峠の幽霊

内田ユライ


 いまにも雨が降り出しそうな午後、下校の足取りは重い。


 目を落とすと素肌の膝小僧と、汚れた短い靴下にサイズが合わなくなってきた黒いスニーカーが視界に入る。

 これ、いつ買ってもらったんだっけ……とぼんやり考えた。そうだ、お母さんがいなくなるまえ。


 今日は湿度が高く、だいぶ蒸し暑い。遠くで蝉が騒いでいる。

土地柄、このあたりは山の稜線に囲まれた平地となっている。北側の斜面はすでに陰って、夕方よりも暗かった。

 空はどんよりとした灰色に広がり、山に生い茂る木々は黒に近い深緑に見える。

 沈む気持ちを抱え、力なく歩く。頂上付近に生い茂る、草ぼうぼうの領域へと目を向ける。


 子どもは急坂を登りはじめた。足は自然と廃屋へと向かう。

 小学校での同級生たちは、あれをお化け屋敷と呼ぶ。古い木造の建物で、危ないから近づくなと大人たちに指導されていた。


 子どもの両親はなんの前触れもなく、離婚してしまった。


 驚いたし、理由も聞いてみた。

 だが、実の母はひとことも答えず、だまって家を出て行ってしまった。


 入れ替わるようにやってきた新しい女の人は、愛想がなかった。

 子どもの親としてふるまう気はさらさらないらしく、最初からうまくいかなかった。


 食事がある日はまだいい。勝手に食べて、あとを片づければなにも言われない。

 父親は仕事で遅く、わずかですら会話をしようともしなかった。


 歩みを進める。急斜面に貼りつくように、戸建ての住宅が密集する。

 地面を切り出して造成した小さな平地に、庭のない家がいくつも建ち、玄関まで急な階段が続く。

 途中からは宅地には使えない切り立った斜面となり、土砂崩れ防止の凹凸のあるコンクリートで土留めされていた。このあたりは土砂災害の特別警戒区域にもなっている。

 

 尾根近くには太い幹の古木が立ち並び、こんもりと枝葉が茂っているのが見てとれる。


 義母が家の中を取り仕切るようになってまもなく、男児が誕生した。

 世話にかかりきりとなり、血の繋がらない子どもには目もくれなくなった。


 ちょうど植物が成長するのに適した季節だった。初夏に勢いを増した雑草が茂みとなって行く手を阻む。

 子どもの身長をゆうに超える一年草が、周辺にたくさん生えていた。細長い房状の穂先に大量の小花が連なって咲き、黄色いほうきを立てているかのように見える。風とともに花粉を飛ばすのか、近づくと鼻がむずむずする。


 梅雨の季節もようやく終わり、好天になるはずだった。予報は外れ、霧のような雨が降りはじめる。


 傘はない。


 東の空の薄くなった雲間から、うっすらと日は射し始めている。アスファルトの上り坂は濡れて黒くなりはじめているのに、淡い日差しが背後に影を作る。

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