第9話 亜空 3

 今日は奏にこの世界の案内をしてもらう予定だが、その前にご飯だ。


 庵の側には沢がある。少し上ると、祈の肩くらいの高さの段差があり、沢のすぐ隣に水樋が作られていた。沢の水を引いて小石の積まれた濾過槽を通り、木製の四角く細長い菅から流し放しになっている。

 祈が手を洗っていると、桃を手にした奏がきた。


「お水、飲める?」

 と訊いたら、奏は少し迷ってから肯定した。口にすると、冷たくすーっと沁み込んできて美味しい水だった。

 奏は祈を持ち上げて段差に座らせて、祈に桃を渡した。


「まるごとだー。ありがとう」

 桃はよく熟れていて、手で皮を剥ける。


「奏と理はいいの?」

「うん、あまり食欲が湧かない」

 奏もいらないようだ。


「大丈夫?」

「別にだるいとかじゃないよ。気分じゃないだけ」

「そっか。じゃあ、いただきますっ。……――、美味しいー」

 奏は祈が食べる様子を見守っている。かすかに吹く風が、奏の作面をめくった。理のいる角度からは、微笑んだ口元が見えた。


「自生しているの? 桃」

 話しかけると、ぴたりと作面の揺れが止まる。会話しようとすると呪いが機能するようだ。




 祈が食べ終わり、案内が始まった。

 沢を今度は下って歩く。山際までくると、そこには野菜や果樹が生った畑があった。


「桃っ、いっぱいあるっ」

「すごい量だな。……ん? 季節はどうなっているんだ」

 桃が生っている木。その隣の木が桃の花を咲かせていた。もっと旬の短い作物もあって、全て今が収穫時に見えた。


「君の力?」

 奏は否定した。どうやら世界の力らしい。


「そうだっ。奏、僕も植えていい? 花育てたい!」

 祈はポケットから、晶と分けた種の入った封筒を取り出した。奏は頷いて、辺りをぐるっと指差した。


「分かったっ。好きなところに植える! どこにしようかなあ」

 祈も簡単なことなら奏の伝えたいことが分かるようになった。


「日当たりが良いところがいいところ……、あの岩の真下にしようかな」

「水場からあまり離れない方がいいぞ。それにあの岩からの光はそれほど影響の割合が高くないはずだ。光が距離の割には平行に走っているから、他に光源がある」

「……? なるほど」

 よく分からないけど、慎重に選ばなければ。


「ところで、こんなにたくさんあると世話大変じゃないかい」

「…………」

 奏は『後』と紙人形に書いた。


「後で話すってことかな。夜? 数日後? 一月後?」

 奏は一月後と返事した。理は首を傾げつつ、とりあえず了承した。



 小高い山の間を縫った道を抜けると、今度は綿畑があった。


「ほわほわが……、ほわほわが生えてるよ!」

「畑に生っているのは初めて見るけど、違和感すごい……」

「これっ、この世界の魔法!?」

「いや、元の世界でも同じ」

「! 世界ってすごいねっ」

 奏は持ってきた籠を置いて、収穫を始めた。

 祈は興味津々で綿をつまむ。引っ張るとぽろっと取れて、驚いて奏を見る。奏は頷いてくれた。どうやらこうして収穫するようだ。


「これどうするの?」

『夜』

「夜……、あっ、布団?」

 奏は頷く。それと祈の服を軽く引っ張った。どうやらも祈の着替えも作ってくれるらしい。


「うれしい。じゃあ頑張って集めるね」

 籠はすぐにいっぱいになった。綿の量は足りなそうだが、また今度ということで、庵に向かって戻った。




 再び斜面の間の細い道を通る。


「あれ? 石移動してる」

 先程はこの谷からは見えなかった空に浮かぶ光る石が、今は真上に見えている。


「……天体みたいな動きをするな。だから朝と夜があるのか」

「本当に太陽みたいだね」


 そう言って空を見上げていると、急に影が遮った。

 雷を帯びた、巨大な獣。


「――シーカ!」

 先を歩いて背中を見せていた奏に襲いかかった。

 ――だが、奏はひらりと飛びあがり、シーカの腕は空を切る。奏は山肌のでっぱりに軽やかに着地する。そこにシーカが電撃を浴びせるが、奏はいつのまにか自身の周りに結界を張っていたらしく、彼の紙人形を焼くにとどまった。


「あの紙人形は、全部焼き切ったのか?」

「わっ」

 シーカが山肌を破壊し、その破片が降ってきた。それと同時に、奏の方から風が巻き起こり、祈達に当たりそうだった破片を吹き飛ばした。理と祈は慌てて距離を取る。


「――奏……」

 昨夜は奏がシーカの一枚上手だったが、今は祈と理を守りながら戦っている……。祈はあの時の晶を思い出した。

 しかし、シーカは二人には目もくれず、奏だけを攻撃している。巻き込まれない距離さえ取れば大丈夫のようだ。


「なんというか、本能的な妖だよね。昨日、祈を狙っていたこと忘れたのかな」

「……そっか。いざとなったら歌って、奏から注意を逸らすことも……」

「や、やめて。絶対やる前に相談して」

 祈は理を胡乱げに見る。自分の判断力が高いとは思っていないが、理も信用できない。


 二人は奏とシーカの戦いを見守る。

 奏は紙人形を宙に舞わせながら、自身も身軽に山肌を跳ねている。


「奏すごい。ぴょんぴょんしてるっ」

 まるで忍者みたいだ。


「人間がこんなに力を発揮できるものなのか……?」

 理は研究対象への興味が恐怖を上回っている。


 ――ッ……。

 シーカは奏と距離を取り、広範囲の雷撃でこちらを怯ませた。奏は結界を厚く張り身構えた。

 だが、雷撃が薄くなった時、シーカの姿はそこになかった。


「逃げた……?」

 どうやら分が悪いと思って去っていったようだ。奏はしばらく紙人形を飛ばして警戒していたが、ふっと肩の力を抜いた。

 そして、もう大丈夫、というように祈と理に手招きした。二人はダッシュして近づく。


「奏! 僕に修行つけて!」

「ねえっ、その術どうやってるの!?」

 二人の勢いに、奏は少し気圧された。






 三か月が過ぎた。


 祈は持ってきたござを、花畑の側に敷いた。祈が植えた花の種は、みごとに咲き乱れている。


「奏、どうぞっ」

 後からきた奏は、その上に琴を置いた。今日は琴の演奏会だ。毎日体術の修行を頑張り、着物の妖の力を引き出そうと研究されてへとへとになった祈に、奏がしてほしいことを訊いてきたので頼んだのだ。理は庵の裏手の作業場に籠り、色々と道具を作ろうとしているので不参加だ。


「ずっと満開なの、綺麗だねー」

 時間が経つとおのずと分かった。この世界では、植物は世話をしなくても育ち、程良いところで成長が止まる。焦って収穫しなくても、いつまでも枯れない。畑の作物は、辺りに自生しているものを集めたそうだ。動物の気配はないが、たまに卵や羽だけが落ちている。


「枯れないの嬉しいな。これならずっと、ずっと、晶と分けた花と……」

 祈の声から元気がなくなると、琴の音が鳴った。奏が演奏を始めたのだ。祈は側に座る。優しい音が、祈の耳を楽しませた。


 演奏の合間に、琴の弾き方も少し習った。祈は向こうの世界の曲を弾いてみる。


「ん……、こうだっ」

 ワンフレーズ再現できた。


「あのね、歌詞があるんだよ」

 祈は歌ってみせようとして、はっと口を両手で抑える。


「歌っちゃいけないんだった。シーカが来ちゃう」

 あれから奏は何度も襲われたが、その度に危うげなく撃退している。それでも心配だし、可憐な花畑に来られるとまずい。


 奏はじっと祈を観察した。

 そして、手元から白い紙を生成した。いつもの紙人形ではなく、長い紐状で、雷模様のようにギザギザだ。神社に掛かっている紙垂しでのように見えた。


「ん……?」

 紙紐は祈の首に巻きついた。触れるくらいの力で苦しくはないが、緊張してしまう。紙はすぐにふっと消えた。祈は不思議そうに首を触わる。


『歌』

 と奏が書いた。


「歌うの? でも……」

 奏は琴で、祈が教えた曲を弾く。同じ部分を繰り返し。祈が歌うのを待っているようだ。


「分かった」

 祈は奏を信じて、歌いだした。


 ――♪――♪――……


 祈の首元が、先程のギザギザの形でほのかに光る。

 祈は続けて先まで歌う。奏は上手く合わせて伴奏した。歌声と琴の音が溶け合っていく。


 最後まで歌ってもシーカは現れなかった。


 奏は祈の歌をとても喜んでくれた。紙人形を無意味に出して踊らせている。

 祈は嬉しくはあるが、シーカが来ないか警戒していて、手放しで喜べない。しかし、しばらく経ってもシーカは一向に現れない。


「もしかして、さっきの首輪が歌の力を抑えているの?」

 奏が頷く。


「! じゃあっ、いっぱい歌ってもいい?」

『喜』

 祈は嬉しそうな声をあげて飛び跳ねた。


「奏っ、歌も得意? ……じゃあ教えて! 上手くなって晶を見返すんだっ」

 また一つ、修行したいことが増えた。奏は快く受け入れる。


「えへへ。この世界で、奏に会えてよかったっ」

 そう言うと、奏は動きをぴたっと止めて、それから、ぎゅっと抱きついてきた。


「わあっ」

 奏にしては遠慮ない力に驚く。


「奏……?」

 奏は肩を震わせて、泣いているようだった。



 この三か月の間に、奏の事情を訊いた。

 戦国時代の生まれの人で、徳川幕府が開いて、大阪城が陥落したことは知っていた。奏がここに飛ばされて四百年ほど経ち、その間ずっと一人だったそうだ。



「この世界から出るときは、一緒に行こうね。奏」

 花畑の中で、指切りした。

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