朝の哲学~昨日、上司に告白されました~

燈外町 猶

私と、幸せについて。

「ごめん美智、好きなんだ、本気で」

 つかささんの艶やかな唇が私のコラーゲン不足な唇に近づく速度は、十三階段を踏みしめる囚人の足取りと酷似していて、つまり私は、しようと思えばそれを回避するのは難しくなかったのです。

「…………」

 それでも私は、黙ってそれを受け入れました。

 怖いだとか、嫌だとかいう感情はなくて、ただ、あっけにとられてしまったというのが正しいでしょう。

「ごめん……本当に、ごめん」

 アルコールで熱くなり、しっとり濡れていてぷっくりと気持ちの良いその唇が離れるや否や、彼女は俯いて声を震わせました。

「いえ……謝られることでは……」

 私の声を受けて彼女は横目でこちらに視線をやりました。反応を伺われています。その時捉えた司さんの瞳は、罪悪感が滲み出ているせいか眩しいくらいに潤んでいて、あと一度でもまばたきをすれば大粒の涙が溢れることは間違いありませんでした。

 もしも彼女がそのまま、しとしと泣いてしまったら――女の最大の武器を行使していたら――私とて思考の余地すらなく、肯定的なお返事をしていたことでしょう。

 けれど彼女はこらえました。矜持なのか、羞恥心なのか知るすべもありませんが――私の知る気高い司さんらしく――こらえ、

「一晩、考えさせてください」

 私に思考する猶予を与えてくれたのです。

 それから残っていたカルアミルクを情緒なく飲み干して、甘ったるくて胸焼けがしそうな後味に咽ながら席を立ち、二人でしょっちゅう通っているお気に入りのバーから逃げるように飛び出しました。


×


 家について、スマホを確認して、彼女から連絡が来ていないことに、少し、安堵して。

 シャワーを浴びてメイクを落としてなんとなく食欲がないので夕飯はやめて歯を磨いて早々に布団に潜りました。

 明日も仕事です。明日また、彼女に会うのです。

 なんだって水曜日に告白なんてするのでしょう。ノー残業デーとはいえやって良いことと悪いことがあります。

 ……毎週の、楽しみだったのに。

 司さんが私を『本気で好き』になったというのはいつからなのでしょうか。私は親切心に度々感謝していましたが、それは私を手篭めにするために優しくしてくれていただけなのでしょうか。

 毎週水曜日に訪れる憩いの時間も、全ては下心の上に成り立っていたのでしょうか。

 そもそも好きと下心はイコールなのでしょうか。

 わかりません。考えたこともなかった。今まで誰も、好きになったことなんてなかった。好きという気持ちが、いまいちよくわかりません。

「っ……」

 翌朝、目が覚めて一番に感じたのはお腹の痛みでした。

 昔からこうなのです。考えすぎるとお腹が痛くなる脆弱な人間なのです。

 だからいろんなことを考えないようにして生きてきました。それが……彼女の、涙混じりの告白に繋がってしまったのでしょうか。

 だとするならば、それは良くない。司さんにはいつも、シャンと胸を張って格好良い上司であってほしい。

 あんな表情を見せられるのは……つらいです。

 考えなくては。

 どれだけお腹が痛もうとも、今日中に結論を出さなくては。

 焦るあまり『一晩』考えさせてくださいと言った自分を恨みます。一週間とかにしておけば良かった。

 いや、そんなに長くは痛みに耐えられないでしょうしこれはこれでいいでしょう。


×


 最寄り駅のホームで電車を待っていると、初めて司さんとお会いした瞬間を思い出しました。お会いしたというか、視認したというか。

 もう二年前になるのですね、私が現在務めている会社の面接に向かうため、今日と同じように電車を待っている時でした。

 冬の朝、誰も彼もが縮こまり眠たげに目元をしょぼくれさせている中、隣に位置した彼女だけは、周りの空気さえも静謐に張り詰めさせる程に凛として屹立し、ただ真っ直ぐに前を見据えていました。

 同じドアから乗車した後も、その雰囲気を纏ったまま、彼女は真剣に、窓の外を眺めていたのです。

 一瞬で吹き飛んでいく車窓からの風景――例えば、登校中の小学生の群れだったり、北風に遊ばれる落ち葉だったり、どこにでもありそうな川だったり――が、まるでなにか、この世界を素敵にする為に必要な、大きな大きな、秘密を隠し持っていることを知っていて、それを見過ごすまいと息を潜めて観察しているような、そんな、堅苦しいのに、どこかロマンチシズムを感じる瞳。

 その瞳こそが、まるごとそのまま彼女の第一印象。

 そしてその瞳を再び目にしたのは、電車を降りてから二時間後でした。

 喫茶店に入り面接で聞かれそうなこと、伝えたいことを改めて整理していざ向かった志望企業。受付の女性に通され、緊張に飲まれながら待機していると開かれたドア。

 そこに彼女は立っていたのです。

「「……」」

 その一瞬、無言の間から、互いに駅のホームで出会っていたことを察していたことは間違いありません。

 彼女からその話題が振られれば私も乗る気満々でしたが、

「どうぞ、お掛けください」

 一切触れることはなく、普通の面接が始まりました。

 所要時間は体感では三十分程度かと思っていましたが、会社を出て腕時計を見てみると一時間四十分が経過していたことに驚きました。

 相手に時間の経過を感じさせない話術の持ち主が上司であれば、きっと仕事も楽しいだろうなと思って。受かればいいなと思って。ついでに彼女が上司ならいいなと思って。

 結局は、その通りになって。

 二年間、とても楽しくって。幸せで。

 そう、一緒にいられるだけで幸せだったのに。

 司さんのことは尊敬していますし人として好きですが、お付き合いする……交際する……恋人に、なる……とは一体……どういうことなんでしょうか……?


×


 予定時刻ぴったりにやって来た電車へ乗り込み、いつものポジションである隅っこの席に腰を落ち着けました。

 四十分後には乗り換え無しで会社の最寄り駅です。それまでに、結論を出さなくては。

 まず、彼女と交際をするにあたって考えるべきは、私にとって何が幸せか、というポイントかと思います。

 ストイックな方や天賦の才を持つ人の中には、『幸せなんかいらない』と言う方もいらっしゃるそうですが、私は一般小市民。普通に幸せになりたいのです。普通の幸せでいいので。

 では、普通の幸せとは何か。

 刹那的な幸せならばいくつか挙げることはできます――美味しいものを食べた瞬間に舌から脳へ伝わる刺激とか、猫を撫でている時に手のひらから脳に伝わる生命のありがたみとか――。

 しかし私の人生全体に対して、こうなったら幸せだ、こういう状態になったら100%の幸福だ、というように何かを定義するのは……とても難しいように思えます。

 何故なら価値観は常に揺らぎ、過去の些細な不幸が未来の絶大なる幸福に繋がっていることすら頻繁にあることや、その逆もまた然りであることを知ってしまっているのですから。

 結局のところ、自室の床だか病院のベッドだか、あるいはどこかの事故現場だかもわかりませんが、私が最期に息を引き取りこの世から去る瞬間、「ああ、幸せだったなぁ」と思えるか否かだけが、その人生が幸福だったか否かを決定付けるのでしょう。

 死んだ後にも意識はあって天国がどうとか地獄がどうみたいな状況は考えないことにします。そういうことは宗教の役目でしょうし私には荷が重いので。

 そこでまずは「ああ、不幸な人生だったなぁ」と思ってしまうのはどんなケースなのか、とりあえず現段階で考えてみることにしてみます。二十四年の短い人生ですが、それくらいは算出できるくらいのデータは取り揃えられているはずです。

 ……はず、ですよね? あれ、なんでこんな簡単なことすら考えられないんですか。全く最近の若者は。平和ボケが過ぎているんじゃないんですか。

 もういいです、頼りにならないデータは無視して、最近見たドラマでいいなぁと感じたシーンでも思い出してください。

 そう、例えば朝目覚めると、大好きな人が穏やかに寝息を立てて自分の傍にいてくれるとか。あれはいいものですね、穏やかな幸せに満ち満ちていると思います。まぁ私にはそもそも『大好きな人』の定義も作り方もよくわからないのですが……。

 しかしそういう風景が浮かんできたということは、まんざらでもないということでしょう? 生まれてこの方一人の時間が多いので、には興味がないのかと思っていましたが、もしかしたらただ孤独に慣れていただけで、私も誰かの傍にいたくて、誰かに傍にいてほしくて、何かを分かち合ったりしたかったのでしょうか。

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