至るまでの政治的な設定などもお粗末だったが、素人の自由な発想だからこその見どころもあった。長所も短所も絡み合った総合的な魅力といえば良いだろうか。ともかく、王女にとって物語は唯一の少女らしい隠れた趣味となったのだ。

 そんな趣味を共にできそうな少女の兄が同学年にいたとは。

 流石に下級生、まあ年齢としては年上だが、学年違いの令嬢と堂々と物語について語るわけにもいかない。この趣味は貴族にとっては下賤で子供じみたものとされているので。

 けれど、一年も机を並べておきながら名前も曖昧だったアロイスを、身近に感じる出来事として王女の心に残った。






「おはようございます、アロイスさん」

「へぁっ?!お、おはようございます、シャルロット王女殿下」

 一年同じ授業を受けたのだから挨拶くらいは交わしたことはあったと思うが、名前まで呼ばれたのは初めてではないだろうか。

 そう思ったアロイスは情けない声をあげたことを覆い隠すかのように丁寧に挨拶を返す。実際、学友たちの顔と名前を一致させていない王女は今まで誰かを名前で呼んだことはないのだから、アロイスの記憶は実に確かなものだった。

「あの、王女殿下?」

「シャルです」

「はい?」

「シャルです」

 なぜかそのまま隣の椅子に腰掛けて、にっこりと笑いながら同じ言葉を繰り返す。まったく表情が変わらないというのは、それがたとえ笑顔であっても怖いんだな、とアロイスはこの場とまったく関係のない感慨を抱いた。


「シャルと呼んでください」

「いえその、もちろん殿下のご尊名は存じておりますが……畏れ多く」

「身分の壁があることは理解しております。けれど、せっかく学院に入学できたのですから、王宮では得られない経験をしたいというのは我儘でしょうか」

「殿下をそう呼ばせて頂く許可をいただけたことは大変に有難く思いますが、実は私の妹の愛称がシャルでございまして」

「そうですか、残念です……では、シャルロットと。ご令妹は愛称なんですよね?フルネームではなく」

「はい……ええまぁ、そうですね」

「ではシャルロットでお願いしますね。それと、過度な敬語は控えていただけると嬉しいです」

 名前だけではないのか、と助けを求めて周囲の学友に視線で助けを求めるが、目が合った瞬間にふいっと逸らされてしまう。全員に。

 何と言う学友甲斐のない奴らなんだ、と嘆きつつ1ミリも表情を変えない王女を前に彼は諦めざるを得なかった。

「じゃあ遠慮なく、シャルロットと呼ばせてもらいますね」

「はい、嬉しいですアロイスさん。これで私たちは学友から友達に進みましたか?」

 いえ一歩も進んでいません。

 と、言えるはずもないし、かと言って全くその通りですなんて言えばさっきは助けてくれなかった癖にこちらをちらちら見る侯爵家令息など高位貴族の目も痛い。仕方なく彼は曖昧に笑うと引きかけた椅子をさり気なく元に戻して別の机に向かおうと、

「今日は戦時国際慣習の歴史でしたね。私ちょっと苦手ですので色々と教えてください」

 暗にそこになおれ、いや座れと示される。

 嘘つけ、誰より得意だろうがと言いたい言葉をぐっと飲み込んだアロイスは、若干蒼褪めながら諦観に覆われていた。






 と、そんな遣り取りがあってから半年も経てばそれなりに距離も縮まってくる。シャルロットはぐいぐいと距離を消去しながらも、その見えすぎる目で初めて仲良くなった年上の学友をしっかりと観察していた。

 まず思ったのは、自らモブと言う通り微妙に上位をキープしているのは、わざとではないかということ。だがこれは後に改める。自らそうしているのではなく、無意識にそうなっているのだ、と。

 彼に詳しい侍女から聞いたところによれば、アロイスは男爵家直系ではなく縁戚から引き取った養子であるらしい。かなり遠い血筋であった故、本人も両親も自分たちに貴族の血が流れていることを知らなかったらしく極貧生活を送っていたそうだが、かと言って血筋的に正しい者を貧しいからという理由で家系に入れてはならない法など存在しない。彼が男爵家の継嗣であることは正当であるのだ。

 それでも言葉の端々から感じられるのは、やはりどこか引いていること、それはきっと養父母に対する愛情よりも恩義の方が強いということもあるのだろうけれど、最大の要因は直系の男子がいるということだろう。

 後々は男爵家を弟に返す、そう彼が明言した訳ではないけれどもそういうつもりなのだろうとシャルロットは感じていた。

 その遠慮が無意識のうちに学院での成績も自らの生き方も、凡庸たれと強制しているのかも知れない。その枷を外して本気になった彼と色々競いたいものだとも思うが、無意識であるがために難しそうだ。

 もちろん武技や剣術は、いかなシャルロットとて特別入試はぎりぎり合格でしかなかった。これは年齢と体格を考えれば仕方ないし、それでも四歳上の少年たちに遅れをとることなく授業を受けているのだから賞賛に値するものではある。が、この道では確実に勝負にならないだろう。練習中に彼の目線だけを追ってみたのだが、彼は他の学生と異なりほぼ動かない。それなのに剣を触れさせることはない。適当に負けたりもしているが、相当に広い視野を認識できているはずだ。才能なのか努力なのかは知らないけれども、相応の実力者であることは確実だ。

 学問は言うまでもない。

 ある事柄を忘れていたとしても、そのことを指摘されればその先の事柄を思い出すのだから。自分はそれを忘れているべきだ、という歯止めがかかっているのだ。記憶の中には実は存在しているものだから、思い出した瞬間に理解を取り戻し推論にまで至ることが可能になっている。


 これは面白い人物に出会った、とシャルロットは心中でほくそ笑む。

 生き馬の目を抜くような王宮にあって、いかに蹴落とし出し抜くか、自らを誇示する大人に囲まれた彼女にとっては稀有な存在であり、王族としての彼女の頭脳は彼を卒業後どのように使うのが最も王家の利益になるかを考えるようになっていった。

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