第3話 魔妖

「っ、どこから……、抜け出したんだよっ」

 理は祈の失踪に気づいてから今まで探していたのだろう。息を切らせている。


「誰っ」

 晶が間に割って入った。


「ミサキの……」

 祈の答えを予想していたのか、晶はぐっと身構える。


「祈、背中乗って!」

「うん!」

 祈が素早くおぶさると、晶は走り出した。リュックが胸に当たって掴まりにくいが、天地橋での激しい動きよりはマシだ。


「ま、待てっ! うぅ……」

 理が追ってくるが足取りはふらふらで、晶はぐんぐん引き離す。

 理は立ち止まって携帯を出した。それに気づいた晶は、落ちていた枝を投げて携帯を撃ち落とす。


「わっ!」

 理が携帯を見失ってきょろきょろと探しているうちに、晶は舞い戻って携帯を拾う。


「くっ、この」

「誘拐だあぁー!!」

 晶はそう叫び、理の横を突っ切っていった。

 理は遠くにちらほらいる人影を気にした。一人が携帯を操作するようなそぶりを見せた。


「エイ達に回線遮断を……、ッ……だめだ!」

 理の連絡手段は晶の手の中だ。

 晶は岸に沿った園路を走りながら、携帯を海に投げ捨てた。

 だが――、


「!」

 水柱がそれを跳ね返した。海の水が、竜巻かのように高速でうねっている。


「あいつが何か――?」

 晶は驚いて振り返るが、理も驚いた様子だった。


「祈、まさか歌ったのかい!?」

「……歌?」

「妖が集まる……、襲ってくるぞ!」

「え――」

 水柱が放物線を描き、晶と祈を目掛けて降ってくる。晶は素早く躱す。地面に当たった水はザバッと砕けて海へ帰っていく。


「妖……、祈の歌で集まる……? お前ッ、祈に何をした!」

 晶が声を荒げた。


「知らなくていいよ。さっさとその子をこっちに渡すんだ!」

「絶対に渡さない!」

 また新たに水柱が立って、今度は一度地面すれすれに落ちてから、一直線に晶の方へ向かってきた。晶はそれも躱したが、水はすぐに方向を変えて第二撃に移った。


「!」

 後ろからの攻撃を晶はギリギリで躱した。


「祈! 当たってない!?」

「だ、大丈夫」

 二人の体重では、当たれば水圧に跳ね飛ばされてしまうだろう。それに水の中にまだ何かあるかもしれない。妖の実体がこちらを絡め取ろうと潜んでいる可能性はある。


「水辺から離れれば追ってこられないかもっ」

 晶は園路を外れて、藪を飛び越えた。


「待て!」

 理が追ってこようとするが、藪一つも飛び越えられず迂回している。


「あいつも撒く!」

 石畳の階段を登り、理の死角に入った瞬間、晶は近くの石垣を滑りおりた。


「静かに」

 晶に言われて祈が静かにしていると、石垣の上から大人の足音が聞こえて去っていった。

 晶はその間に、自分の携帯で電話を掛けた。


「剣おじさん、助けて! 水の妖に襲われているんだ!」

『――――。すぐに向かう。さっきの子と二人か?』

「そう! あと人間の敵! 二十代の男っ。白衣っ。祈を天地橋に監禁していた悪い奴!」

『――……とりあえず向かう。晶は安全な場所がありそうなら移動しなさい。位置情報を確認するから、携帯は手放さないように』

「はい!」


 通話を終えて、晶は近くに理がいないのを確認した。


「大丈夫。駅に行こう」

「……晶、あれって妖怪なの? 水以外に何か見えた?」

「俺には見えない。けど水があんなに自在に動くっておかしいんだ。そういうのは剣おじさんが詳しい」

 園内の大きな通りに出る。まっすぐいけば、先程通った大きな橋があり、そのさらに向こうが駅だ。




 同じ頃、理も物陰に隠れていた。


「行ったか……?」

 晶が叫んだため、理は通行人に追いかけられていた。遠巻きに見張っているだけだったので理でも撒けたが、もうへとへとだった。

 園内の川岸。園路よりも低くなり、植木もあって隠れやすい。斜め頭上には、大きな橋が架かっていた。


「早く見つけないと逃げられる。警察も来るだろうし。先に社長室から応援を呼ぶか」

 川の対岸には駐車場がある。車に戻れば、他の通信機が――。


「…………?」

 立ち上がった理は、川にモーターボートが浮いていることに気づいた。


「いつのまに……」

 こんなに近くにあったのだろうか。

 通路がしっかりあるタイプで、川幅ぎりぎりだ。進入していいサイズにはみえない。さらに、船は一台ではなく、五台ほど後ろについてきている。


「動いている……」

 船は誰も載っていないのに、静かに進んでいた。


 頭上から、子供の声がした。

「駅が見えてきた」

「もう少しだね」

 祈と晶の――。




「――――!」

 衝撃音が響き渡る。

 渡っていた橋が、急に砕けて突き上げてきた。


「わあっ!」

「祈!」

 二人は空高く放り出されて、祈は晶から手を放してしまい、瓦礫へと落ちていく。晶は空中で瓦礫を蹴飛ばしながら、祈の手を掴み抱き寄せた。ファスナーを閉めていなかったポケットから携帯が落ちていくが、構っていられない。足元の崩れゆく瓦礫に飛び移っていき、駅側へと着地した。


「な、何だったの?」

 祈も晶に支えられて立ち上がり、急襲してきたものを確認する。


「船……?」

 モーターボートが三台連なって、瓦礫の中から蛇のように立ち上がっていた。ちらっと川を見ると、船はもっとあるようだ。


「水がまとわりついている。さっきの妖……?」

「水から離れよう!」

 祈と晶が駅の方へ振り返ると、


「――っ!?」

 その目の前をミニバン車が遮るように停車した。中から理が出てくる。


「あんな重量を操れるなんて、大物じゃないか!」

 理は嬉しそうに言って、後部ハッチを開いた。中は後部座席が横に避けてあり、そのスペースいっぱいに何かの機械が置いてある。雑然と接続された、鈍色の装置。


「牢を持ってきてよかった」

 理が操作すると、装置のランプが光り出した。


「……――ッ?」

 祈は急にバランスを崩して、その場に倒れ込んだ。


「どうしたのっ、――!? 重い……?」

 晶がとっさに支えて打ち身は避けたが、祈の体が重くて持ち上げられない。先程まで背負って走っていたのに、今は立ち上がらせることも困難だ。


『平坂ッ。止めろ!』

 どこからか、男の声が響いた。


「えっ……?」

 水の妖の操っていた船がバランスを崩し、車と理の上に倒れこんできた。


「――……!」

 押し潰される前に、車がバックする。ちょうど後部にいた理は車内に放り込まれた。船の落下寸前で躱す。

 運転席は無人だったが、よく見ると、ダッシュボードの接続ポートに投影機が繋がれていて、エイとビビが映っていた。


『理っ。牢が閉じ込めるのは妖だけだよ。操っている船はそのままぶつかっちゃう。分離しないとっ』

「えっ、どうやって!?」

『今の衝撃で船が崩れたが……』

 先頭の船はボロボロになって、ねじ切れるように前方部分が落ちていたが、それでも水がまとわりつくと、また蛇の形を成した。


「わっ、わっ」

 理は慌てて牢の出力を下げる。


『崩してもあまり意味ないみたい。重量さえあれば何でもよさそう』

 水の妖は姿勢を低く保ち、様子をうかがうように距離を取った。


『平坂、今回は諦めて、祈だけ回収しろ』

「せっかく目の前に大妖がいるのに……。それに祈の回収って、私一人じゃ……、ん?」

 理は、二人がうずくまっているのに気づいた。


「重…い……」

「祈っ……」

 苦しそうな祈を、晶は心配する。


『どういうことだ?』

「え、え……、前使った時は祈に影響はなかったよね?」

 二人は少しずつ装置の方へ引っ張られている。水の妖に問題ない力でも、二人の体重では抗えない力のようだ。


『理っ。こんな時のためのレーダーだよ』

「そうだった。起動ッ」

 理が装置の先程とは別のスイッチを切り替えると、点灯しているランプが増えた。


 ……照射した光が、妖に反応して像を結ぶ。

 操られた船を巻き上げている水柱。

 水の中に、断続的に鱗のようなものが見えては消える。水色を基調に、虹のように複雑に発光している。


 装置から警告音が鳴った。理は点灯したランプの種類で警告内容を確認する。


「近くに妖力Aクラスが一体、Bクラスが一体……。Aが水の妖だろうね」


 そして――、

 祈の周りを、赤い光が包んでいた。


『着物……?』

 祈が、平安絵巻の女性のような服――小袿こうちぎを羽織っているように見える。装置が見せる色は一色で、ほんのりと濃淡があるシルエットしか見えないが、理達は目をこらす。


「違う。女の妖が重なっているんだ。祈に取り憑いている……?」


「何……っ?」

 晶は祈の側に現れた妖に驚いて、必死に振り払う。だが妖に触れることはできず、映像を乱すだけだ。祈は牢に引き寄せられる重さに耐えるのが精一杯で、妖の方を見られない。

 引きずられた祈と晶は、ついに車に触れる位置まできてしまう。晶は瓦礫から落ちた鉄筋を、


「たあっ!」

 と装置のケーブルに叩きつけたが、何か金属でできているようで断ち切れなかった。


 焦る二人の側に、水が垂れ落ちてきた。

 見上げると、水の妖が再び頭上から狙いを定めている。


「晶ッ、逃げて!」

 落ちてくる船。


「――ッ」

 晶は祈を抱きしめて、守るように覆いかぶさった。






 祈の視界は、

 晶と、晶を襲う化け物で覆い尽くされた。




「――――!!」

 突如、祈を覆っていた赤い光が白く発光し、急激に大きくなる。


 ――――!

 怯んだ水の蛇。


 光が収まったとき、祈達も、車も姿を消していた。

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