マリッジ◎マリッジ

いすみ 静江

マリッジ◎マリッジ 1

「私、いつの間に夢の世界へダイブしたみたい」


 私は雲の上で頬杖をし、佐祐さすけさんは胡坐をかいていた。


「さすちゃんは、『マリッジ◎マリッジ』と言うご本をご存知?」

「さあ、本に対しては雑食な俺だけど、初耳だな。ちーさんは読了かい」


 彼は、PHSをいじっていた。

 どうやら、着メロを作成中らしい。


「切なくて苦みのある結婚指輪物語なのよ。私がしたためたって訳」


 本当にあった、愛が永遠を誓うもの。


「俺、恋愛ものも結構好きなんだ。でも、ちーさんが書いたものは絶対に読まないよ」


 私は、這って彼の傍へ寄る。


「さすちゃんと私のラブラブビームが走っちゃうのでも?」

「へえ。俺達の話なんだ」

「ちょっと先のことだけどね」

「余計、読むか! ちーネコ」


 頭をぐしゃぐしゃにされて、私のお鼻には生クリームみたいな雲が付いた。


 ◇◇◇


 ――私は、マリッジ◎マリッジの最初の頁を捲った。


 一九九六年十一月、私達は、入籍した。

 佐祐さんは二十三日だと言うが、私は二十四日だと信じている。


「鍵がかかって役場に入れないな。ちーさん」


 佐祐さんが、押しても引いても開かない入り口と苦闘していた。


「さすちゃん、婚姻届って毎日受付するよね?」

「そうだね、ちーさん」


 役場の奥から、人影があった。


「君達、今日は休庁日だから、入れないよ」


 詰所にいた男性が言い捨てて、戻ってしまった。

 暫く問答したが、埒が明かず、佐祐さんも電話ボックスに飛び入る。


「父さん、どうしようか。役場に入れないんだよ。うん、うん、分かった」


 交渉しようと人影を求めていたら、詰所の男性が様子を見に来たようだ。


「まだ帰ってなかったの? 君達」

「前もって、担当の方に話してあったのですが、いらっしゃいませんか」

「ああ、ゴルフに行っているらしいよ」


 暫く、休庁日の一点張りに対して、提出できる筈だと説得する。

 どうにか、担当者に連絡を取るとの話に落ち着いた。

 私達は、黒いソファーに腰掛けて、役場内で一時間程過ごした。

 その後、バタバタと奥から担当の方が見える。


「はあ、はあ……。参ったな」


 戸籍担当の男性は、窓口でおでこの汗をハンカチで押さえていた。


「事前にお話ししてあった夷隅いすみ佐祐です」

「それで、夷隅さん。今、手続きしたいのでしょう」

「お願いします」


 佐祐さんは、背筋も伸ばし、毅然としている。

 これが惚れ直しと呼ばれるものかも知れない。

 ベタ惚れが発酵しそうだ。

 婚姻届に捨印をすると、受理された。


「イヌコ静江しずえだね。ちーさん」

「どんな苗字よ!」

「いやあ、ネココだったかな?」


 彼がカラカラと笑った。

 私は、ポカポカと彼の広い背を叩く。

 本当は、夷隅いすみ静江となれた。


「うーん! やっだ」

「嫌なの?」

「う、嬉しいに決まってます」


 口元がゆるんでしまったのを後ろを向いて隠す。

 夫になった彼と苗字がお揃いになった。

 早く誰かに大声で伝えたい。

 汗ばんだ手を繋ぐと、二人溶け合うように感じる。

 実家の玄関先に着いた途端に、恥ずかしくなったから、振りほどいた。


「ただいま。父さん、母さん」

「大丈夫でしたよ」


 彼のご両親と私の両親が揃って、客間でにこにこしている。

 暫く、彼のご実家でお茶を飲んでいた。


白神山地しらかみさんちのホテルに行きますか」


 彼のお父さんの一声で、皆立ち上がる。

 昼には、六人で会食をした。


「静江さん、結婚式は挙げないと駄目だよ」


 矢文が来た。

 お義父さんの一言が刺さる。

 本来、結婚式も披露宴も行う予定で、私も文欽高島田ぶんきんたかしまだが結える位に髪を伸ばしていた程だ。

 体調を崩していたため、ドクターストップをやむなく承服した決意がゆらぐ。


「ちーさん、結婚式は諦めよう。結婚できただけで、十分じゃないか。世の中、大変な人一杯いるよ」


 でも腰まで伸ばした髪が残念そうに感じる。


「ううん……。ただの女の子としての夢よ」


 ◇◇◇


 ――私は、マリッジ◎マリッジの次の頁を捲った。


 翌、一九九七年一月に、ちょっといたずらをした。

 弘前大学大学院の新年明けてのゼミがあった。

 読解していた英文の右肩に、夷隅静江とさり気なく書いて、助教授でいらした先生と院生の皆に配布した。


「ご結婚、おめでとう!」

「ええ? どうして分かったの?」


 院生の古賀こがくんに初めてお祝いのお言葉をいただいた。


「資料の名前違うでしょう」

「ありゃ。バレましたか」


 隠さずともうきうきだった。


 ◇◇◇


 ――私は、マリッジ◎マリッジの次の頁を捲った。


 その年の四月、新居を大館市おおだてしに構えた。

 彼の仕事場があるご実家と私の通学先がある弘前市ひろさきしとの間に当たる。

 やっと衣食住を共にすることとなった。


「ちーさん、マリッジリングどうしようか?」

「私の薬指は空席ですよ」

「要するに受け入れ態勢が万全な訳ね」


 それから、好きな指輪を選んで来るように言われ、近くのスーパーにあるジュエリーショップで店員と相談していた。


「この角ばったのが、いいですね」

「では、お二人でいらしてください。サイズをお調べいたします」

 

 数日後、夫とジュエリーショップへ行く。


「ちーさん。本当に、これがいいんだね?」

「シンプルだけれども、そこがいいかなって」


 私はお値段も気にしていた。

 デザイン性も勿論考慮しているが。


「これにしような」

「うふふ……」


 サイズを測って、刻む言葉をお店の方と確認していた。


「さすちゃん、『SASUKE to SHIZUE 1996』と『SHIZUE to SASUKE 1996』だって。他に文字は入らないのですか?」

「この形が指輪のサイズでは丁度となりまして、『to』の文字は一つの斜字体でお入れさせていただきます」


 初めての結婚で、マリッジリングの不思議を味わった。

 出来上がりの連絡を待つとの話で、直ぐ近くのアパートまで帰った。


「楽しみだね」

「まあ、俺は、誤解されないようにしたいからな」


 そんな話をして、二人で一つのベッドに入った。


「おやちゅみまる」

「できるだけ、寝なさいね」


 暫くして、結婚指輪ができたようだ。

 彼が仕事から帰ってから、わくわくしてジュエリーショップへ行く。


「赤いことぶきの箱がございますが、こちらにいたしますか?」

「お願いします。ね、さすちゃん」


 綺麗に包んで貰った。


「ありがとうございました」

「いえ。こちらこそ、ありがとうございます」


 大切に大切にして持ち帰る。

 スーパーへ来たが、寄り道もしない。

 自宅で、お気に入り気分のお豆コーヒーを飲みながら、一休みする。


「ね、指輪どうする?」

「自分ではめた方がいいよ」

「がーん。つけてくれないの?」

「わかったよ。百万円ね」

「がーん」


 そう言いつつ、指に通してくれた。


「俺はもう外さないから、それでもいいならはめるが」

「あ。ちょっと待って、待って」


 夫の指輪を借りる。

 私の指輪と重ねてみると、二重丸ができた。


「見て、見て」


 間接照明に向かって翳してみる。

 きらきらとプラチナが光りを散りばめた。


「綺麗……」

「そうだな、丸が二つで二重丸だな」


 幸せ一杯の『◎』が、この胸にほわっと広がった。

 この日、この煌めきを忘れたくない。


 ◇◇◇

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