7日目/別離

 12月19日(木)


「今日は『三角形と四角形』のところだよ!」

 草太朗に楜を預けて買い物に出た時に瞳子が購入した算数と漢字のドリルを朝食の後で開くのが、彼女の日課となっていた。

 この日も、楜はいつものように算数ドリルを開いた。彼女の中では、今日も昨日と同じ一日になる筈だった。

 洗濯物を回した流れで瞳子は冷蔵庫の前に立ち、冷凍庫の扉を開ける。それから彼女は、楜の隣に座った。

「楜ちゃん・・・これ」

 手に持ったチラシを開き、瞳子はドリルの上に置いた。

「え?・・・くるみの写真?」

 彼女はキョトンとして、自分の全身写真を首を傾げながら眺める。

「郵便ポストに入ってたの。お父さんとお母さん、楜ちゃんを探してる」

 すると、楜の表情が一気に明るくなった。

「ホント?!」

 満面の笑みの楜は、瞳子の顔を見た。

「うん。本当。だから、今日はおうちに・・・帰ろ?」

 語尾が少しだけ、震えた。

「算数は?おねえちゃん、今日はもう教えてくれないの?」

「ごめんね?・・・楜ちゃんのお母さん、10時にここに来る事になってるの・・・」

「10時?・・・朝の?」

「そう。朝の10時」

 楜は壁に掛かった花柄の時計を見ながら、「後30分しかないよ?」と言った。

「そう。だから・・・帰る準備、しよ?来る時は何も持ってなかったけど・・・今は、荷物、増えてるでしょ?ドリルとか」

 瞳子は泣きそうなのを我慢して、必死で笑顔を作った。

 瞳子を見ていた楜は、視線をチラシに移す。

「ママに電話、したの?」

「うん」

 楜は暫く黙ってチラシをみつめていたが、意を決したように顔を上げた。

「くるみ、帰る支度する」


 とはいえ、楜の荷物はそんなにはなかった。

 瞳子は、制服や歯ブラシや靴下など目に付く楜の物を、退職の日に使った紙袋の中に詰め込んだ。楜は、ドリルや鉛筆や折り紙やパジャマなどをテーブルの上にまとめた。それを瞳子は紙袋に入れた。

 シーンと静まり返った部屋の中で、二人は並んでソファーに腰掛け、時計の秒針の音だけを只ひたすら聞いていた。



 楜と母親を見送った後、瞳子は暫くソファーから動けないでいた。

 ピー、ピー、という洗濯の終了を告げる音で我に返る。

 瞳子はゆっくり立ち上がると、楜が眠っていたベッドに近付いた。丸まった掛け布団が楜を感じさせた。

 だけど、楜はもうここにはいない。そう思うと、我慢していた涙が一気に溢れ出して止まらなくなった。瞳子は、声を上げて泣いた。

 どれくらいの時間が流れただろうか。気を取り直して瞳子は、布団を直そうと持ち上げた・・・その時。

「あっ」

 丸まった布団の中から、苺模様のパジャマの上着が姿を現した。

 それは、まるで蝶のサナギの抜け殻の様だった。

 

 サナギになった幼虫は、その中で一旦液状になるという。

 今、楜は、その状態なのかも知れない。

 だとしたら・・・いつか少女は、蝶になる。

 羽化した少女は、蝶となる。

 

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