16.晒した心

 ディエ様への気持ちを自覚してしまってからというもの、わたしは自分でも挙動不審だったと思う。


 ディエ様のお姿を見るだけで顔が赤くなるし、胸が苦しくてどきどきしてしまう。

 切なくて指先まで熱が灯って、今なら大きな炎だって生み出せるかもしれない。そんなことを思ってしまうくらい、体の中を熱い何かが駆け巡っているようで。


 夕飯の時も目を合わせることが出来ない。

 俯いて食べるけれど、ルカとリオからは笑み交じりの温かい視線が向けられているのがひしひしと伝わってくる。


 こんなにも熱々で美味しいグラタンなのに喉を通らない……なんて、そんなことはなかった。今日もご飯は美味しい。

 とろとろのホワイトソースに絡むマカロニも、味が濃いめのベーコンも、緑が鮮やかなブロッコリーも、びよんと長く伸びてしまうチーズも何もかも美味しかった。

 白パンはふわふわだし、白身魚のソテーもコショウの効いたソースの味が癖になる。

 胸が苦しいのと食事は関係がないみたいだった。


 それでもディエ様はわたしの様子に気付いているようで怪訝そうな視線を向けてくる。声を掛けられ返事をしたら、わたしの声は裏返ってしまうものだから、余計に怪しく見えるのだろう。


 助けを求めて双子に目を向けるも、二人はにこにこと可愛らしい笑みを浮かべるばかりだった。



 翌日の朝食もだめだった、ディエ様のお顔を見られない。

 食事を終えたあと、何か言いたげなディエ様が口を開こうとした。その瞬間、わたしは「失礼します!」と一礼して食堂から逃げ出した。自分でもこんなに素早く動けるなんて思わなかった。


 お傍に近寄ることも出来ないから、今日はお掃除を引き受けることにした。ディエ様のいない場所を探してお掃除すればいいんだもの。お姿が見えたら隠れたらいい。


 双子にはお洗濯に誘われたけれど、ずっと同じ場所に居たらディエ様から隠れられない。ごにょごにょとそんなことを口にしたら、二人は呆れたように笑って、わたしのしたいようにさせてくれたのである。


 足音のしない黒豹姿のディエ様に先に見つかって何度か声を掛けられたけれど、その度に誤魔化しては逃げ出している。不敬だって、失礼なことだって分かっているけれど……でも、息が出来ないくらいに胸が苦しいのだ。

 顔に集まった熱はそのままわたしのことを焼き切ってしまうかもしれない。それくらい、自分が自分じゃなくなる感覚が恐ろしかった。



 中庭に繋がる回廊の柱、最後の一本を雑巾で拭き終えたわたしは使っていた脚立から飛び降りた。あとは長い廊下にモップをかけて……と思ったところで、中庭から回廊に近付く黒豹のお姿が見えた。

 悠然と歩くその様子にしつこいくらいに鼓動が跳ねる。苦しい胸をお仕着せの上から押さえても楽になる事はなかった。

 恋がこんなにも恐ろしいものだったなんて。

 自分を制御できなくて、おかしなことばかりしてしまいそう。……いや、もうしているのか。


 わたしはモップを持ったまま、足音を忍ばせて回廊のすぐ隣にある図書室へと入った。ばくばくと心臓が喧しいのは、姿を隠そうとしているからかもしれない。見られていないといいのだけれど。

 図書室には毛足の短い絨毯が敷かれているから、足音が響くこともないだろう。まだ濡らしていなかったから、モップから水が滴ることもない。


 回廊に脚立と雑巾、それからバケツを置いてきてしまったから、ディエ様は変に思っているかもしれない。少し離れているだけと思ってくれるのを祈るばかりだ。


 本棚の側に膝をつき、モップを床に置く。本の隙間から図書室の扉を覗いて、ディエ様が回廊から離れるのを確認しようと思った──


「おい」

「ひゃ、っ……!」


 不意に、耳元に響く低音。

 その場で飛び上がりそうになったわたしは、あげそうになった悲鳴をなんとか押し殺した。心臓が早鐘を打ち過ぎて今にも壊れてしまいそう。胸の音が聞こえるくらいだもの、壊れるのはきっと近い。

 座り込んだ床に両手を付きながら振り返ると、そこに居たのは人の姿を取ったディエ様だった。しゃがみこんでわたしと目線を合わせている。


 少し厚めの唇には笑みが浮かんでいるものの、真っ直ぐにわたしを見つめる赤と黄の瞳には険がある。額に浮かぶ青筋からも、ディエ様が苛立っているのは伝わってくる。


「俺を避けるとはいい度胸だな?」

「い、いえ……避けているわけでは……」


 声が裏返ったのは、気まずさからだ。

 目を合わせることはやっぱり出来なくて、床に置いたままのモップに手を伸ばすとその手は簡単に床へと縫い付けられてしまう。逆手で顎を掴んだディエ様がわたしの顔を自分へと向けさせるものだから……とうとう、ディエ様と視線を重ねてしまった。

 至近距離で。


 不機嫌そうに寄せられても形の良い眉。間近で見る瞳の虹彩にはうっすらと銀色の光が見えた。怒らせているのはわたしなのに、それでもディエ様が美しくて……また顔に熱が集まったのが分かった。


 逃げようにも背中には本棚があたっている。


「避けていないなら何だ? 昨夜から随分と挙動がおかしいが」

「えぇと……」


 何と言えばいいのか。

 お姿を見るだけで動悸がすると? 目を合わせるだけで眩暈がすると? そのすべてが恋心からだと伝えるなんて、出来そうになかった。


「ディエ様は……心が読めるのでは?」

「別にいつも読むわけじゃねぇ。読んでほしいのか?」

「そ、そういうわけではありません!」


 眉を寄せたまま、ディエ様はわたしの言葉を待っている。

 それは分かっているのだけど……。


 顎に掛けられた手も、わたしの手を捕まえる手も、力強くてわたしではどうにも出来そうにない。

 それはつまり……わたしが心を晒さないと、解放してはもらえないということで。


「星祭りの夜も、帰ってからも何でもなかったよな。おかしくなったのは昨日の夕方あたりからか。何があった?」

「…………」


 何もなかったなんて言っても、ディエ様が信じないのは分かっている。


「これだけ逃げ隠れするくらいだ、何かあるんだろうが。理由もなく避けられてんなら、それはそれで傷付くぞ」

「も、申し訳──」

「謝んな。謝らなくていいから、理由を言え」


 だめだ、逃げられない。

 わたしのしている事はディエ様を傷付けるだけで、不敬だと咎められたって罰を与えられたっておかしくないこと。心を読んでしまってもいいのに、ディエ様はわたしの口から紡がれる言葉を待っている。


 だからわたしは覚悟を決めるしかなかった。


「……ディエ様をお慕いしていると、気付いてしまったのです」

「……は?」

「お姿を見たり、声を聴いたりするだけで、胸の奥が苦しくて……それで、離れておりました。失礼な態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした」


 ディエ様の手から力が抜けていく。

 顎を掴んでいた手も落ちて、解放されたわたしは──真っ直ぐにディエ様を見つめていた。その瞳に、どんな色が宿るのかを見なければならないと思ったから。

 嘲りでも拒絶でも受け止めなければならない。


 でも美しい瞳は一瞬だけ色を濃くしただけで、そこから感情を読み取ることはできなかった。ただ眉を下げているから、困らせてしまったのだけは分かる。

 ああ、胸が痛い。呼吸ってどうやってするんだっけ。


「……俺はやめとけ」


 そんな一言だけを呟いたディエ様は立ち上がると、わたしの頭をぽんと撫でた。それからカチューシャから垂れ下がる金の鎖を指先で揺らして、図書室を後にしてしまった。


 目に涙が浮かぶのはディエ様に触れられていた場所が熱いから。

 ディエ様の事が好きだと、思い知らされるから。


 ぽろぽろと溢れる涙が落ち着くまでもう少しだけ、ここに居よう。


 心を晒して、振られてしまった。

 それでもきっと、この気持ちを失くすことなんて出来ないんだろうな。胸の痛みがそれを訴えかけている。


 

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