ゾンビになって豪華に暮らしたい

重土 浄

ゾンビその1



 銀座に立つ22階立ての最高級マンション、その最上階のフロアを全てを専有するペントハウスは、この国で最強の勝者が住むべき王宮だ。


 そう、俺のような人生の勝者が。


 豪勢な部屋からペントハウス専用の広いルーフバルコニーに出る。じんわりと明るくなり始めた空が朝の到来を告げている。


 とにかくやたらと高級そうな白いガウンを一枚まとっただけの俺は、片手にこれまた高そうなワイングラスを持ち、もう片手には「ロマネ・コンティ・グラン・クリュ ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ 二〇一七年(税込み290万円)」を一升瓶のように持ち、フラフラと柵に近づいた。そこからは銀座の街が一望できる。この風景がペントハウスの値段を奥円超えにしたのだろう。


 ワインの味はわからない。だが値段が高いのが気に入った。俺の年収と同じくらいだ。


 持っていたワイングラスを22階の高さから下に投げ捨てて、最高級ワインをラッパ飲みする。


 遥か下に落ちて砕けたワイングラスの音は、子猫の鳴き声よりも小さかった。


 ただワインを飲んでいるだけだと、すぐに味に飽きる。


 俺はそれの瓶を思いっきり投げ捨てた。


 その290万のボトルは長く長く落下し、道を歩いている老婆の背中に激突した。


 ドスンという音がここにまで届き、老婆を地面に叩きつけたワインボトルは彼女の背中でバウンドし、遠い地面に落下して赤い液体を老婆の代わりに地面にぶちまけた。


 高層マンションからの落下物で死んだと思われた老婆は、死んでいなかった。


 いや、正確にはすでに死んでいるので、今死んだわけではない。


 すでに死んでいた=ゾンビなのだ。


 老婆はムクリと起き上がり、後ろを恨めしそうに振り返る。彼女には上空から物が落ちてきたと考える知能はない。前後左右、ほんの数メートルだけの世界しか知覚できない。


 老婆は負傷(粉砕された右肩甲骨、折れた鎖骨、肋骨4本にヒビ、顎と前歯を紛失)を気にする様子もなく、白濁した死んだ目で遠くを眺めて動き出した。


 俺はそれを高いところから見下ろしていた。老婆の動きは人間のする動きのようだが、上空から観察すると、その運動の無意味さから、虫の行動にしか見えなかった。


 「脳がないな…」


 俺は哀れな人達を見下ろして言った。


 銀座の高級店が立ち並ぶ表通りには、大量のゾンビたちがあふれていた。


 女性が多いのは、銀座という場所柄だからだろうか。彼女たちの精一杯の着飾った衣装は数ヶ月の風雪に耐えることはできず、穴だらけになり彼女たちの肌を外にさらしている。その肌は、内部からの侵食によりカラカラの樹木のような表皮になっている。


 乾燥し、摩耗し、人肌はほとんど削ぎ落とされている。ただ、アクセサリーは未だ輝きを失わず、高級品らしい耐久性で残っている。イヤリング、ベルト、ネックレスが輝きを放っている。ゾンビ化してなおグッチのバッグを話さない者も多い。


 「値段にはそれなりの理由があったわけだ」


 ファストファッションをまとっていた若者は、その値段にふさわしいボロボロの格好で道をふらついている。外国人も多いのは土地柄故か。


 昇った朝日が銀座の通りを照らし出した。


 キラキラと輝く物が道のあちこちに散らばっている。


 携帯電話だ。


 地面に落ちた大量の携帯電話が小川の下の輝く小石のように朝日を反射している。


 ゾンビ達が生前、最後に握っていたのが携帯電話であったのは間違いないだろう。


 最後の緊急放送を呆然と見ていたのか、


 最後のお別れを伝えようとしていたのか、


 人間であった彼らがその携帯を落とした時が、ゾンビに噛まれて命を失った時であった。


 朝日があがっても、銀座のゾンビたちの動きは変わらない。まるで生前のショッピングの続きをしているかのように、店先をウロウロし続けている。




 下界を見下ろすのに飽きた俺は壁に立て掛けてあったスコープ付きライフルを取って構えた。狙うは俺のいるペントハウスと同じくらいの高さの別の高級マンション。その最上階に照準を合わせる。あちらのマンションも値が張りそうだ。そこには数人の若い男女がいる。


 彼らも起き出してゆっくりと動いている。


 俺はそのうちのひとり、セミロングの女性にゆっくりと銃口を向ける。


 彼女は部屋をゆっくりと歩いてる。


 髪に隠れて顔は見えないが、今日も元気そうだ。


 若いセレブな若者たちが、ゾンビパンデミック時に避難場所として逃げんこんだのだろう。男の顔が見える。


 顔の半分が欠けている。噛みつかれた後に崩れたのだろう。その男もぐるぐると部屋の中を回っている。


 セミロングの女の顔が見えた。


 人間の、美しい顔だ。肌の潤いが、金よりも貴重なものとして輝いている。


 しかし彼女が部屋の隅に到達し、引き返す時、もう半分が見えた。彼女の顔もまた崩れていた。


 高級マンションの最上階に逃げ込んでも、パンデミックからは逃げられなかった。しかし頑丈な窓と屋根が彼女の顔面の半分を風雪からは守った。未だ彼女の顔には人間として美しさが残っていた。


 遠く眺めるあの部屋は水槽のようだ。崩れた死の魚達が回遊してるなか、たった一匹だけ赤い金魚がいる。半面だけの赤い金魚。


 あの部屋で起きたことは想像できる。日本中全ての場所で起きたことだ、悲しむことではない。


 全員同じなのだから。悲しむことはない。


 俺は彼女の、人間を顔を見たくてしばらくライフルを構えていたが、腕がつかれたので諦めた。


 天上人を楽しむ時間は終わった。


 俺にも、この世界でやるべき仕事がある。


 俺の最高にゴージャスな生活にふさわしい、最高に高い品を集めるのだ。


 最高級最高品。全ての品が俺の年収を超えるものだけ。


 このゾンビしかいない東京の、銀座という場所に眠る高級品を集め尽くす。


 望んでいた人生を達成する。


 俺はこの世界で、ついに成功者となったのだ!



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