24.星の川と精霊と

 パンケーキを食べて、パンもしっかり食べたわたしはさすがにお腹が苦しくて、タルトやパイまで手を伸ばす事が出来なかった。

 それにしてもパンにお肉やお野菜を挟んだものが、あんなにも美味しいだなんて。


 焼いた鶏肉に絡むのは、リオのお手製である甘辛いソース。それが美味しいのは今までの食事でも充分知っていたはずなんだけど。

 そのソースがパンに染み込んで、少し固くなったパンでもしっとりと食べやすくなっていた。小さく刻んであったお肉は食べやすく、挟んであったレタスや千切りになったにんじんともよく合っている。彩りも綺麗だったから、余計に食欲をそそるようだった。


 わたしが食べていたパンを見て、ディエ様も体を起こして人の姿になった。

 コーヒーをお供にそのパンを食べたディエ様も「美味い」と頷いていたから、そうでしょうともと大きく頷いておいた。わたしが作ったものではないのだけれど。



「クラリスクラリス、そろそろ星の川が見られる」


 敷物から離れていたルカとリオが手招きをしてくれる。

 立ち上がってワンピースを軽く直したわたしは二人に駆け寄って、指さされるままに空を見上げた。


 きらきらと瞬く星達が、その輝きを潜めさせているようだった。

 でもそれは勘違いで──星々を圧倒するかのような光が空を駆ける。まるで川が流れるかのように雄大に。


「……綺麗」


 星で出来たその川は、月から始まって地平に向かって流れていく。

 その星光の強さに、周りの輝きも霞んで見えてしまっているのだろう。


 川の中にも大きな星が幾つも、まるで光飾りのようにちかちかと瞬いているのが分かるけれど、その川を形成しているのはそれよりも小さな無数の星。

 夜空の青と黒が混ざったような色の中に、ほんのりと紫がかって見えるのがまた美しい。


 初めて見る光景に、わたしは夢中で魅入っていた。

 心の内を全て曝け出されてしまうような、泣きたくなってしまうほどに美しい星の川に。



『人の子がいる』

『珍しい』


 どれだけ空を見上げていたのか。

 ぼんやりとしていたわたしの意識を引き戻したのは、幼い子どものような声だった。耳で聞くというよりかは、頭に響く不思議な声。


 何だろうと思って周囲を見回すと、いつの間にかわたしの隣に居た双子が、それぞれわたしの手を握っていた。


「ルカ? リオ?」


 二人の声ではなかったけれど、あれは一体?


 そう思った瞬間、わたしの目の前に丸い光が現れた。淡い黄色をしているその光はゆっくりと収束し──光の奥から現れたのは二枚の羽を背に持った……人。

 その姿はわたしの手の平ほどしか大きさがなく、二枚の羽はまるで黄色の色ガラスのように透き通っている。


 もうひとつ、光の玉が現れた。

 今度は薄い水色をしていたその光の奥から現れた人は、やっぱり二枚の羽を背に持っている。光と同じ水色の羽は向こうの泉が映るくらいに透けていた。


『人の子だ』

『双子の神使しんしだけじゃない』

『珍しい』


 二人は明るい声でお喋りをしている。

 この二人はもしかして──


「……精霊?」


 ぽつりと呟いたその言葉に反応したように、二人はにっこりと笑っていた。


『そうだよ、人の子』


 精霊! 初めて見た……!

 驚きに目を丸くしてしまうけれど、ここは精霊の森だから精霊が居るのも当然なのだろう。でもまさか、会う事が出来るだなんて。

 いや……わたしが仕えているのは神様で、それも珍しいことだとは思うのだけど。

 

神使しんしに連れられてここまで来たの?』

『僕達への供え物?』

『私達を信仰しているの?』


 賑やかな声に圧倒されてしまうけれど、わたしが応えるよりも早くに口を開いたのはリオだった。


「この子は主様ぬしさまへ仕えている」

「この子は供え物ではない」


 続くルカの声も少し険しい。

 二人の様子が珍しく感じて視線を向けるも、無表情のままに精霊を見つめるばかりだった。


『なーんだ』

『でも珍しい。人の子、遊ぼう!』


 精霊の二人はわたしの側まで近付くと、髪を解いたり頬を引っ張ったりしてくる。それが中々に痛いのだけど、拒否していいものなのかも分からない。

 精霊も尊いものだから、失礼な事をして怒りに触れたら困るもの。


「悪戯は良くない」

「痛いのはだめだ」


 わたしを引っ張る精霊を追い払ってくれたのはルカとリオだった。

 結んでいた三つ編みが解かれて、わたしの肩に髪が触れる。落ちてしまったダリアの髪飾りはルカが拾ってくれたけれど、今日は折角可愛くしてもらったのにと少し残念に思ってしまう。


 払われた精霊の二人はまた背中の羽を使ってわたしの前に飛んできた。

 可愛らしい二人は興味深そうにわたしの事を眺めている。その瞳も髪も、背中の羽とお揃いの色をしていた。


『ねぇ人の子、君ってすごく美味しそうだね』

「お、美味しそう?」


 精霊は人を食べる? いや、そんな事は聞いた事が無いけれど……食べるの?

 顔から血の気が引いていくのが分かって、思わず一歩後ずさった。


揶揄からかってはいけない」

「星の川を見ているのだから邪魔をしない」


 咎めるような双子の声も、精霊達は気にしない様子でくすくすと笑っている。

 相変わらずわたしの周りをふわふわと飛び回る精霊達の後には光の粉が舞っているようで、きらきらとした軌跡を描いていた。


『だってその子、まっすぐだから』

『僕達の友達に欲しいだけだよ』

『美味しそう』


 まっすぐとは。そしてやっぱり美味しそうなのか。


 言っている事が分からずにルカとリオへ目線を向けると、気にしなくてもいいとばかりに首を横に振っている。合わせたように同じ動きをするものだから、いつのまにか張り詰めていた気持ちがふっと緩んでくれたようだ。


『それにこの子の時計はまだ動いてるよ』

『止めないの?』

『止めなかったら──』

「うるせぇ」


 精霊達の声を遮ったのは、不機嫌そうなディエ様だった。いつの間に近付いていたのか、わたしの前まで歩いてから前足を揃えてちょこんと座った。

 尻尾を強く地面に叩きつける度に、ぱしんぱしんと音がしている。よく見ればその尻尾もいつもより膨らんで、何となく逆立っているように見えるのは気のせいだろうか。


『え、やっぱりディエテイルのものなの?』

『ディエテイルの匂いがすごいもんね』

「うるせぇって」


 匂い?

 よく分からなくて自分の姿を見下ろすけれど、双子と繋いでいた両手が揺らされて、わたしの意識はそちらへと向いてしまう。


「クラリスクラリス、気にしなくていい」

「クラリスクラリス、放っておいていい」


 わたしの両隣に立って手を握る双子の二人は、困ったように笑っている。

 つられるように笑みを零すけれど、精霊達とディエ様はまだ何やら攻防をしているようだった。


『でも意外だな。ディエテイルって独占──』

「少し黙るか、クソ精霊」


 言葉の途中だったけれど、ディエ様の機嫌が急降下したのが分かった。ディエ様を中心に冷たい風が巻き上がる。ぐるぐると渦を巻いたその風は精霊達を巻き込んで、大きく空へと飛ばしてしまった。


『わー!』

『もう一回! ディエテイル、もう一回!』

「遊んでるわけじゃねぇんだが」


 盛大な溜息をついたディエ様が肩越しに振り返り、顎をくいっと動かした。それが「今のうちに行け」と言っているようで、わたし達はそっとその場を離れたのだった。

 後ろでは精霊の楽しそうな笑い声が響いていた。



主様ぬしさまのお陰で助かった」

「クラリスも大変だっただろう。ごめんなさい」

「そんな謝られるような事じゃないわ。まさか精霊に会えるなんて思っていなかったし……」


 驚いたけれど、別に不快な気持ちにはなっていないのだ。

 何か失礼な事をしてしまうんじゃないかと、そういった心配はあったけれど。


「精霊とディエ様って仲が良いのね」

「よく喧嘩をしている」

「精霊は主様に遠慮がない」


 先程の様子からしても、それは分かる。怒っている素振りを見せるディエ様に物怖じもしないのだから、精霊も慣れているのだろう。


 わたし達三人は、泉から離れて森の中を歩いていた。

 途中で拾った木の棒の先に、ルカが光を灯してくれているから足元も明るく歩きやすい。松明よりも煌々としているにも関わらず、空に流れる星の川を邪魔していないのだから不思議なものだ。


 見上げた先の空には、相変わらず美しい光景が広がっている。

 

 先程の精霊達とのやり取りで、気になる事がないと言ったら嘘になる。

 わたしの……【時計が動いている】とは一体何だろう。


 きっと聞いたら、ルカもリオもディエ様も応えてくれるだろう。

 でも──


「……綺麗ね、星の川」

「そうだろう。クラリスに見せたいと思っていた」

「クラリスなら喜んでくれると思っていた」


 嬉しそうに笑う二人に、それを問う事は出来ないでいた。

 それを聞いたら、何かが変わってしまうような……そんな気がして。


 柔らかな草の上に腰を下ろしたわたし達は、並んで空を見上げていた。

 リオは流れる星を見つけるのが上手だけど、わたしとルカは全然見つける事が出来なくて。空を見上げて指をさしたり賑やかに過ごしている間に、さっきまでのもやもやはどこかに消えてしまっていた。


 柔らかな風が頬を撫でる。

 穏やかで、優しい夜に──大きな竜巻が浮かび上がった。

 泉の方向での騒ぎに三人で顔を見合わせて……声をあげて笑ってしまった。

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