13.冬の星祭り③

 ディエ様が連れて行って下さった串焼きの屋台は、おすすめするだけあって本当に美味しいものだった。

 わたしの手の平くらいもある長さの串に、大きなお肉が四つも刺さっていた。少し甘いタレが塗られたそれを齧ると肉汁が口いっぱいに広がって、零してしまわないよう苦心するほどだった。


 それからもディエ様のおすすめだという果物水を飲んだり、ふわふわとした砂糖菓子を食べたり、流行りだという棒状のチーズケーキを食べてみたりと、お腹がいっぱいになってしまうほどに、わたしはお祭りの屋台を楽しんでしまったのだ。


「もうお腹いっぱいです。すっかりご馳走になってしまって……」

「相変わらず食が細ぇ。お前はもっと食っていい」

「そうですか? お世話になってから大分ふくよかになったと思っているのですが」

「確かに来た当初よりはな。それでもまだ足りねぇだろ」

「……ディエ様は人の肉を糧にしないとお聞きしたのですが、わたしのことを食べます?」

「食わねぇよバカ」

「いえ、わたしは召し上がっていただいてもいいんですけれど」


 賑わう道を歩きながら、声を潜めつつそんな会話を交わす。周囲に人が留まっているわけでもないし、普通に声量なら誰かの耳に届く事もないのだろうけれど。


 ディエ様はわたしへと呆れたような視線を向けて、大袈裟な程の溜息をついた。じっとりとした視線はまるで『バカじゃねぇの』とでも言っているようだった。


 直接悪態をつかれたわけではないけれど、何を言おうとしているのかは伝わってくる。反論をしようと口を開いたその時、ディエ様はわたしの肩を抱いてぐいっと自らの方へ引き寄せた。


 触れられる肩が熱い。

 近付いた距離だけ鼓動が早鐘を打つ。鏡を見なくても、自分の顔がどんな色をしているのかなんて分かってしまう。


 どうしてそんなことを、と思ったのも一瞬だった。

 わあっと一際賑やかな笑い声をあげた子ども達が、わたしのすぐ側を駆け抜けていったからだった。

 お祭りの雰囲気に浮かれてしまっている彼らは、周囲の人達にぶつかりながらも走っている。

 彼らとぶつからないようにと、ディエ様は助けて下さったのか。


「あの、ありがとうございます」

「ちゃんと前を見て歩けよ。あの勢いでぶつかられたら、お前の体なんて簡単に吹っ飛ぶぞ」

「さすがにそれは……」


 ない、とも言いきれなくて。誤魔化すように笑って見せると、ディエ様も口端に笑みを浮かべた。

 ゆっくりと肩に触れていた手が離れていく。その場所が一気に冷えていくような感覚がするのはどうしてだろう。触れていてくれたら、きっとまだ温かかった──なんて、そんなことを考えてしまって。

 また顔が熱くなる。燃えているんじゃないかと錯覚するほどに、熱く。


「腕でも掴んどけ。ふらふらされると気になって仕方ない」

「……ありがとうございます」


 差し出された腕に、そっと手を掛ける。

 ディエ様も厚地のコートを着ているにも関わらず、逞しい腕の感覚が伝わってくるようだった。胸が騒いで、落ち着かない。でも……何だろう、この気持ちは。

 嬉しい。


「さて、どこに行くか。お前、祭りはいつもどう過ごしていた? 母君が存命だった時な」


 わたしはどきどきしてしまって落ち着かないのに、ディエ様はいつもと同じ。だからきっとこうやって腕を貸して下さることに、意味はないのだ。

 それならば、このふわふわする不思議な気持ちは伝えない方がいいだろう。

 そう思ったわたしも、いつもと同じ風を装った。


「神殿でのお勤めをして、いつもとあまり変わらなかったのですが……お祭りの日は母がご馳走を用意してくれました。ささやかなものでしたが、いつもよりも食卓が豪華だったのを思い出します。その日は母も早くに仕事を上がらせて貰えたので、二人でのんびりと過ごすことが出来たのです」

「そうか。特別な日だったんだな」

「はい。お祭りの日が近付くと、なんだかそわそわしてしまったものです」


 思い返すと頬が綻ぶ。

 母がいなくて寂しい気持ちはもちろんある。でもそれと同じくらいに、母を思い返すと幸せな気持ちで溢れるのだ。

 わたしは母に愛されていたのだと、分かっているから。


「そんな特別な日に出来るかは分からんが、お前の好きなところに連れていくくらいは出来る。どこに行きたい?」


 優しい声に呼吸が止まった。

 意識して細く息を逃がすと、寒さで白く昇っては消えていく。


 こちらを見つめる赤と黄の瞳も優しくて、胸の奥がぎゅっと苦しい。


「えぇと……そう、ですね。ではルカとリオにお土産を……ねだってもいいですか」


 お祭りに来て改めて気付いたのが、わたしはお金を持っていないということ。

 串焼きも何もかも、ディエ様にご馳走になってしまっている。ディエ様は俯きそうになるわたしの頬を軽く摘んでは「給金代わりだから遠慮すんな」なんて言ってくれたけれど、それでもやっぱり申し訳ない。


 でも、こんなに可愛い姿で送り出してくれたルカとリオに、何かを買っていきたいと思った。

 その分のお仕事はもちろん、神域に帰ってから励むつもりでいるのだけれど。


「もちろん。俺が見繕うと食い物ばかりになるからな。二人が喜びそうなものを選んでくれるか」

「はい、喜んで!」


 二人は何が好きだろうか。

 食べ物は……【青星のチョコレートケーキ】を頼まれているから、それ以外がいいだろう。

 

 何を贈れば喜んでもらえるのか、それを考えるのはとても楽しい。

 通りに並ぶたくさんの露店を眺めながら、双子の好きなものをディエ様に聞いたりして。

 話に夢中になるとディエ様がすっと腕を引く。腕に手を掛けていたわたしは引かれるままにディエ様の方に近付く形になるけれど、わたしが人とぶつかりそうになるのを避けてくれているのだと気付いた。


 さりげない優しさに、また息が出来なくなる。

 それを隠しながら、わたしは露店へと意識を向けていた。



「ディエ様、このお店を見てもいいですか?」


 ディエ様の腕を軽く揺らして問いかけると、ディエ様は足を止めてくれる。

 わたしが示したのは、装飾品を扱っている露店だった。ネックレスにイヤリング、それから髪飾り。

 光を浴びて煌めくそれらの中でわたしの目を引いたのはピンク色のリボンだった。

 繻子織サテンの光沢が美しい、柔らかなピンク色のリボン。細過ぎず太過ぎず、髪を結ぶのにちょうどいいようなものだった。


 滑らかなそのリボンの両端には可愛らしい白のレースが縫い付けられている。


「このリボンが可愛いと思うのですが……」

「いいんじゃないか。他にも色々あるが、これがいいのか?」


 ディエ様は頷きながらも、小さくも宝石の飾られたイヤリングなどを目で示している。

 それは確かに目を引くし、とても美しい。可愛らしい二人にはきっとどれも似合うだろう。でも──


「装飾品はお仕事をしている時に、邪魔になってしまうかもしれないので。リボンなら髪を結ぶのに使えますから……どうでしょうか」

「なるほどな。この色ならあの二人の髪にも似合うだろう」


 同意して貰えてほっと安堵の息をつく。

 ディエ様は店主にリボンを包むよう言ってから、わたしへと顔を向けた。


「それで、お前はどれが欲しい?」

「わ、わたしですか?」

「何でそんなに驚くんだ」

「わたしはもう、充分過ぎる程にお祭りを楽しませて貰っていますので……」


 こんなに着飾って貰って、ディエ様と通りを歩いて。たくさん食べさせて貰って、これ以上ないほどに満喫している。

 それにこれはお留守番をしてくれている二人へのお土産なのだ。


「あの二人に買ってお前に買わないなんて、俺があいつらに叱られる」

「そんなこと……」


 ないとは言い切れない。


「ですが本当に、わたしは大丈夫です」

「リボンは……お前はいつも髪を結んでいないしな」


 わたしの言葉を聞いているのかいないのか、ディエ様はリボンとわたしへ交互に目をやると悩むように低く唸る。

 今日は髪を結んで貰っているけれど、確かにいつもは髪を下ろしている。ディエ様はそれを知っていて下さったのか。


「本当にこれ以上はもう結構ですので……」

「これは? いつも髪につけてるあれに添えられるだろ」


 ディエ様が手に取ったのは細いリボンで作られた花だった。花からは金の鎖が二本垂れて揺れている。ルカとリオに選んだのと同じ淡いピンク色の花はとても可愛らしいものだった。


「あれってカチューシャですか?」

「それ。よく分からんが、これもそのカチューシャにつけることは?」


 カチューシャに縫い付ければいいのだから、それは出来る。でもいいのだろうか。

 思い悩むわたしをよそに、ディエ様はそのお花も包むように店主へ渡してしまう。手早く会計を済ませたディエ様の手には、それらが入った紙袋が載せられていた。


「ディエ様、あの……」

「お祭りってのは特別な日なんだろ」


 悪戯に笑うディエ様が紙袋を軽く揺らすと、一瞬でそれは消えてしまった。

 どこにやったのか聞きたいけれど、それよりも──


「ありがとうございます」

「おう」


 ディエ様の気持ちが嬉しくて、感謝の気持ちを口にした。

 

 この日のことを忘れることはないだろう。

 嬉しくて、胸が苦しくて──幸せな、特別な日。


 気持ちのままにディエ様の腕をぎゅっと掴んでしまったけれど、ディエ様が腕を解くことはなかった。それがまた嬉しくて、胸が弾んだ。

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