15.チョコレートケーキを食べながら

「お祭りはどうだった?」

「お祭りは楽しめた?」


 よく似た二つの声がわたしに向かって掛けられる。

 小さく切り分けたケーキをフォークに載せて運ぼうとしていたわたしは、一瞬固まってしまいながらもすぐに大きく頷いた。


「とっても。送り出してくれた二人のおかげね」

「それなら良かった」

「主様とは進展した?」


 満足そうに笑うリオと、悪戯に笑うルカ。

 ケーキを食べたばかりのわたしはそれを喉に詰まらせてしまって、大きく噎せてしまったのだった。



 お祭りから戻ってすぐに、ルカとリオにお土産のリボンを渡した。

 二人ともとても喜んでくれて、緑と青の瞳が星を映したようにきらきらと輝くものだから、わたしも嬉しくなって笑みが零れたほどだった。


 二人はそれを気に入ってくれたらしく、いつもは背に流している三つ編みをくるくると巻いてシニヨンにしては、ピンクのリボンで飾ってくれた。それが二人の髪にも顔にもよく似合っているものだから、わたしの頬は緩むばかりだ。


 わたしもカチューシャにリボンのお花を縫い付けた。

 二人はそれについて何も言わなかったけれど、何だか温かい目で見られているようで気恥ずかしくなってしまうほどだった。


 そして──

 お仕事を済ませておやつの時間。穏やかな風が吹き抜ける東屋で、わたしたちはお茶にしていた。

 濃い目に淹れた紅茶と、【青星のチョコレートケーキ】をお供に、わたし達はお喋りに花を咲かせている。

 ディエ様はケーキをほんの少しだけ食べたあとは、豹の姿になってふらりと消えてしまった。ルカが言うにはお昼寝をするらしい。


「その様子だと進展したようだ」

「その様子だと仲が深まったようだ」

「そんな、何もないわよ。急におかしなことを言うものだから、ちょっとびっくりしてしまっただけで」


 そう言いながら手元のケーキに視線を落とす。

 厚みのあるケーキは艶やかなチョコレートで薄く固められていて、フォークを入れる度にぱきり、と心地のよい音を響かせる。ふんわりとしたスポンジにもチョコレートが混ぜ込まれているようだ。

 挟まれているクリームはベリーで、酸味が強い。それが甘いチョコレートとよく合っていて、とても美味しいケーキだった。


 見た目だって美しい。深いチョコレートに星の海を思わせるような青い粉がかけられている。砂糖で作られた大きな青い星も飾られて、星祭りの夜に相応しいケーキだと思った。


「二人を見ていれば分かる」

「私達にはお見通し」


 そう言われても本当に何も……なかっただろうか。

 守るように肩を抱かれて、腕を組ませて貰った。美味しいものを食べさせて貰って、お花のリボンも買って貰った。

 一緒に【青の花畑】を見て……最初から最後までわたしの事を気遣ってくれて。


 どきどきした。

 ふわふわと心が弾んだ。


 わたしを見つめる赤と黄の瞳が溺れたくなるほどに深くって──恋しいと思った。


 その時の気持ちを思い返してしまって、わたしの顔が一気に赤くなった。

 心臓はばくばくと騒がしいし、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。苦しいのに、嫌じゃない不思議な感覚。


「クラリスの顔が真っ赤」

「クラリスは主様が大好きなのだな」


 二人はにこにことしながらケーキを美味しそうに食べている。

 わたしもつられるようにケーキを口にしたけど、味がよく分からなくなってしまう。先程までは感動するくらいに美味しかったのに。


 フォークを置いてカップを手にした。揺れる水面にわたしの顔が映っているけれど、顔の色までは分からない。自分で見なくて済むことに少々ほっとしてしまった。


「大好き……それは、もちろん仕える方だしお慕いしているわ。でもわたし、あなた達の事も同じくらいに大好きなのよ」


 紅茶を一口飲む。

 いつものようにお砂糖を入れていないから、苦く感じてしまうけれど甘いケーキにはぴったりだった。


「クラリスが私達を好きなのは知っている」

「クラリスが私達を大事に思っているのは知っている」

「でも私達を見てもどきどきはしないだろう?」

「私達を見ても熱に浮かされたりはしないだろう?」


 二人はどうして、わたしがそんな感覚に陥っている事を知っているのだろう。

 

 わたしだって分かってはいるのだ。

 これが、ただの尊敬だとかそういうことではないのだろうと。


 でも……神様であるディエ様にそんな浅ましい気持ちを向けてしまっていいのか。

 こんな感情に振り回されるわたしは、この場所には相応しくないのではないだろうか。


「クラリスのその気持ちは美しい」

「クラリスの気持ちは祈りのように真っ直ぐだ」


 二人の声がひどく柔らかい。

 全てを受け入れるような優しさを湛えているようだった。


 花香を含んだ風が東屋を駆け抜ける。

 リボンの花から下がった金鎖が、風に揺れて微かな音を響かせた。


「……この気持ち、持っていてもいい?」

「もちろん」

「大事にしてほしい」


 自分よりも幼く見える二人に慰められるのも、何だか不思議な感じがしなくもないのだけど……今更かと気にしないことにした。


 思い浮かぶのは黒豹姿のディエ様が、機嫌よく尻尾を揺らしているところ。

 丸い耳がぴょこぴょこと動いているのを見るのが好きだ。背中の翼が風を起こすのが好きだ。


 人の形を取ったディエ様が、笑みを浮かべるのを見るだけで心が弾む。

 わたしを気遣ってくれる時の視線とか、わたしに特別をくれる眼差しとか、触れられた時の熱さに胸が苦しくなる。


 わたしを尊重してくれて、わたしが虐げられていたと知って怒ってくれて、紅茶を淹れると「美味い」と飲んでくれて──そんなの、惹かれない方が無理な話。


 わたしは──ディエ様に恋をしている。

 それを認めると頭にかかっていた靄が綺麗に晴れたのに、騒ぐ心は静まる気配もない。むしろ余計に胸が苦しい。

 これがきっと、切ないという気持ち。


「主様に気持ちを伝えたらいい」

「そ、そんなの無理よ! わたしはお傍に居られたら、それで……」

「主様は押しに弱い」

「ええ? 待って、無理無理。気持ちを自覚したばかりなのに、そんな……」


 二人は何を言っているのか。

 気持ちを自覚することは出来たけれど、それはわたしが抱えていくものだ。伝えられるわけもないし、いや……ちょっと待って。


 ディエ様はきっと心が読める。

 こんなにもわたしが惹かれているという事はすぐに知られてしまうのでは?

 もしかしたら、もう知られているのでは?


 頭が痛くなるようで、テーブルに背を向けるように椅子の背凭れに両手を掛けた。

 どうか気付かれていませんように。


 そう願う以外に、わたしに出来ることはなかった。


 わたしのことを笑うように耳の近くで金の鎖がしゃらりと揺れた。

 それが星祭りの夜を思い返させて、また顔が赤くなることを自覚するばかりだった。

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